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 今夜も蒸し暑い熱帯夜。夏の夜の大都会には浮かれた人々が集まっていた。

早河は警視庁から自宅のある広尾までの道のりを車で走り抜ける。


 明日は父親の命日で休みをとってある。今夜中に事件が起きて緊急の召集でもない限り明日の早河の予定は非番のままだ。

去年の父の命日は殺人事件の捜査で休みを返上して働いていた。一昨年もその前も休めなかった。

父親の命日にまともな休みをもらえるのは警視庁に配属されて初めてのことだ。


(そういえば去年の夏に捜査していた事件はあの静岡の事件だった。……ラストクロウ)


 その名前が頭に浮かぶ。去年の夏、静岡の海沿いの町で起きた連続殺人事件。

(※早河シリーズ序章【白昼夢】)

早河は事件の犯人が裏組織に所属している情報を掴んだ。犯人の組織での呼称がラストクロウ。


 情報によればその組織はヤクザと宗教団体が混ざったような組織だと聞いているが、組織についてあれから新たな情報を得ることはなかった。


(親父を殺したのもどこかの組織の奴だった。でも親父を殺した奴のことはよく知らないんだよな)


どこにでも似たり寄ったりの犯罪組織はあるものだ。摘発しても名前を変えて次々と湧いてくる。警察と犯罪者の鬼ごっこは終わらない。

父を殺害した犯人もすでに死んでいる。知ったところでどうすることもできない。知る必要がないと今までは思っていた。


(なぜ親父は警察を辞めてまで組織を追っていたんだ? 俺は何も知らない。上野警部も親父がその組織を追っていたと言うだけで他には何も……)


 ハンドルを握り締めた。過ぎていく街の灯りと車のヘッドライトが眩しかった。


 知らないことが多すぎる。どうして父は人生を捧げてまで犯罪組織を追っていたのか、その理由がどこかにあるはず。


 自宅に帰りつくと冷房を入れるのも後回しにして早河は押し入れを開けた。奥に仕舞い込んだ父の遺品の入る段ボールを引っ張りだし、中身を探る。

見つけたものは古びたB6サイズの冊子。当時、父が日記にしていたノートだ。ノートに書かれた西暦は今から12年前の1995年。


早河は8月のページを探した。筆無精な父は気が向いた時にのみ日記をつけていたようで、6月の日付からはしばらく記述がなく、7月を飛ばしていきなり8月2日の日記が現れた。

8月2日の次に書かれた日記は8月10日。気まぐれな父らしい変則的な日記に最初は苦笑も漏れた。だが10日のたった数行の記述を見て彼の顔から笑みが消えた。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 8月10日 晴れ

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

仁と彼が一緒に歩いているところを見た。

学校の帰りだろう。楽しそうに笑っていた。

やはり仁には話さなければいけない。

仁のためにも美知子のためにも。

明日、仁にすべてを話そう。

――――――――――――――――――


 冷房をつけるのを忘れていたのもあるが、額から流れ落ちる汗は暑さだけのものではない。動悸が激しい。どうして、どうして……


(彼って誰のことだ?)


何度も日記を読み返しても意味がわからない。すべてを話す、その言葉の意味とは。


(母さんのため? 12年前の8月10日?)


呼吸が荒くなる。胸が苦しい。


――夏……

――蝉の鳴き声……

――あの日は暑かった……

――離れていく影法師…………


 夏の日差しにぼやけた影の輪郭。逆光の向こう側にあるものは12年前の記憶。

12年前、早河仁が高校2年生に進級した年。東京23区からは外れた東京都の郊外の街で早河は平凡で退屈な日々を過ごしていた。


早河の通う高校は大学進学組と就職組が半々の、偏差値も普通ランクの共学校。この学校を選んだ理由は家から自転車で通える距離にあり、公立高校で学費も安い。それだけの理由。

それなりに友達もいて彼女もいた。将来の夢もなく単調で代わり映えのしない日々を消費するだけの毎日に飽き飽きしていても、平凡な高校生らしい日常だった。


 新しいクラスが編制されて1ヶ月が過ぎた皐月の季節。早河のクラスに転校生がやって来た。

色白で目鼻立ちの整った線の細い印象の男子生徒だ。


 高校生は皆、体格やタイプの違いはあれど中身はさして変わりはない。髪にこだわり、パーマや染髪をする者、アクセサリーや香水を身につけ制服を着崩す校則違反常習者は“不良”区分。

制服を規定通りに着ておとなしく授業を受け、大学進学クラスに属す“優等生”区分。

堂々と校則違反はしないが、かといって優等生でもない“普通”区分。男子も女子も大抵はこのどれかに当てはまり校内での立ち位置やカーストを確認している。


異なるのは見た目だけで中身は全員十代の年相応の高校生。まだまだ子供だ。少なくとも早河にはそう見えていた。

だが転校生はどの区分にも当てはまらない人間だった。


 転校生の焦げ茶色の髪の毛は地毛らしく、瞳の色も日本人のそれとは微妙に違っていた。細身の体躯に長い手足、校則通りに纏った詰め襟の学生服は彼には窮屈そうだ。

彼の容姿は端整と表すのが適切だった。それでいて紳士的な物腰の彼は“精神年齢小学生”の高校男子の中では異彩を放ち、女子からはリアル王子様と噂されていた。


 そんな目立つ風貌と女子生徒の噂の的になっていたこともあり転校生の彼は校内でも有名な不良グループの標的になっていた。

他人に無関心な早河には不良グループが転校生をパシりに使おうとイジメの標的にしようと知ったことではない。


 教室でも早河と彼の席は遠く離れていて話す機会もなかった。だから穏やかな笑みを浮かべて女子生徒と会話をする彼を、英語の授業で発揮された流暢な英語の発音や語学力のレベルが一般の高校生レベル以上だった彼を、サッカーやバスケも器用にこなす彼を、特に気にしたことはなかった。

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