4-10

 静かな室内に時計の針の音が響いている。暗闇が訪れた窓の外では止まない雨が降っていた。

散らばった衣服を身につけて、玲夏は洗面所でメイクを直した。泣いた跡が目立つ。明日は化粧品の広告撮影があるからメイクで上手くカバーしてもらおう。


 早河はまだベッドで眠っていた。眠る彼の唇にそっと唇を重ねる。

これが最後のお別れのキス。


「……さよなら」


 合鍵をテーブルに置いて、泣きそうになるのを堪えて彼女は玄関を出た。外に出ると肌寒い闇夜を雨粒が切り裂いている。

駅前でタクシーを拾おうか、それともマネージャーに迎えに来てもらおうか……。

玲夏の水色の傘に当たる雨の音が彼女のすすり泣く声を掻き消してくれていた。


 寝たフリをしていた早河は玄関の扉の閉まる音で目を開けた。最後のキスも玲夏のさよならの言葉も彼は知っている。


ベッドから身を起こし、さっきまで玲夏が寝ていた場所に触れた。そこには玲夏の体温と香りが染み付いていた。


 愛があるのに別れを選ぶ

 愛があるから別れを選ぶ


 さよならをする前に。

 愛を確かめ合う

 さよならをする為に。

 愛を確かめ合う


 荒れ放題だった部屋は玲夏が掃除して綺麗に片付いていた。炊飯器からは炊きたての白米の匂いが漂っている。

今はその平和で家庭的な匂いさえも煩わしく感じる。手を伸ばせば手に入れられたかもしれないものを彼は手離した。


 玲夏が作った煮物が鍋の中で冷たくなっている。早河は指で鍋の中の具をつまんで口に入れた。いつもの玲夏の味付けはとても美味しくて、泣きたくなった。


“さよなら”の言葉は言う方と言われる方、どちらが辛い?

“さよなら”は言う方も、言われる方も、どちらも辛い。


 漂う家庭的な匂いに背を向けて早河は煙草をくわえた。口内に残る玲夏の煮物の味をわざと消すように、彼は立て続けに煙草を吸った。

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