第ニ章 聖女 6話
人が変わるにはどうすればいいのか?長い時間をかけて徐々に意識を変えていく、という方法もあるが、手っ取り早いのは心に大きな衝撃を与えることだ。
ギィ…、ギィ…、ギィ…
木の枝に吊るされたロープが揺れて軋む音がする。ロープは風で揺れているわけではなく、先端に縛られたモノによって動いていた。縛られ吊るされたモノは、クネクネと動いていたが、特殊な結び方をされたロープは外れることはなく、ただロープが左右に揺れ軋む音を出すだけだ。
シャリン
刃が抜き放たれた。それは太陽の光を受け美しい輝きを放っていたが、別にそれを観賞するために抜き放たれたものではない。刃とは切るために作られた道具だ、こんかい切るのはロープに吊るされたモノだった。
刃を持った者は、今からする事を何度もやったことがあった。いつもはロープで縛ったりしていないので勝手は少し違うが、モノの動きが制限される分いつもより楽だった。
ヒュッ
刃は振られ風切り音がした。モノは二つに分かれて、片方はロープに揺られ、地面に落ちた方はコロコロと転がった。
俺はハッと意識を取り戻し、ベットから体を起こす。嫌な夢を見た、正確にいえば数日前におこなわれた訓練の内容だが。
俺の訓練は数週間で行き詰ることになった、俺のスペックが恐ろしいほど低かったためだろう。近接戦闘は相変わらずまともにできず、魔法の方は構築のスピードが遅く、動きながら魔法を使うことが下手だった。
技術をこれ以上に鍛えられないならば、せめて度胸をつけて欲しい。そう思ったオーガストはトビウサギの屠殺を俺に見せた。結果は悲惨なもので俺は失神して意識を失い、目覚めた後もストレスから吐き気や胃痛そして不眠症を患った。
(本さえ手放せれば…)
俺の置かれた状況は、特に変化していなかった。黒い本をギルドに売る方向で話が進んでいたのだが、黒い本には俺から離れないという呪われた力があった。それを思い出して、キース達に説明や実践をして見せ、どうにかできないかと尋ねたが。キース達も初めて見る現象らしく、解決策は見つからなかった。
キースが副ギルド長に相談したところ、契約魔法を解除しなければ駄目なのではないかということであった。契約解除の方法を模索はするが、難しいだろうということで、引き続き俺が本を使用する前提で動くことになったそうだ。
(さて、どうしようか…)
ストレスによる体調不良で、ここ数日ほど特訓を休んでいたのだが、特にすることはない。体を休めようにもボーっとすると屠殺の光景が蘇るのだ、仕方なくずっと魔法の改良をして暇を潰していた。
そのおかげか暗黒の魔法を改良し、スプレーのように手の平から闇の霧を出し続ける魔法に改良できた。ゆくゆくは逃走用に、自分の背後から発射できるようにしたいと考えている。
コン、コン、コン
「坊主、いるか?」
(キース?まだギルドに行くには早いはずだけど)
ギルドに保管されている装備の穢れを取り除く仕事だが、徐々に物が良い物に変わってきて、現在では外においそれと持ち出せない品になっていた。そのためこの頃は訓練の場所である倉庫ではなく、ギルドに赴いて作業をしていたのだ。
「いま開けます」
まだギルドに行く時間には少し早いし、キースがわざわざ迎えに来る必要もない。となると何か違う用事があるのだろう。面倒なことでないといいのだが、そう思いながら扉を開ける。
「居たか、まだ体調はよくなさそうだな…すまんが緊急の要件でな、中に入れてもらえるか」
「はい…」
物事というのは悪い方向に行くものだ、キースの言葉からして間違いなく面倒な要件だろう。
「ある人物の呪いを吸収してほしい」
「人の呪いですか?」
部屋の中でキースが切り出した話は、俺が思っていたよりも深刻な話ではなかった。まあ、本の力で呪いが吸収できるのか?とか、知らない人に本の力を見せていいのか?そもそも他人に合うのが嫌だし、解呪に責任を持ちたくない。など色々と言いたいことはあるのだが。
「嫌かもしれんが、依頼相手が教会のお偉いさんでな、おいそれと断ることもできん」
「何で教会が依頼してくるんです?」
教会には光魔法使いが多いはずだ、わざわざギルドに頼む必要があるとは思えない。
「かなり強力な呪いというのもあるが、依頼主は教会の古典派に属する人間でな」
「古典派?」
「俺も詳しくは知らないが、教会の元々の理念である生命の尊重に重きを置く派閥で、闇属性だろうと生命は生命だという考えだそうだ。そのため同じ派閥の者を頼ろうにも、この国と相性の悪い古典派は数が少なく。その中に解呪できるほど強力な魔法の使い手はいない。主流派とはあまり仲が良いとはいえず、助けを求めれば足元を見られるし派閥に迷惑をかけることになる。そこで昔から交流があった副ギルド長に相談が来たそわけだ」
聞く限りでは理由もちゃんとしてるし、助けても問題なさそうだ。問題はお偉いさんの依頼ということだ、失敗したらどうなることか…。
「でも大丈夫なんですか、呪いを吸収できるかなんて分かりませんよ?」
「物の呪いは吸収できたんだ、人でもなんとかなるはずだ」
「え?物の呪いなんて吸収しましたっけ?」
「ここ最近の仕事は呪われた品だっただろ、ちゃんと説明したはずだが聞いてなかったのか」
そうだったか?俺は最近のことを思い出そうとするが、気落ちしていたことと体調不良で碌に覚えていなかった。
「頭痛と寝不足で意識が朦朧としていて…」
「大丈夫か?…無理をしてもらうことになるが、今回の件は坊主にとっても重要な意味がある。教会のお偉いさんに縁を作っておけば、もしもの時に強い味方になるし、契約魔法についても何か情報を得られるかもしれん」
「わかりました、なんとかやってみます」
どうせ無理に断れる立場でもないし、黒い本から解放されるまでは、後ろ盾が多いに越したことはない。
「呪いを受けたのはお偉いさんの娘さんに仕える聖騎士で、会うことになるのは娘さんと聖騎士だけらしいが、無礼なふるまいは見せられんぞ」
「どうすれば…」
お偉いさん相手の対応の仕方などほとんど知らない、少ない知識も地球で学んだことなので、この世界で通用するとは思えない。
「副ギルド長が話を進めてくれることになっている、坊主は副ギルド長の指示に従えば大丈夫なはずだ。返事をしっかりとすることと、坊主は感情が顔に出やすいからそこだけは気をつけろ」
そんなに顔に出ていたのかと、思わず自分の頬に手を当てた。そういえばキースは俺が嫌がってることをよく当てるし、オーガストは顔に覇気が無いとか言っていた気がする。これからは気をつけるようにしよう、と考えながら俺は頬を軽く揉んだ。
俺は身支度を整えキースと共にギルドにやって来た、といっても正面からではなく裏側からだ。俺に対する配慮や仕事内容を考慮して、この頃は従業員用の裏口をよく使っている。裏口から入ると二階に上がる階段がすぐ目の前にあり、受付カウンターの方からは見ることができない構造になっていた。
「先方は執務室で副ギルド長と待っている」
キースに続いて二階にある執務室に向かう、他の扉とは違う艶のある木製の扉が目印だ、俺も何度か副ギルド長と話すために入ったことがある。
扉の前に着くと中から話声が聞こえた、聞き覚えのある副ギルド長の声と女性の声が二人、片方はまだ年が若いのか小さい子供のような声だった。
コンコン
「キースです。例の冒険者を連れてきました」
「どうぞ入ってください」
「失礼します」「失礼します」
キースに続き俺も執務室の中に入る。机を挟んで左に副ギルド長、右に女性が二人それぞれソファーに座っていた。片方の赤髪のポニーテールは恰好からして聖騎士だろう。ならもう一人がお偉いさんの娘ということになるが、ずいぶんと若いというより幼い、身長からして五、六才ぐらいではないだろうか。銀の髪に白いドレスのようなフワフワとした服を着ていた、顔はヴェールをかぶっていてよく見えない。
「彼がそうなのですか?」
「はい、アドラという名の冒険者です。こちらはアルフォルス家の御令嬢であるミア様とそれに仕えていらっしゃるラーリニア家の御令嬢であるケイト様だ」
「アドラです」
副ギルド長に紹介されたので頭を下げて礼をする。聖騎士のケイトは半信半疑といった表情で俺を見ていた、きっと凄腕の魔法使いを想像していたのだろう。俺の今の恰好はいつのも皮鎧の上にローブを着ている格好だ、特に高い品というわけでもないので、着ている俺も合わせて凄みや威厳など微塵も感じられないだろう。
「話には聞いていましたが、本当にお若いのですね」
ミアの方は特に疑問を持っていないようだ、まあ顔はよく見えないし本心ではどう思っているのかはわからないが。
しかしこの少女は懐かしいことを思い出させる。前世の孤児院で一緒に暮らしていた少女もミアという名前で銀髪だった、先ほど聞いた声もそっくりだ。世の中には自分と似た人間が三人は居るというのでその類だろう。
「さっそく呪いの対処をさせてもらってもよろしいでしょうか?」
「しかしだな…」
「ケイト、手を出しなさい」
「わかりました」
俺を信用できず躊躇したケイトだったが、主人であるミアに促されるとあっさりそれに従って、右腕を机の上に出した。
机の下にあって見えなかったケイトの右腕は、何やら紋章の書かれた布でグルグル巻きにされており、留め具には魔力石が使われていた。たぶん呪いを止める魔道具なのだろう。
ケイトは留め具を取り布をほどいていく、布の下から現れたのは赤黒く変色したケイトの腕だった。その中心には黒く光る紋章が刻まれていた。
「どうだ、解呪できるのか?」
「と、とりあえずやってみます」
俺の自信の無い言葉にケイトは飽きれた表情をしていた、このままでは怒りを買うだろうと急いで本を取り出して開けた。
「これで呪いは消えるはずなんですが…」
しかしケイトの腕は一向によくなる気配が無かった、本をケイトの腕に向けてみたり、近づけてみても変わることがない。
「すいません…駄目みたいです」
「いや、呪いは消えている」
自分の腕をジッと見ていたケイトが言った。
「見ろ、呪いの紋章が消えている。腕の変色は呪いで爛れたためで、これは呪いや穢れを取り除いても治ることはない。怪我と同じでポーションか回復魔法を使う必要がある」
確かにケイトの腕にあったはずの黒く光る紋章は無くなっていた。
「アドラといったか、すまなかった。君の腕を疑っていた」
「いえ、いいんです。この力も自分ではなくて魔道具のおかげですから」
ヒヤヒヤしたが呪いの吸収が成功してホッとした、後は粗相なくこの部屋を出て行くだけだ。
キースの横に戻ろうした俺は、服に抵抗を感じて止まる。視線の先には俺のローブを掴んでいたミアの姿があった。
「本…」
「ミア様?」
「その本をどこで手に入れたんですか!」
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