第三章 忍び寄る陰

3-1

8月11日(Sat)午前10時


 都心から離れた郊外の静かな霊園。ここに早河の両親の墓がある。今日は12年前にこの世を去った父の命日だ。

両親の墓に花を添える。


『親父……教えてくれよ。親父は何を追っていた? 何が親父をそこまで動かしていたんだ?』


物言わぬ墓石に問いかけても答えは返らない。聞こえるのは木々が風に揺れる音のみ。


『早河』


 墓と墓の間の狭い通路を上野警部が歩いてくる。彼は手に花束を持っていた。

上野が今日この時間に墓参りに来ることは上野本人から告げられていた。だから早河も同じ時間にここに来た。上野に真実を聞くために。


 早河が備えた紫色のトルコキキョウと上野が備えたピンク色のナデシコの花が並ぶ。どちらも早河の母、美知子が好きな花で、生前の父が母の墓石に添える花は決まってトルコキキョウかナデシコだった。


『警部、親父が追っていた組織について聞きたいことがあります。親父が刑事を辞めた後も警部はたびたび親父に協力していましたよね? あの頃、よくうちにも警部は来ていました。12年前に親父に何があったのか警部は知っているんじゃないですか?』


線香と花を添えて手を合わせる上野の背中に問いただす。上野は肩をすくめて立ち上がった。早河に隠しておくのもそろそろ潮時のようだ。


『1965年に起きた世田谷無差別殺人の辰巳佑吾……知ってるよな?』


 あえて早河の顔は見ず、上野は早河家の墓石を見つめたままその名を口にした。背後に早河の視線が突き刺さる。


『辰巳は心神喪失で少年刑務所に服役後、出所したと聞いています』

『そう。辰巳は出所後、犯罪組織を創った。それが犯罪組織カオス。親父さんが追っていた組織だ』


上野はポケットから取り出したライターを握り締めた。ついにこの日が来た。早河武志に代わって息子の早河にすべてを話す役割はやはり自分の務めなのかもしれない。


『では親父を殺したのは辰巳佑吾?』

『ああ。親父さん……早河武志さんは美知子さんのために生涯をかけて辰巳を追い続けた』


突如、母の名前が出て早河は困惑する。


『美知子さんは事故で亡くなったんじゃない。辰巳の部下に殺されたんだ。辰巳の指示でな』

『なんで母さんが……』

『武志さんが刑事時代に担当した事件にカオスが関係していることを知り、武志さんは独自にカオスの調査を進めていた。カオス創設者であり最高権力者でもある辰巳もまた、武志さんの身辺を調べていた。辰巳の本来の狙いは早河、お前だったんだよ』


 上野は早河武志の形見のライターを何も言わずに彼に渡す。早河は手の中の銀色のライターを見下ろした。


『俺が狙いだったって……?』

『お前が3歳くらいの頃、休みの日に家族で遊びに出掛けた時のことだったそうだ。辰巳は部下を使って幼いお前を殺そうとした。美知子さんは武志さんの目の前で……お前を庇って亡くなったんだ。俺が警視庁に配属されて武志さんの部下になった時にはもう、武志さんは辰巳とカオスを追い詰めることしか考えていなかった』


ずっと事故で死んだと聞かされていた母の死の真相。父も母方の祖父母も、父の死後に居候させてくれた父方の伯父夫妻も、誰も本当のことを教えてくれなかった。


『これが武志さんが命を懸けて辰巳佑吾を追い続けた理由だ。俺の手で必ず辰巳を牢屋にぶちこんでやる、武志さんの口癖だった』


 漂ってくる線香の香りと夏の匂い。感じるのは静寂と空虚と物悲しさ。

早河は空を見上げた。見えるのは夏の青空と威勢よく輝く夏の太陽。


『……門倉唯の誘拐事件で俺に電話をしてきた犯人と同じような口調で話す男に心当たりがあります』

『なに? 本当か?』

『はい。名前は貴嶋佑聖、俺の高校の同級生です』


 二人は早河家の墓石に別れを告げて霊園の石段を降りていく。


『キジマ……その男は今どこにいるんだ?』

『わかりません。貴嶋は……12年前に突然いなくなったんです。12年前の8月10日、それが貴嶋と最後に会った日でした』

『10日と言うと武志さんが亡くなる前日だな』


 早河は頷く。早河と貴嶋が最後に会った日は8月10日、翌日に父の武志は辰巳佑吾に殺された。


 ――この世に神はいると思う?――


あの日の貴嶋の意味深長な質問がリフレインする。


『親父の12年前の8月10日の日記に書いてあったんです。“仁と彼が一緒に歩いているところを見た”と。俺と母さんのためにもすべてを話さなければいけない……とも。俺はその日、貴嶋と一緒にいたんです。親父の日記にある“彼”とは貴嶋のことだと思います』


 上野は黙って早河の話を聞いていた。少しずつ揃っていく欠けていたピース。少しずつ取り戻していくあの夏の記憶、少しずつ鮮明になる逆光の向こう側。


『母さんが事故死じゃなかったと知って俺の中で何かがひとつに繋がった気がします。母さんのためと親父が言うからには、もしかしたら母さんの死と貴嶋が何か関係があるんじゃないかと……』


 石段を降りると駐車場が見える。盆休みに突入した土曜日とあって、駐車場の半分は墓参りに訪れた者達の車で埋まっていた。


『お前はカオスとキジマが繋がっていると考えているのか?』


上野の車の前で二人は立ち止まった。早河は溜息をついてうなだれている。


『俺、貴嶋のこと何も知らないんです。アイツと一緒にいた期間は半年もなかった。家族構成もどこに住んでいるのかも……何も知らないままアイツは俺の前から消えたんです』

『わかった。キジマについては俺も調べてみる。お前は今日はゆっくり休め』


上野は早河を慰撫し、先に霊園を後にした。上野の車を見送った早河も自分の車に乗り込む。


 先ほど上野から受け取った父の形見のライターを光に照らした。

ライターには父のイニシャルのT.Hの刻印。早河武志から上野へ、そして息子の早河の手元にやって来た古びた銀色のライターは何を物語っているのだろうか。

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