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 話を終えて先に資料室を出た香道が捜査一課に戻ると、憂鬱な顔をした早河が頬杖をついていた。


『早河、少し仮眠しろよ。顔色悪いぞ』

『……犯人の狙いは俺かもしれません』


気落ちした声で早河は言った。


『どういうことだ?』

『犯人からホテルに電話がかかってきた時、奴が俺に言ったんですよ。“久しぶりに彼女と会えて……”と。彼女とはあの部屋にいた玲夏のことです』

『お前と玲夏ちゃんの関係を知っていたのか。お前の周囲の人間関係を調べていたのかもな』

『身代金受け渡しに俺を指名したことも気になります。俺達を振り回すだけで犯人は金を手にしていない。結局あのホテルに爆弾は仕掛けられていなかったですし、身代金の要求も警視総監に要求するには五千万の金額は少ないでしょう』


 実際に爆破されたのは隣接する台場公園のみ。取引相手に刑事を指名し、場所を指定したわりには犯人が金を受け取る素振りは全く見られなかった。


『他に気付いた点は? 犯人の口調はどうだ?』

『声はボイスチェンジャーで変えていました。ただ、あの口調は前にどこかで聞いたことがあるんですよね。かなり昔に……ぼんやりとしていて思い出せないんですけど』


 香道は早河を見据えた。先ほど上野警部から聞いた犯罪組織カオスの話、早河の父親がカオス創設者の辰巳に殺されたこと、もしもそのカオスが復活していたとして……。


(カオスと今回の事件を結び付けているものはない。……いや)


ひとつだけ、犯罪組織カオスと今回の事件を繋げるものがある。


『香道さん? どうしました?』

『いや……なんでもない』

『俺よりも香道さんが仮眠とってくださいね』

『ああ。そうするよ』


 香道は軽く笑って早河から離れ、廊下の自販機の手前まで歩いた。特に喉の渇きは感じないが小銭を入れていつもは選ばない炭酸飲料のボタンを押す。


タブを空けると炭酸の軽やかな音が鳴る。ひとくち喉に流し込んで廊下の隅のソファーに腰掛けた。壁に貼ってある小学生が描いた防犯ポスターは右下の隅がノリが剥がれてめくれていた。


(カオスと今回の誘拐事件を結び付けているものがひとつだけある。門倉警視総監だ)


 早河の父親、早河武志の当時の上司だった門倉は武志の動きを監視する役割を担っていた。その門倉の孫が誘拐され、門倉は何者かに射殺。


(でもそれだけなんだよな。いくら門倉警視総監が早河の親父さんの元上司だったとしても、殺されたのは総監本人だったわけで)


 どうにも犯人の真意が読めない事件だ。カオスの件はまだ早河には言わないように上野にも念押しされた。

これは早河の問題だ。自分が思い悩んだところで仕方ないが、早河の両親の死の真相を知ってしまったことにはやはり気が滅入る。


 香道は携帯電話のアドレス帳を開いた。カ行の欄からある名前を選んで表示する。

表示された名前は桐原恵。


(もう1ヶ月以上は会えてないな……)


        *


『みんな集まってくれ』


 午後3時過ぎ、捜査一課のフロアに戻ってきた上野が自分の班の人間を集めた。


『門倉唯誘拐犯から警視庁宛に動画が届いた。これだ』


 上野がパソコンのモニターを操作すると画面には無音の映像が流れ始めた。灰色の空間にいる小さな女の子が涙を溜めてこちらを見ている映像だ。

顔写真と見比べて見てもこの少女が誘拐された門倉唯本人で間違いない。


「これ……まさか爆弾ですか?」


真紀が少女の身体に巻かれているものを指差した。早河や香道もそれを凝視している。


『おそらくな。発信元と映像は解析中だがリアルタイム映像ではなく録画のようだ。動画と一気に送られたメッセージには犯人の次の要求も書かれていた。早河、今日の午後6時までにお前ひとりでこの場所に来い、との指示だ』


 またしても早河を名指しする正体の見えない犯人に彼らは翻弄されていた。

科捜研の解析結果では動画が撮られた場所は大田区の工業地帯にある工場と推定されたが、大田区内のどの工場かは判明していない。


 早河は上野警部、香道、真紀、そして同じ班の原昌也と共に大田区に向かう。現在時刻は午後4時20分、犯人が指定した午後6時まで2時間もない。


金属の加工音が鳴り響く夏の午後の工業地帯を早河達は走り回った。道の途中ですれ違う近所の子供達と門倉唯の姿が重なる。


 世間は夏休みだ。本来なら門倉唯も楽しい夏休みを過ごしていただろう。こんな大人の汚れた争いの被害者に子供がなっていいわけがない。必ず助ける。

散々走り回って疲れて重たくなった足を引きずって早河は工場が並ぶ道を進んだ。


 捜索を開始して間もなく1時間になる午後5時10分、早河の携帯にまた非通知で着信があった。一緒にいた香道と目を合わせると香道が頷いた。早河も香道に頷き返し、通話ボタンを押す。


{頭をひねって考えてみたかい?}


今日のお台場での身代金受け渡しからこの機械的な声を聞くのは三度目だ。


『お前の狙いは俺だろう?』

{正解。よくできました}


こちらを小馬鹿にした物言いに腹が立つが、挑発に乗れば相手の思うつぼだ。


『どうして俺を狙う?』

{それは過去からの因縁とでも言っておこう}

『因縁?』


因縁とはどういう意味だ? やはりこの口調は昔どこかで…


{日本の警察もなかなか優秀だね。制限時間を18時にしたのは少々甘かったかな。それでもいい運動にはなっただろう?}

『ふざけるな。唯ちゃんはどこだ?』

{人質が助かるかは君次第だよ。優秀な君のために制限時間を変更しよう。17時30分までにあの動画が撮られた場所まで来るんだ}


早河は腕時計を見た。今は5時13分。


『あと15分もないじゃないか!』

{できるよ。君ならね}


 通話が切れたと同時に早河は走り出した。香道が彼の後を追う。


『早河! どうした?』

『犯人はどこかで俺達を監視しているのかもしれません。今の電話、まるで俺の様子をどこかで見ているような口振りでした』


走りながら早河は言う。二人は人通りの少ない脇道に入った。


『奴がこちらの動きを見ている可能性はあるな。……ん? 早河、今なにか聞こえなかったか?』


 香道が立ち止まり、左右を見回している。数メートル先で早河も立ち止まって耳を澄ます。


『……子供の泣き声?』

『こっちから聞こえる』

『香道さん待ってください。俺ひとりで行きます。それが犯人の指示です』

『わかった。気を付けろよ』

『はい』


 早河は泣き声が聞こえる方向に向かった。近付くにつれてだんだん泣き声が大きく聞こえる。

そこは廃業となり今は使われていない工場だった。扉は施錠されていない。


 息をひそめ、辺りを警戒してゆっくり進む。薄暗い灰色の空間の中に椅子に座った少女がいた。


『唯ちゃん! もう大丈夫だよ……』


 少女の顔を覗き込んだ早河は絶句する。少女には顔がなかった。

正確には顔と呼べる部分はあるが本来あるべき目と鼻と口がない、のっぺらぼうの人形だった。

人形の膝の上には小型レコーダーがある。子供の泣き声はそこから再生されていた。


『クソッ……!』


 早河は人形が座る椅子を蹴り飛ばした。椅子は倒れ、人形とレコーダーが音を立てて床に落ちる。見計らったようにまた非通知の着信が響いた。


『おい! なんだこれは!』

{これくらいで感情的になってはダメだなぁ}


機械的な声は笑っていた。


『こんなことをして何が楽しいんだ?』

{楽しいよ。君がどんな刑事になったのか、もっと私に見せてくれよ}

『お前……誰だ?』

{まだわからないかい?}


 早河は無言で瞼を閉じ、こめかみを押さえた。掴めそうで掴めない、日差しでぼやけた影法師。


 ──遠くで……

 ──蝉の鳴き声が……


{さて、問題だよ、早河くん。私は誰でしょう?}


 無情に途切れた通話。誰もいない廃工場に虚しく生暖かい夏の風が吹いた。



第一章 END

→第二章 夏の記憶 に続く

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