3-9
日が沈むと夏の嵐は勢いを増した。美月とキングは赤坂ロイヤルホテルを出て雨の街へ舞い戻る。街のネオンと車のヘッドライトが濡れた光を放っていた。
無言の車内にライターの金属音がして、美月は左側の運転席に顔を向けた。
「キングって煙草吸うんだね。なんか意外」
『考え事する時はね。煙草、嫌だった?』
「ううん。大丈夫」
煙草は慣れている。今の彼氏も愛煙家だから。それに去年のあの人も……。
(まただ。キングと一緒にいるとどうしても佐藤さんのこと思い出しちゃう。なんでなの? キングと佐藤さんが似てるから?)
横目でキングを盗み見た。細く開けた窓からキングが吸う煙草の煙が外に流れていく。
(キングと佐藤さんって顔は全然似てないけど持ってる雰囲気や口調が似てる気がする。だからキングと二人で居ても嫌な感じがしないんだ。キングにキスされても嫌じゃなかった)
『ねぇ美月。君にひとつ聞きたいことがあるんだ』
「なに?」
『美月はこの世に神はいると思う?』
「……え?」
『果たしてこの世に神はいるのか。美月はどう思う?』
口の端だけを上げて笑うキングの顔が今までの穏やかな微笑みと違って見えたのは美月の気のせいか……?
質問の意味がわからず、美月は首を傾げる。戸惑う美月の様子を察して彼は笑った。
『ごめんね。変なことを聞いてしまった。気にしないでね』
車が路肩に寄って停車する。キングの細長い指が美月の頬に触れ、彼女の滑らかな頬を優しくなぞる。
「……大丈夫?」
『なにが?』
「今のキングは悲しそうな顔してる」
『美月にはそう見えるのかな。美月と一緒に居られて私はとても幸せだよ』
抱き締められて彼の心臓の音を聴く。ドクドクと一定のリズムで刻まれる心音にこの作り物の彫刻めいた顔の男が生きている人間であると美月に実感させた。
「キングの本名は何て言うの?」
『知りたい?』
「うん。だってキングは私のこと色々知ってるのに私はキングのこと何も知らないもん。キングだけずるいよ」
『はぁ……本当に君は可愛いことばかり言ってくれるね。どうしようかな』
キングの腕の中で美月は顔を上げる。こちらを見つめる彼の、黒ではない茶色っぽい瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「名前言いたくないの?」
『……わかった。美月には特別に教えてあげよう。私の名前はね……』
キングは美月の耳に唇を寄せて囁いた。
――自分の名前を。
再び走り出した車が美月の自宅近くで停まる。
『美月、元気でね』
「もう会えないの?」
『そんなことを言われると手離せなくなるなぁ。そうだね、もしかしたらまた会えるかもしれない。君が志望校に合格して大学生になったらまた会いに来るよ』
美月の志望校をキングは知っている口振りだ。
「やっぱり不思議なんだけど私のことどうやって調べてるの?」
『その答えは私がキングだから、としか言えないな』
彼は澄ました顔でまた煙草をくわえている。美月が車から降りると、あんなに降っていた雨は止んでいて湿った空気が肌に触れた。
彼の車が走り去るのを見送った時に心に残されたものは寂しさか、安堵か。
帰宅した美月は夕食後に本日二度目の風呂に入った。どんなに広くて立派なバスルームよりも自宅の風呂場が一番落ち着く。
舞踏会後のシンデレラの魔法が解けるみたいに、ホテルの高級感溢れる香りが身体から消えた。
「きじま……ゆうせい……かぁ」
湯船に浸かりながら教えてもらった彼の名前を呟いた。きじまゆうせい……どんな漢字を書くのだろう?
――私の名前はね、キジマ ユウセイ。覚えていてね――
そして彼が言っていたあの言葉も……
「この世に神はいるのか……」
湯気の立つ水面がチャプンと揺れた。
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