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 翌日、7月22日の早朝に門倉唯は発見された。門倉家近くの公園のベンチに寝かされていたところを近隣住民が発見し、無事に保護された。


後の門倉唯の事情聴取で彼女は犯人の顔は見ていないと証言した。誘拐事件は事件発生の4日後に少女を保護する形で呆気なく幕を閉じたが、肝心の犯人の手がかりは無いに等しかった。


 そうして門倉唯誘拐事件並びに門倉元警視総監射殺事件から3週間が過ぎた。どちらも手がかりは掴めず捜査は行き詰まっている。


 季節は8月になり、お盆休みの大型連休を迎えようとしていた。

早河は今日も受けたくもない昇任試験の参考書を広げつつ、頭の中では別のことを考えていた。が誰なのかこの3週間ずっと考えている。


 あの口調……あの妙にかしこまった上から目線の話し方は……


――蝉の鳴き声が聞こえる

――太陽が眩しくて、あの日は暑かった。

――あの日? あの日はいつ?


――夏、蝉の鳴き声、逆光

――離れていく……のは影?

頭の奥がズキッと痛んだ。


『……河、……早河!』


遠くで誰かに名前を呼ばれた――


『……え?』

『おい、大丈夫か?』


 顔を上げると同僚の原昌也がこちらを見下ろしている。早河は額に手を当てた。うっすら汗が滲んでいる。


『原さん……いつの間に?』

『いつの間に? じゃねぇよ。さっきからずっといたぞ。意識トリップしやがって』


強面で口調は荒いが陽気な性格の原は香道と同い年の先輩刑事。昨年から原は早河と同じ上野警部の班の所属になった。


『香道知らない? どこにも姿が見えねぇんだ』

『いいえ……。でも香道さん最近よくひとりで出ているんですよね。捜査ってわけでもなさそうなんですけど、バディの俺に行き先も告げずに出掛けるなんて今までなかったのに』

『もしかしたら彼女に会いに行ってるとか。香道の彼女って医者だっけ』


 原は早河のデスクに山積みになった昇任試験の参考書を口笛を吹きながらめくり始めた。原はすでに警部補に昇進している。


『まさか。香道さんは職務中にそんなことしませんよ』

『そうでもしないと会えないだろ。そろそろ結婚……みたいなことアイツ前に言ってたなぁ』

『指輪のカタログ広げて悩んでましたね』


 香道は小児科医の恋人と結婚を考えているらしいがプロポーズをしたとの話はまだ聞いていない。香道と言えば、彼の妹のなぎさはあれからどうしたのか……。


『お前も本庄玲夏とはどうなんだよ?』

『まぁぼちぼちです。原さんこそモデルの女の子とはどうなったんです?』

『あれはもう終わった。俺には気位高い女は無理だった』


 事件と事件の合間の日常で交わされる男子高校生と大差ない束の間の雑談。

香道の不在を訝しみつつ、早河はまた物思いに耽る。


 夏、蝉、日差し、影……もう少し、もう少しで手が届きそうなんだ。何かを掴めそうなんだ。


(夏……親父が死んだのも夏だった)


 今日は8月10日。明日は父親の命日だ。

12年前、高校2年生の夏休みに父親は死んだ。父の死因の大まかな事情はかつて父の部下であった上野警部から聞いている。


父の早河武志は刑事時代からある犯罪組織を追っていた。警察を辞めて探偵になった後も父はその組織を追い続けた。

12年前の8月11日に組織のトップを追い詰め、そして殺された。そのトップも死んだと聞かされた。


早河は天井を仰ぎ見る。


(どうして俺は刑事になった?)


 幼少期に母を亡くし、父が死んで天涯孤独になった早河は高校卒業まで父方の伯父夫妻の家に預けられた。伯父夫妻は早河を快く受け入れ、大学進学まで薦められたが金銭的に裕福とは言えない伯父夫妻にこれ以上迷惑をかけたくなかった。


高校を卒業後に働くつもりでいた早河が最終的に選んだ道は父と同じ警察官の道だった。伯父夫妻には命の危険も伴う道だと反対されたがそれでも早河は警察の道を選んだ。


 3年前に新宿西警察署から警視庁捜査一課に異動になり、先輩刑事の香道秋彦とバディを組んだ。

香道とは新宿西警察署にいた頃に未成年者の違法薬物使用事件とそれに関連した殺人事件の警視庁との合同捜査本部で顔を合わせたことがあった。

あの頃はまさか自分が警視庁に配属になり香道とバディを組む未来が来るなんて予想もしていなかった。


 恋人の本庄玲夏とは警視庁に配属されて数ヶ月後にテレビ局で起きた殺人事件を通じて知り合った。テレビ局の局員が殺害されたその事件では早河が玲夏に事情を訊ねる機会があり、刑事と女優と言う絶対に交わらない人生を歩んでいた二人の人生が交わった瞬間だった。


翌年に偶然にも玲夏の幼なじみの小山真紀が警視庁捜査一課配属になり、真紀の計らいで早河と玲夏は再会した。早河と玲夏が惹かれ合い、恋人になったのもごく自然な流れだった。


 あの頃の玲夏は野心に燃えていた。主演女優となった今も彼女の向上心や野心の炎は燃え続けているが、早河と出会ったばかりの玲夏はまだ女優としては駆け出しで、ヒロインの恋敵や脇役を演じることが多かった。


“私は絶対に主演を張る女優になってみせる”あの頃の玲夏の口癖だ。早河にはそんな玲夏が眩しく見えた。自分にはそんな風に言える夢も目標もない。

父と同じ警察官の道を選んだ理由も“なんとなく”だった。


 毎日毎日、終わりのない事件と戦うだけの日々。

何のために刑事を続けているのか? 自分は何のために戦っているんだろう?

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