ep3「遠かりし人の存在証明《サルクス》」
東京聖災における唯一の生存者。翌日に災害現場から救出されたユウキには、いつしかそんな肩書きが与えられていた。
生物のことごとくが塩の柱となる謎の現象に対し、何らかの要因で唯一人間の姿を保っていられた少年なのだ。関係者の注目から逃れられるはずもないと分かっていたから、ユウキ自身も無理に軟禁状態から逃れようとは思わなかった。
違う、逃げる気力さえ湧いて来なかった。
クリスマスからおよそ一ヶ月後、記録的な厳冬となった2021年の一月末。
正体不明の光を浴びてからというもの、ベッドに身を横たえる彼は虚ろな視線を窓に向け続ける。が、極端に悪くなった視界には殆ど何も映っていない。
――――どうでもいい、どうせカレンはもういない。
自分だけが生き残った理由も、視力が悪化した理由も未だ不明。
現場から保護された後は、訳の分からない精密検査を受けさせられた。血液検査に始まり精神状態の鑑定に至るまで、ありとあらゆる検査を受けさせられた挙句に、ユウキが入院している個室には司祭たちまでもがやって来た。
彼らは病室に入って来るなり口にしたのだ、神のご加護があらんことをと。
その時になってようやく、ユウキは入院させられて以来初めて笑えた事を憶えている。
現代医療の敗北を宣言するかのような祈りを前に、堪らない可笑しさが込み上げて来たのだ。最新の医療設備が揃った病室の中、まるで中世のような絵面の儀式が執り行われてもなお、彼の視力は回復などしなかった。
――――こんなオカルトで治るわけがないだろ。
主の癒しを与える儀式は失敗した、らしい。「治すにはやはり奇蹟の血が必要なのだ」と、司祭たちは口惜しげに語り出す始末だった。
神から与えられた
司祭たちの次にやって来たのは、政府からの遣いを名乗る者たちだった。
『君は公的には生存していない事になっている』
――――ある日、政府の男たちからそう聞かされた。
『今は臨時政府が超法規的措置を執っている』
――――そうなのか、と思った。
ユウキが知りたいと思っていた情報を耳にしたのは、平時では決して許されないような軟禁状態が更に続いてからの事だった。ほぼ失明した両眼を聖別された包帯で覆い、投薬の影響でやつれ始めたユウキがベッドに身を起こす。
そんな彼に向け、臨時政府から遣わされて来た役人は淡々と語り始めていた。
ちょうど昨年の冬、君は軽い風邪をひいていたはずだと。
「確かに俺はそうでした。でも、あれは突然変異した風邪が外国でも日本でも流行ったんだって……風邪気味だって別に珍しくないはずだ」
いや、まさにそれが原因だったんだよと男は続けた。
そもそも世界規模で流行していたのは風邪ではない。極めて感染力が強い変異型レトロウイルスのパンデミックだったのだという。
しかし、去年までのニュースを見ていた限り、感染力は強くても死亡に至ることはほぼ稀なはずだった。この話がどこへ進んでいるのかをはかりかね、すっかり体力が衰えたユウキはベッドに身を沈める。
「何なんですか、そのレトロウイルスって。そいつが何をしたんですか」
感染者は遺伝子を組み替えられたらしい、と役人は答える。それも莫大な感染者の中でごく一部の者だけが適合し、感染の結果としてレトロウイルスが保持していたDNAの一部を身体に取り込んでしまったのだと。
思わず寒気がした。
流石にDNAのことくらいは知っていたから、ユウキの背には堪え切れない悪寒が走る。細胞の一つ一つに組み込まれた二重螺旋こそがDNA、つまりはこの身体に得体の知れない何かが埋め込まれてしまったのだと、いやでも理解出来てしまった。
「一体何なんですか、何が俺の身体に……!」
聖書の一部だよ、と返された答えは理解の限界を超えていた。
レトロウイルスを介して全世界に運ばれたのは、どこかの誰かが戯れに遺伝子へ組み込んだとされる聖書の文言。まさに聖書因子とでも言うべき魔術的な性格を帯びた塩基配列が、ごく一部の者の身体へと取り込まれてしまったらしい。
かつて奇蹟を起こし、聖人と讃えられた人々がそうであったように。
そして東京ではただ一人、ユウキだけが聖書因子に適合したという。
ゆえに聖なる光を浴びても神の裁きを受けることなく、視力をほぼ喪うだけで済んだのだと。頭を抱えるユウキに浴びせかけられるのはそんな真実だった。
いつからこの世界は、奇蹟だの魔術だのを認めるようになったのか。文字通りの闇に閉ざされた視界の中を彷徨いながら、ユウキは口角を吊り上げる。
「さっきから何を言っているんですか、こんな大した特技も無い俺が聖人だって言うんですか……ただの高校生だよ。そんなオカルトを信じるのかよ、あんたたちは」
かつて退廃と罪の街――ソドムとゴモラ――に下されたとされる神の裁きの中で、ある女は生きながらにして塩の柱へ変えられたという。それと極めて類似した事象が発生した今、世界は既にキリスト教系魔術としての奇蹟を受け容れ始めている。
いきなりそう言われても理解など出来ない。
ただ、それでも、自分が生き残れた理由だけは受け容れてしまった。
風邪をひいて少しDNAが変異してしまった、たったそれだけで生き残ってしまったのが自分だった。カレンが腕の中で塩の柱と成り果てたのは、ただそれだけの事が起こらなかったからなのだと。
起こらなかったばかりに、ああも変わり果ててしまったのだと。
「何が……何が奇蹟だよ!」
激情のままに振るった腕は、傍に置いてあったらしい何かを払いのける。固いモノが砕け散る音を聞けばそれは花瓶だったのだと分かった。
目の前にいたはずの役人がどんな顔をしているのかも分からなかったが、ユウキは構わずに叫んでいた。自らを痛めつけるように、破片の中を歩んで病室の中のあらゆるモノを壊そうとした。
だが、すぐに脚が挫けて立っていられなくなる。
「どうして、どうして俺の方だったんだよ……なんでカレンはあんなことにならなくちゃいけなかったんだよ」
これだけ暴れても何も奇蹟なんて起きやしない。
一体何の気まぐれかは知らないが、カレンではなくこんな自分の方に奇蹟が起こってしまったのだ。たったそれだけの事実でも、この世に神などいないと信じるには充分過ぎた。
ユウキはそれでも誰かに訴え掛けるように、立ち上がろうと足を踏み締める。
『ユウキ君、君こそが滅び行く世界の救世主になれるんだ。この世に奇蹟をもたらし、いずれは死さえも支配して人類を救済に導くんだ』
そんな言葉を耳にした途端、ユウキの中で荒れ狂っていた感情はすっと凍り付いて行った。血まみれの腕を力なく振り下ろし、この騒ぎの中で表情一つ変えなかったであろう役人の方を光無き瞳で見据える。
先ほどとは違う悪寒が止まらない。
まるで唐突に頭から冷水を浴びせられたような気分だった。
――――ああ、この人は本気で言っているんだ。
誇張でもなければ世辞でもない、役人が口にした言葉はありのままの表現で伝えられた人々の総意なのだろう。そう確信できてしまったから、ようやくあのクリスマスの晩から狂い始めた現実を見据えるしかなくなる。
つまりはもう、この世界は本当にお終いなのだ。
腹の底にはずるりと冷たい確信が滑り落ちて来て、ユウキは先ほどまで自分がどこかでまともな世界を信じていたのだと知る。
もうそんなものはない、それでも願う奇蹟があるとすればただ一つ。
「さっき言いましたよね。
ユウキは首から提げていたペンダントを握り締め、そのちっぽけな瓶の中に収めた白い結晶に想いを寄せる。今さら願うことがあるとすればただ一つしか有り得ない。
微動だにしなかったはずの役人は、少年の裡で芽生えた決意を読み取ったのか、黙して歩み寄って来る。直後にユウキの目元を濡らしていったのは、聖別された包帯へと振りかけられる冷たい液体だった。
鼻をつく匂いで正体は分かる。血だ。
「それなら俺は何にだってなってやる……救世主だろうとなんだろうと」
真っ赤な血に濡れた包帯は、ユウキの手によって勢いよく引き千切られる。聖水でさえ効果が無かったというのに、それまで白く濁っていた彼の瞳は再び光を取り戻していた。
それこそは救世主の血による治癒の力。
かつて血を浴びる事によって白内障を癒したロンギヌスと同じように、彼の眼は奇蹟によって癒されたのだ。瞳の奥には真っ黒な執念の炎を燻らせながら、ユウキは待ち受ける滅びの未来を見据えていた。
* * *
それからの十年は、結局のところあの病室で予想した通りの未来にしかならなかった。
全世界的な対イコン戦争の歴史を振り返っても、華々しい勝利を収めた記録などどこにも見当らない。人類を待ち受けていたのは荒廃と停滞の日々で、在りし日の純粋な信仰と、世界の半分を喪ってからようやく創り出されたのがメシアクラフトだ。
メシアクラフトだけはイコンに対抗できる。
それでも世界を救うにはあまりに無力だった。
「もう何もかも遅かったんだよ」
血塗れのコックピットに身を収めるユウキは、メインモニター越しに遥か下方の景色を見下ろしていた。
まるで黒い飴細工のように冷え固まったガラス地形がまだらに大地を覆い、衝撃波で薙ぎ払われた荒野には文明の痕跡など何一つ見当らない。
かつて奇蹟によって癒された瞳に映り込むのは、つい去年までは都市があったことなど信じられないほどに荒涼たる大地だった。そしてきらきらと反射する白い羽が数十km四方に散在しているのは、ここでかつて戦闘が起こった証だ。
つまりは、熱核弾頭の投下による汚染地域の一つに他ならない。
――――カレンはこんな世界を見なくてよかったのかも知れない。
ひたすらにイコンたちを殺し続けても、状況はなんら良くなっていない。
ユウキのような境遇の者たちが生贄となり、数多の人体実験を受け容れてまで建造にこぎ着けたメシアクラフトでさえ、ただの一機として真の救世主となる資格を持ち合わせてはいなかったのだ。
だから眼など治らなければよかった。
滅びへ歩んで行く世界を見続けて来てしまったという後悔が、荒野を見下ろすユウキの胸を締めつける。眼下に広がっていた景色は徐々に解像度を増し、遂には汚染され切った大地に人の列が見えるようになっていた。
高度を下げ行くメシアクラフトは、まさに今、万は下らない人々の頭上へ降臨しようとしていた。
「変形開始」
分厚い曇天より舞い降りるのは、眩いばかりの光輪を帯びた蒼い十字架。
空力的には有り得ぬ低速でゆったりと空を滑りながら、十字架型の弩級戦闘機は歪な巨人の姿へと組み変わって行く。やがて装甲の裏から華奢な四肢が伸び切った時、空には甲高いジェネレーター音を轟かせる100m級の人型兵器が現れていた。
その頭上に輝くエンジェルハイロゥの光は、鈍色の空に天使のハシゴを描き出す。
――――誰もかれもが皆、傷付いている。
メインモニターには傷付き、疲れ切った者たちの顔ばかりが映り込んでいた。
今こうしてメシアクラフトの光に照らされているのは避難民たち。つまりは旧三沢基地からの撤退戦後に、方々の核シェルターからなんとか這い出して来た者たちだ。
陥落した基地やその周りの市街地、イコンの襲来と熱核弾頭の炸裂から生き延びた人々は、荒野に延々と車輛の列を連ねながら進んで来たのだった。
もちろん急性被爆すら覚悟の上で、だ。
ユウキはそんな過酷極まる旅路を進んで来た者たちに、己が何を成すべきかを知っていた。かつて救世主が起こしたという奇蹟をもたらす為に、その唇はたった二言から構成される詠唱を紡ぐ。
「
メシアクラフトから放たれる光が増したのは、直後のことだった。
人工ダイヤモンド製の爪を装備した両手はゆっくりと広げられ、その巨大な掌が人々の頭上にかざされるほどに歓声の渦は広がって行く。
まさに奇蹟が起こっていた。
見れば、過酷な脱出行の末に傷付いていたはずの者たちは、みるみるうちに生気を取り戻し始めている。癒しの奇蹟によってあらゆる怪我は癒え、急性被爆によって光を失っていた者さえもその眼に視力を取り戻していた。
――――清くなれ。
新約聖書に収められた福音書の記述によれば、その言葉は不治の皮膚病をも癒したという。全身が聖遺物で構成されるメシアクラフトは、かの高名な奇蹟を摸倣魔術として発生せしめていた。
システム化された奇蹟など、魔術の類に貶められた代物に他ならない。
それでも実用魔術体系として再構築された神学のテクノロジーは、メシアクラフトに己の使命を果たせるだけの権能をもたらしてくれる。真の救世主には遥かに足りなくとも、間に合わせ程度には仕立て上げているのだった。
「奇蹟の行使を完了。ニコライ=ユウキ、車列の先導を再開する」
人々に癒しを与えたばかりの蒼い人型は、30階建てビルにも匹敵する体躯でゆっくりと歩み始める。人々と車列を先導するメシアクラフトは、遥か彼方にそびえ立つキノコ雲を背景に荒野へ足跡を刻んで行った。
「――――照らせ、
足音が轟く度に、地面に刺さっていた羽は倒れる。
光輪が輝くほどに、空を覆っていた暗雲は割れる。
今にも放射性物質まみれの黒雨を降らせんとしていた雲は晴れ上がり、メシアクラフトが進むべき道を照らすように陽光が差し込んでいた。
苦難の人々を導く奇蹟の人型、それはまさしくかのモーセ伝説の再現に他ならない。波紋のように広がって行く笑顔と歓喜の声が、全てメシアクラフトに向けられる崇拝と同義の意味合いを帯びているのだ。
伝説の再現と崇拝を一身に集めることでこそ、メシアクラフトは天候すら変えるほどの大規模な奇蹟を行使しながら荒野を行ける。
――――俺は一体、何になってしまったんだろう。
ユウキは杭を打たれたままの身で、メインモニターの先を見つめる。
救世主たるメシアクラフトの心臓、聖遺物の稼働に不可欠な生ける聖体。それこそがメシアクラフトに乗り込むパイロットの存在意義だ。
未だ捨て切れぬ想いの為、そしてカレンを蘇らせる為ならば何に成り果てようと構わないと誓った。それでも操縦桿を握り締めたまま震える指先は、ユウキの裡に否定しようのない恐れが噴き出している証だ。
ただ恐ろしかった。
今、満ち足りている自分が恐ろしかった。
「皆に癒しの奇蹟を与えて、俺は幸せだったのか……?」
清くなれと唱えた瞬間、胸を満たして行ったのはどこか崇高な充足感だった。
輝けるエンジェルハイロゥに照らされる人々を見つめている内に、得体の知れない多幸感がぽっかりと心に空いたままの穴に染み込んで来たのだ。
あの瞬間だけは、自分が自分でなくなっていた。
名前も知らない者たちの為に、我が身を犠牲にしても構わないとさえ思えてしまった。そんな自分が何より恐ろしくて許せない。
「違う」
見知らぬ者たちなどどうでもいい、と自らに言い聞かせる。
カレンを蘇らせるというたった一つの願いを遂げる為に、この地獄を生き延びて来たはずだった。その為ならば他の全てを切り捨てて、メシアクラフトという力を振るう為だけに我が身を捧げて来たはずだった。
病室で誓った時から胸に抱く願いは微塵も変わっていない。それなのに。
「違う、俺はカレンの為だけに戦っているんだ。他の奴が死のうが生きようがどうだっていい……そうだろ」
世界を救う使命という名の十字架を背負い、人造の救世主となる為に創り出されたのがメシアクラフトという存在だ。
故にパイロットは人に留まることを許されないのかも知れなかった。
いつか真に救世主となれる資格を得てしまったなら、きっとその瞬間に自分自身もまた人でいられなくなるのだろうと。いつか人としての心さえ壊されてしまうという破滅への確信は、冷えたタールとなって腹の底に沈んで行く。
――――あの感情を理解してしまった瞬間に、人の心なんて壊される。
神学の解釈によれば、神は人に無限で無償の愛を与えるという。それはアガペーと呼ばれる神が持つ愛の形であって、けっして人が理解出来ていいような感情ではない。
そんなものは神だけが抱いていればいい。
ユウキはぎりりと食いしばった歯の隙間から、獣が唸るような声を上げる。
「それでも乗ってやるさ。俺は俺だけの願いを叶える為に」
たとえどんなに変わり果てようとも、せめて最後の奇蹟を掴むまでは人で在り続けたい。ユウキは裡から湧き上がって来る想いのままに操縦桿を握り直す。
万の人々を先導するメシアクラフトは、その後も数百kmに及ぶ道のりを切り開いて行った。避難民たちがようやく関東平野に足を踏み入れたのは、十回に及ぶ遭遇戦とおよそ三週間の道程を経てのことだった。
* * *
関東平野の上空、北関東の低高度を蒼い十字架が飛翔していた。
三沢基地を後にしてからおよそ三週間後の12月半ば、眼下にはもう見たくもない滅びの大地が延々と広がっている。
おおよそ左側に見えるのは旧栃木県の放棄されて久しい街、右側に見えるのは白い山々。廃墟と山並みにうっすらと降り積もる雪化粧でさえ、ユウキの目には塩の結晶じみて見える程だった。
「ここももう駄目か」
歪な地平線を描く山々の中には標高2000mを超えるような火山もある。そんな起伏の中でぽつんと窪んでいるのは、十年前まで中禅寺湖と呼ばれていた湖だった。
現在の名称は中禅寺死海。
かつて多くの淡水魚が生息していたらしい湖も、今は生物の存在さえ確認できない極めて高濃度の塩水湖だ。
冗談のような話だが、全世界にイコンが現れるようになってから多くの淡水湖が死海と成り果てた。イコンが放つ光を浴びて塩の柱と化した生物の多くは、今や雨水に溶かされて各地に流れ出しているのだ。
そして広大な耕作地もまた深刻な塩害によって放棄せざるを得なくなった。世界は既にこの世から消し去られた数十億人単位の塩と、無数の数え切れない動物たちの塩によって白く満たされている。
メシアクラフトの奇蹟でさえも塩となった生物を元には戻せない。とうに手遅れだった。ユウキがモニター越しに見つめる北関東地区もまた、まさにそういった典型的な破滅を迎えた地の一つに他ならない。
――――それでもやっとここまで辿り着いた。
ユウキがフットペダルを踏み込むと、十字架型の機体は急速に高度を上げて行く。斥候として偵察していた地域にイコンの姿は見当たらない、既に彼らは最終的な目的地である東京を目前に控えていた。
未だ万を超える避難民たちがいるのは後方数十km。
ゴーストタウンと化した街並みを横目に、延々と連なる車列が寸断されて久しい道を進む。そんな過酷極まる旅路にも関わらず、途中で脱落していった犠牲者は百人未満にまで抑えられている。
それはまさしく、ユウキの遺伝子汚染と引き換えにメシアクラフトが起こし続けて来た奇蹟の結果に他ならない。
――――もうそこまで時間が無いな。
メシアクラフトの奇蹟こそが傷を癒し、黒い雨を退け、湧くはずもない食物をもたらし、そして人々を導く為の人造救世主として機能する。そうして積み重ねられた奇蹟の末に、ユウキの背からはさらにもう一枚の羽が生えようとしていた。
さらに進んだ遺伝子汚染はもはや末期の段階にまで進んでいる。それこそがメシアクラフトを駆って人々を導いて来た代償だった。
それもじきに終わる。
機体のカメラアイは遠方に大都市の輪郭を捉えていた。
「見つけた。メシアクラフト01、最終終結ポイントを目視で確認」
メインモニターに拡大表示されたウィンドウに視線をやれば、そこには煤けた東京の街が映り込んでいる。
すなわち延々と南下する脱出行の果てに目指して来た地だ。今や最盛期の0.1%に過ぎない人々が身を寄せる旧首都東京はゴーストタウン寸前、それでも辛うじて街の体裁を整えている人類最後の拠点の一つだ。
そして東京の上空には、二つの蒼い十字架が浮かんでいた。
それぞれ一つずつのエンジェルハイロゥで摩天楼を照らし出す十字架たちは、今もまさに周囲数百km圏内に警戒の目を光らせている。
ユウキはモニターに表示された識別情報を読み取ると、やはりそれらが紛うことなき同類であることを確かめた。
「あれは西海岸とシベリア連邦管区に配備されていた機体か、まだ俺以外にもいたとは」
ユウキのメシアクラフト初号機、第九号機、第十号機。
一箇所に集まった三機もの機体は全て、人類側が造り出した神学的決戦兵器の生き残りたちだ。元々は海外に配備されていた機体がここに居るということは、つまり既に守るべき地を喪っているという事に他ならない。
もうこちらに後は無い。
そんな事実が否応なくユウキの脳裏をよぎって行く。
世界各地で地獄にも等しい戦いを生き延びたたった三機のメシアクラフトは、全ての始まりの地である東京近郊へ結集している。ここに人類が持てる残存勢力を結集した、対イコン戦争最後となるかも知れない反抗決戦が始まろうとしていた。
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