第五話 秘密③
「あら、いらっしゃい。思ったより早かったのね。さぁ、上がって頂戴」
おばあさんに勧められて俺たちはリビングへ通された。俺とナナちゃんはパッチワークで作られたカバーを敷いたソファに座る。
「実は今日お訪ねしたのは査定が完了したからではないんです」
「あら、違うの?」
「アソウさん、あの本を」
ナナちゃんにそう言われ、俺は布に包んで持ってきた本をおばあさんに見せた。
「これに見覚えはありませんか?」
「全然ないわ。この本がどうかしたの?」
不思議そうにおばあさんは俺の顔を見上げる。
「あの書斎にあった本の中に紛れていたのですが、おそらくおじいさんが書いていた小説だと思います」
「おじいさんが……?」
心当たりがないようで、おばあさんは不思議そうに本を手に取った。ぱらぱらとめくっていくと、おばあさんの顔が綻んでいく。
「あらあら、やだわ。おじいさんの字じゃない!」
「本当に?」
俺には少し信じられなかった。
「本当よぉ。おじいさんってば部屋に籠って小説なんて書いていたのね。しかも、内容も私の故郷のお話よ」
「お客様の故郷のお話ですか?」
興奮しながら本に目を通すおばあさんにナナちゃんが聞く。
「そう。ここには私、お嫁に来たんだけど、私の故郷は海辺にあってね。冬になると大雪が降って。この本に書いている通り!」
それならあの書斎にあった本たちは資料の為に置いてあったのだ。だから水の魔法や氷の魔法が多かった。いや資料のためだけではないだろう。
「おじいさんは小説だけじゃなくて、魔法の研究もしていたみたいです」
「魔法の研究?」
「はい。本を貸してもらえますか」
俺はおばあさんから本を受け取って、最初のページをめくった。
「僕がやっとたどり着いた村は、雪の中にひっそりと隠れていた」
冒頭の一節だ。俺は来いと一言。
「まぁ」
おばあさんは感嘆の声を漏らす。本の上にだけだけど、雪の結晶が現れた。すぐにパラパラと崩れていくが、それがかえって幻想的だ。
俺はページをめくり、開いたページを読み上げる。
「村に帰るとモンスターを倒した礼だと言って、村人たちが宴を開いてくれた」
すると今度は本から低音の笛の音が鳴りだす。
「これは私の村の笛の音に似ているわ」
胸に手を当てて、目を閉じているおばあさん。ナナちゃんは感極まったのか目元を拭っていた。
「この他にもたくさんのささやかな魔法が込められています。他の魔法書と比べたら、本当に途方もない量の魔法が」
極々小さな魔法ではあるが、数ページごとに魔法が込められている。
「これはこちらで売ることは出来ません。お返しします」
「おじいさんが魔法書を書いていたなんて。しかも、私に馴染みのある話ばかり。もう、それならそうと言えばいいのにねぇ」
おばあさんはしわを深くして笑い、その魔法の本を胸に抱いた。
俺たちは少し寄り道して町が見渡せる高台に来た。
『じぃさんは魔法は使えないけれど、微量な魔力があったんだろうな。だけど本に魔法が宿っているって気づいていたかどうかは微妙なとこだと思うぞ。魔法書は使おうと思って使わないと出てこないからな』
そばに誰もいないからか、ジニーは鞄の外に出てきた。でもジニーが言う通りなら謎が残る。
「魔法の研究じゃなければ、なんで魔法書を?」
「魔法書は魔法の事に事細かに書いています。おじいさんの書かれた小説には魔法を使うシーンも多くありました。その参考にするためじゃないですか?」
「そうかな? まぁ、こればっかりはおじいさんに聞いてみないと分からないけど」
そのおじいさんはもういない。俺は心の中で、自分の魔力に気づいていてその研究のためだったんだと勝手に結論付けた。
「だけど、危ないとこだったよな。俺たちに買取依頼しなければ、気づかれないままだったかもしれないぞ」
「おじいさんも本は出来上がっていたのだから、お客様に秘密にしなくてよかったのにと私は思います」
町の屋根を眺めているナナちゃんの目元はやっぱり赤い。
「でも小説書いていることを言うのって恥ずかしいと思うよ。そうでなくたって、一つや二つ、ナナちゃんも秘密があるだろ」
まあ、一つや二つというより、彼女自体を俺はよく知らないのだけれど。
「そんなこと、は……」
「え。そんな真面目にならなくったって」
押し黙ったナナちゃんに俺の方が焦ってくる。
「私、本当は」
『あー、ナナ言っちゃうのか』
「ジニーは知っているのか?」
知らなかったのは自分だけ。とはいえ、ナナちゃんがずっと黙っていたことだ。それを聞かされると思うと変な汗が出てくる。
「本当は私、身体が弱いんです」
「え?」
妙なことを言うと思った。
ナナちゃんは身体が弱いどころか元気も元気だ。この日もスタスタと早足でおばあさんの家に歩いたし、リアカーを押すのだって肩で息をしていたぐらいだ。そもそも、重たい本の持ち運びの多い古書店では身体が弱いと働けない。
ちらりと横目でだけナナちゃんが俺の顔を覗いてきた。
「おかしいと思いましたよね。ジニーの魔法で身体を強くしてもらったんです」
「あ……」
俺は宙に浮かんでいる魔法書を見た。この魔法書は不可能なことでも、やってのけてしまうのだ。
「私は子供のころからずっと入院して過ごしていました。たまに外出許可が出ても、熱が出てすぐに病院に戻ってきて。楽しみと言えば、親が買って来てくれる本を読むことぐらいでした」
それは簡単に想像できた。ベッドの中で出来る娯楽は限られてくる。ナナちゃんの親はゲームを与えたりする親ではなかったのだろう。
「それから中学まで入退院の繰り返しだったのです。高校に行けるとは思っていませんでした。ただ祖父母の家の近くなら空気も綺麗で過ごしやすいだろうということになって」
「うちの高校田舎だもんな」
おばあさんの故郷じゃないが、海が近くにある。
「本当は4月からの入学だったはずが、体調が整わなくて、学校に行く日が伸びていきました。それでアソウさんに出会ったのが登校初日です」
「それは随分伸びたな」
あの時俺たちはブレザーの下にセーターを着ていた。
「でもよかったじゃん。ジニーに魔法で治してもらったんだろ」
「それは違います」
ナナちゃんは首を振る。
『実は魔法じゃ完全に治らなかったんだよね。怪我を直すのは得意だけど病気は……』
「え。それじゃ、ナナちゃんは?」
横に立っている白いワンピース姿の女の子は、ほんの少し日に焼けて、どう見ても元気に見えるけれど。
「ジニーが体調を保ってくれています」
「な、なんだ。それなら大丈夫じゃん」
俺が軽い調子で言うとナナちゃんは真剣な目で俺の顔を見つめてきた。
「そう、ジニーが私の身体を健康にしてくれているのです。でも、ジニーから離れたらどうなると思います?」
「元に戻る?」
想像したらゾッとした。元の世界なら倒れても医者を呼ぶなりなんなりで済むかもしれないが、ここは異世界で治せる医者がいるのだろうか。
たぶんと小さな声でナナちゃんは言う。
「……なんで、そんな大事なことを黙っていたの?」
うっかりジニーを捕まえて出かけていたかもしれない。
『ちょっと、ちょっと、アソウ。怖い顔になっているよ。ちょっとぐらい離れても大丈夫だし。ナナも言いにくかったんだよ。ほら、あれが、あれだし』
「あれって?」
まだ俺にだけに秘密にしていることがあるのか。
「元の世界に帰ったら魔法はなくなるんです。考えたらそうですよね。向こうに魔法はないのですから」
「そんな……」
だってジニーは俺たちを召喚してきたじゃないか。でも、ジニーだって万能じゃないとたった今知ったばかりだ。
「じゃあ、本を売ったらだめじゃん!」
本を一人千冊売ったらあちらへ帰ってしまう。
「そういう訳にはいかないでしょう」
呆れたようにナナちゃんは笑った。
「それにアソウさんの言い方だと、あちらに帰ったら死んでしまいそうじゃないですか。別に死にはしませんよ。元々快方に向かっていたから、登校も出来たのですから」
「そりゃ、そうかもしんないけど」
大事な秘密を明かされたからよほど、大事に至ることかと思った。俺は目の前の塀に肩肘をつく。
「だから、少し気を付けてくださいって、それだけのことです。不自由な思いをおかけしますがよろしくお願いします」
「別にジニーと二人で出かけられないぐらいで不自由なんてしないよ」
くすくすとナナちゃんが笑う声が横でした。
『だから言ったじゃん、ナナ。別に話しても大丈夫だって』
「そうでしたね。だけど、嫌だったんです」
「何が?」
「気を使われるのが」
ナナちゃんには珍しく砕けた言い方をした。
「私こちらの世界に来て楽しいんです。珍しい本に囲まれて、お客様とお話をしているのがすごく楽しいのです。でも、本当は病気だと知ったら気を使って全部アソウさんがやろうとしてしまうかなって思ったんです」
もしかしたら、二人の仲が悪いとか以上に、だから店は二つに分かれたのかなと思った。
俺は病弱じゃなくたって女の子という理由で、そりゃ少しは気を使う。
高いものを取ったり、重いものを持ったり。そんなことだけど、ナナちゃんは病気が無くなった身体でそういうことも自分でしたかったのだろう。
「じゃあ、俺はナナちゃんに付き合って異世界に捕らわれているようなものか。だったら、早いとこ本を売って元の世界に帰らないとな」
「お客様は中々来ないですけどね」
俺とナナちゃんは向かい合って笑い合う。
『二人ともー。笑ってないで、本当に魔法書を売る方法考えてよー』
残るノルマは到底すぐには達成できそうにないが、また泣き出しそうなジニーの為にも試行錯誤してみようじゃないか。
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