図書館に住む者 1
夜が明け、朝日が路地に差し込んでいたのも束の間、空は再び雲行きが怪しくなり始めた。蒸して暑い世界に冷涼さを感じさせる真空色と、夜の余韻を思わせる曙色が曖昧に混じりあった幻想的な空に重苦しい暗雲が嫌に伸びる。水滴が少年の頬へ一滴、降雨の再来を知らせた頃、再び少女が姿を現した。
「みーつけたぁ。つーか何ここ!適合してないと迷う仕掛けでもしてあんの?クッソ腹立つんだけど。魔法も使えないって何?不便すぎね?」
少女の歪んだ口元が、言葉を吐き出す。息継ぐ間もないその様は、考えもなく生理的に反吐が出るのと同様であった。少女は魔法を使っていないにも関わらず、確実に二人と距離を縮めている。時折セルの横を小さなナイフが掠め、セルはそれらを避けながら、あからさまに不快な顔をした。
「まだついて来れるのか?誤算だったな……」
「あ、の」
「何?」
「まだ、ですか」
少年はこの長距離走にかなり消耗していた。青い瞳に涙を溜め、息を切らしている。一方、セルは長い間の全速力にも息一つ乱さずに涼しい顔である。
「あと少しだよ」
「本当、に」
「本当だ!」
質問に対し食い気味で答えたセルに、少年は意外だと感じ、少し笑みを漏らす。セルは調子が狂うとでも言わんばかりに溜息をついた。
「ほら、あそこに見えるだろ」
「……はい」
セルが指さす先は、確かに行き止まりだった。しかし、少年がどんなに目を凝らして見ても、そこには扉の類は見当たらない。
「扉はないよ。王宮の周りじゃあ警備の問題で魔法は使えないし、大抵の出入り口は鍵を使うか、内側から作る仕組みだから」
「え?」
説明が足りないセルに困惑し続ける少年をよそに、足取りも軽くセルは走る。雨脚は徐々に確かになってきていた。
とうとう二人は行き止まりに走りつく。少年の方は息も絶え絶えである。遅れて少女が姿を現すと、セルは少女を鋭く睨みつけた。
「お前の目的はなんだ?あまり意地の悪いことはしたくないんだよ。おチビさん」
「黙れ!……次はアンタもだからね。お姫様」
少女は先ほどまで全く見せなかった疲労の色を顔へ滲ませていた。雨に濡れるのを嫌うように着ている外套を強く体の方へ引き寄せ、ようやく年頃らしく頬を膨らませて顔を赤くした。
「……次はないよ。喋る気がないなら帰ってくれ」
仕返しにお姫様と言われたからか、セルは手に取れるように機嫌が悪くなっていると少年は感じた。そしてその分かりやすさに再び笑うと、セルは次に少年を軽く睨む。先程までは心なしか異様な魔女であった目の前の女性が、自分よりも人らしいことに彼は気付いた。
「……ケイ」
セルが何かを呟くと、淡く白い光が壁から溢れる。それは雪のような静かな冷たさで二人を包み、何故か少年はその光に閉鎖的な孤独を覚えた。少女が身を翻し、何処かへ去ろうとする後ろ姿を少年が光の
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「わっ!」
室内の冷涼さを感じたと思えば、勢いで体勢が崩れ、少年はあわや転びそうになる。しかしそれを誰かが前から支えた。
「おっと……大丈夫?」
「は、はい」
若い男の低い声が頭上からして、少年は顔をあげると、思わず目を見張った。
男はあまりにも白いのだった。金の派手な刺繍が目を引く外套も、そこから覗く肌も、髪色までも、限りなく新雪のような白さなのだ。極めつけには顔立ちが整っていて、美術品のように繊細な雰囲気がある。
少年が呆けていると、男の色素の薄い琥珀色の瞳が不思議そうに細められる。
「本当に大丈夫?セルさんに振り回されて大変だったでしょう?」
「そ、そんな」
「おいケイ、振り回したとは人聞きが悪いな」
少年の
「全く、俺が玄関にいなかったらどうなっていたか!俺が忠実な部下でよかったですね」
「あぁ、そうだな」
セルの空返事にケイは顔をしかめ、セルに詰め寄る。
「スタルクに聞きましたよ。リブラと誰かを連れてくるとかそういう話をしていたって。図書館に関わることなら、何か言ってくれても良かったじゃないですか」
「だから言っただろ。ここで待ってろって」
三人がいる場所は、多くの蝋燭で贅沢にも明るく照らされた、廊下と一続きになっている場所だった。王宮図書館に入るためだけに作られた、王宮の裏口の一つである。先刻、少年とセルが通った場所に、ただの壁の姿は何処にもなく、如何にも厳格そうな扉が構えていた。
「私は爺に報告してくるから、先にケイと二人で図書館に行ってくれ。着替えは司書室の棚に一式、置いてある。ケイ、雑巾を貸して」
セルに言われてケイは、足元に放ってある雑巾を左手で拾い上げ、そして手渡すかと思いきやその手を高く上にあげる。
「何だ」
怪訝そうな顔をするセルに、ケイは上品な笑顔を浮かべる。二人の話が理解できない少年は、まるで蚊帳の外で、一貫した態度のセルと表情豊かなケイを見比べていることしかできなかった。
「俺は、あなたの召使じゃないって、何回言えばわかるんですか」
その言葉に、セルは特に感情の無いような目でケイを一瞥し、彼の意地悪くあげられた手から雑巾を取り上げると、履き物を脱いだ自分の足を拭いて別の履き物に替え、廊下の奥へ去っていった。
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