第2話「クリフとドラン」

 ──ゴ、ゴォォォォ………

 音が聞こえる。

 炎の燃える音ではない。

 ──ゴゴゴォォォォ………

 海だ。海が鳴いている───

「クリフ……」

 少年がひとり、心配そうに声をかけた。

「うん。わかってるよ、ドラン」

 それにうなずいてみせるクリフ。

 様々な色に変化する不思議な髪をなびかせ、声をかけてきた少年に少し強張った表情を向ける。

 ドランという少年も彼と同じ年頃のようだ。

 クリフとドラン、ふたりの少年の目前には海原が広がっていた。

 おりしも吹きつける風に海面はゆれ、彼らの乗った小舟をゆらゆらと動かす。

「…………」

 クリフの黒い瞳が動いた。

 さほど離れていない場所に陸地が横たわっている。

 それは舟といっしょにゆれている。

(もう少しでつくはずだったのに……)

 ちらりと後ろに視線を向けるクリフ。

 すでに遠く離れた島は水平線へと消えかかっていた。

(父さんたちのいるダカル島……)

 クリフは心で呟いた。

(ごめん、父さん……それに母さん……)

──ザ、ザザザ……

 そのとき海が動いた。

 クリフは中腰であたりの気配をうかがい、ドランはその彼を心配そうに見つめる。

「クリフ……」

 クリフの目が自分を気づかう友の視線に気づく。

 ドランの額には銀の輪がはまっていた。

 舟の舵を取っている彼の前髪が、風を受けてさらさら動くと、額の輪は茶色の前髪に見え隠れし、ときおり太陽の光を受けてきらりと輝く。

「…………」

 クリフは黙ってドランの顔を見つめた。

 小麦色によく焼けた顔と銀の輪が妙にマッチしている──そうクリフが思った瞬間!

 ズァバァァァァ──────!

 海面が盛り上がり、ものすごい水しぶきが上がった。

「!」

 クリフたちは息をのむ。

「グェェェェ──────!」

 咆哮が、少年たちの耳をつんざくようにとどろいた。

「な、なんだぁ?」

 ただでさえ大きな目を、さらにまんまるくさせて、ドランはすっとんきょうな声を上げた。

「…………」

 対してクリフは声もなく見つめている。

「グェ、グェ、グェェェ────!」

 耳障りな声を上げるもの───それは海面から長い首を空中にそそり立たせた怪物だった。

 数十メートルはあろうか。とにかく長い首である。

 首の先には鼻面の長い顔がついていて、大きく開けられた口からは鋭い牙が見える。

 そして、ぎろりと光る凶暴な目つきでクリフたちを見下ろした。

 海の上に出ているのは首から上だけで、身体はいったいどうなっているのか想像もつかない。

「これが海の門番……リューシリオン…」

 クリフが呟く。

「も、門番って、な、何だよ。クリフ」

 ドランはどもりながらクリフの顔を見つめた。

「う、海の、海の魔族ってことか?」

「魔族……そうともいえる……」

 クリフは恐れとも尊敬とも取れそうな目で怪物を見上げた。

「はるか昔に絶えてしまったといわれる、伝説の竜族の末裔ともいわれている……」

「え? 竜族……?」

 クリフの言葉に、なぜかひどく驚くドランであった。

 それから、おそるおそる顔を上げて呟く。

「こいつが……竜族の…?」

 今にも襲いかかろうとする怪物を、ドランはじっと見つめた。

 そんな彼にクリフは諭すように静かに言った。

「リューシリオンは海を渡ろうとする者を許さない。だから海の門番といわれているんだよ……」

「グェ─────!」

 その海の門番はクリフの言葉を、咆哮をあげることによってさえぎった。

「グェ─────!」

 首長の怪物リューシリオン。

 さかんに大きく首を振っている。

 そのたびに水しぶきが少年たちのもとへと降り注ぐ。

「うわぁぁぁ───ク、クリフぅ! 怪物がこっちに向かってくる───」

 ドランが悲鳴を上げた。

「…………」

 クリフは近づいてくる怪物の顔を、強張った表情で黙ったまま見つめた。

 彼の目は黒かったが、なぜか瞳の奥が紫色に燃えている。

 どんどん近づく怪物リューシリオン。

 実際にはすごいスピードであったが、クリフの目にはまるでスローモーションのように見えていた。

「ドラン! 飛び込むんだ!」

 次の瞬間、クリフは鮮やかなフォームで舟から海へとダイビングしていた。

──バキィィィィ────!

──ザバァァァァ────!

 間一髪というところで、怪物の頭は舟を砕き、海面下へと沈んでいった。

 ドランも海へ飛び込んだようである。

 だが、クリフはそれを確かめることはできなかった。

──ゴボ、ゴボボボボ……

 自分の身体がどんどん深みに沈んでいくのをクリフは感じた。

(く、苦しい……息が……)

 リューシリオンが急激に潜ったために、あたりに大きな渦が発生してしまい、彼の身体はそれに巻き込まれてしまったのだ。

(ドラン……ドランは……?)

 目も開けられない状態で、クリフは必死にまぶたをこじ開けようとする。

 やっと少し薄目を開けることができたが、まったくあたりの状況はわからない。

(はやく、上にいかなくちゃ……)

 なんとか手を動かし、脚を動かし、クリフは泳ごうとした。

 幸いなことに、リューシリオンはそれ以上クリフを襲ってこようとはしなかった。

 海の底へと潜っていったのか、それともどこかへ泳ぎ去ったのか、すでに姿はどこにも見えない。

──ゴボ……

(だめ……もう息が……)

 薄れゆく意識───さきほどまで必死になって動かしていた手や脚が、鉛のように重たく感じられる。

 クリフの身体は急速に海底へ沈んでいこうとしていた。

(ドラン……)

 必死に祈る。

(彼だけでも助かって……)

 まるで何者かに引きずり込まれるかのように、小柄な身体は海の暗闇へと沈んでいく。

(………………………………………)

 次の瞬間、クリフの意識は完全に途絶えてしまった。

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