第ニ章 聖女 5話
夕方遅くギルドの仕事が終わったキースは、自宅がある方向とは別の道を歩いていた。もうそろそろ夜になるので歩いている人は少ないが、建物の隙間から火の暖かな光がそこら中からあふれていた。
しばらく歩いて一軒の家でキースは止まった、周囲の建物とたいして変わらない石作りの家だが、キースにとっては思い入れのある場所だった。内ポケットからキーを取り出し、鍵を開け中に入る。
中は長いあいだ使われずホコリが積もっていたが、玄関と二階に上がる階段とそれに続く廊下は綺麗になっていた。キースはホコリが無い場所をたどるように進んでいき、二階にある部屋にたどり着いた。
「遅くなった」
「お、ようやく来たか」
「お仕事お疲れ様、キース」
そこに居たのはオーガストとセシリーだった、オーガストは布でテーブルを拭いており、セシリーはホウキを持って床を掃いていた。
「すまんな、掃除までしてもらって」
「なに、これから何度か使うことになるんだ。思い出の場所でもあるしな…」
「そうね、私達のホームだった場所だものね…」
この場所は昔、オーガスト達のパーティーが、共用の拠点として購入した建物だった。今はキースが書類上は保有者ということになっている。アドラと黒い本に関して、あまり大っぴらに話し合うわけにもいかないため、いい場所はないかと思案した結果、この場所のことを思い出したのだ。
「ゆっくりと思い出話でもしたい所だが、それはまた今度にしよう。アドラについてまだ一日しか経っていないが報告を頼む」
「ああ」
「わかったわ」
三人で使うには少し大きいテーブルに着き、秘密の話し合いが始まった。
「まず俺からだな、軽く素振りをさせてみたんだが…残念ながらアドラの体力と筋力では、まともな練習はできそうになかった。明日からは基礎体力をつけるために、ランニングに切り替えようと思う」
「そこまで酷いのか?」
「一刻ももたなかったぞ…」
「一刻もか…」
キースはこの中でアドラとの付き合いが一番長いが、身体能力などの細かいことを知っているわけではなかった。あまり運動は得意ではないだろうとは思っていたが、まさかそこまで酷いとは想定してなかった。
「他に何か気になった点はあるか?」
「そうだな…素振りを見ても性格的にも、あまり近接に向いているとは思えなかったな」
「そうか…しかし下級の魔力だけでは、魔法使いとしてやっていくには厳しい。いざという時に、魔法に頼らず敵の攻撃に対処できる程度にはなってほしいのだが…」
「なら体力をつけさせた後は、防御を重視した戦い方を教えてみよう」
「その方向性で頼む。他に何かあるか?」
「俺からは特には」
「じゃあ次は私の番ね。今日は簡単な魔法についての説明と、効率化について話して、その後に下級魔法の効率化を実際にやってもらったの。今日やったことについては、特にこれといって問題はなかったわ。ただその時に見せてもらった黒い本がね…
」
黒い本の話が出て、それが何かよくないことだと二人が察し、先ほどまでとは部屋の雰囲気が変わる。なるべく気配を消し逆に周囲を警戒をする、ピンと張りつめた緊張感が漂った。二人の聞く体制が整ったのを見てから、セシリーは声を潜めて話し出した。
「黒い本に書かれていた魔法は、どれも無駄な魔力の流れが、すごく多いものだったの」
「作ったやつの魔法の技能が低かったのか、それとも単なる嫌がらせか?」
「キースの言っている事も可能性としてはあり得るわ、でも黒い本の特性を考えたら別の疑惑が浮かぶの」
「特性というと、あの強力な闇の魔力の吸収か…」
魔法のことに余り詳しくないオーガストでも、あの黒い本が強力な魔道具だと理解できた特徴だ。
「つまり魔力消費を増やして、そのぶん多くの魔力を集めさせようとしたってことだろ?面倒なことだとは思うが、それに何の問題があるんだ?」
「いや大問題だ」
どうやらキースもセシリーと同じ考えに至ったらしく、二人して険しい表情になっていた。
「闇の魔力を大量に集めるにはどうしたらいいと思う?」
「…穢れの多い場所に行くとか?」
「それも一つの方法だが…闇の力を使って罪を犯す、邪神教団のような奴らはどうやって集めている」
邪神教団…神に仇なす邪神を崇拝し、破壊と死を振りまく集団である。彼らは力を得るためや邪悪な魔法を使うために、人々を苦しめ死に至らしめる。
「今すぐアドラから黒い本を取り上げるべきだ!」
「落ち着いてオーガスト」
「しかし…」
思わず大きな声を上げてしまったオーガストをセシリーが静める。
「もし持ち主を殺人に誘導するのが目的だったとしても、不可解な部分もあるの」
「不可解な部分?」
「ええ、そもそも何故アドラ君に本を渡したのかが疑問なの。アドラ君の性格的にまず殺人を犯すとは思えないでしょ」
「そうだな坊主は間違ってもそんなことはしないだろうな」
「じゃあキース、アドラ君が無茶な魔法を使わなければいけない状況に置かれたことはある?」
「いや、ギルドで調べた限りでは先日のゴーストの事件以前に、事件やトラブルに巻き込まれたことは無い」
「他の人間を恨んでいたりすることは無いかしら?」
「それも調べた限りでは無いな。孤児院でも一人で隅に居ることが多く、他人と自分から関わることが無かったらしい。からかう子供もいたが、反応が薄いのでそのうち無視されるようになったとか」
「やっぱりアドラ君は、無理に本の力を使う理由が今の所は無いのよ。疑問点はもう一つあって、アドラ君が適任者ではないのに、どうして渡した相手は何らかの行動にでないのかしら?本を回収するなりアドラ君を追い詰めるなりせず、本を渡してから何年間も放置する理由はある?」
「確かに何かを待っているにしてもずさんな計画だしな、すでに黒い本の事を僅かとはいえ知っている人間が複数いる。警戒してくれと言っているようなものだ」
「じゃあ本を渡した奴はいったい何が目的なんだ?」
オーガストの疑問に対して、セシリーは自分なりの考えを教える。
「どうなってもよかったか、もしくは何か想定外の事が起きてしまった。のどちらかだと思うわ。前者は本を渡した時点で目標を達成しているの、後はどうなっても構わないってスタンスね。後者だった場合は少し面倒ね、もし何らかの計画だったとすれば、ふとした拍子に活動を再開するかもしれない」
「なるほどな…なら俺達はどう動くべきだ?」
三者三様に悩むが、答えは浮かばない。
「私はとりあえず今のままで様子見した方がいいと思うの。本を渡した相手の目的だって憶測にしか過ぎないもの」
「そうだな…副ギルド長にも相談してみよう。それとは別に俺は坊主に、黒の本についてしっかり教えた方がいいと思う」
「危険じゃないか?」
「いや逆に教えない方が危険が大きいと思う。坊主は性格に少し難があるが、年齢の割に物事をしっかり理解している。教えておいた方が、いざという時に対処しやすくなるはずだ」
「そうね、子供にしては妙に場の空気を読もうとする所があるものね」
「そういえば達観しているというか枯れてるというか」
それぞれがアドラに対して、褒めているのか貶しているのか微妙な評価をくだした。
「明日も俺は、ギルドの依頼を持って倉庫に向かう。その時に俺が坊主に話してみよう」
「ああ」
「わかったわ」
こうして夜遅くまで続いた話し合いに、とりあえずの結論がでた。
今日も訓練をせなばならず憂鬱だった俺は、朝から厳しい表情をしているキース達に合い、昨日の酷かった素振りに対して叱咤があるのだろうと、更に気を落とした。しかしキース達の話は俺が思っていたものと全く違い、黒い本の危険性についてだった。俺はやばい代物だと半ば確信していたので、やっぱりねという思いしか浮かばなかった。
「えーと…それでこの本は処分するんですか?」
「いや、すぐさまどうこうするわけではないが、危険があると知って欲しくてな」
「え!処分しないんですか?」
危険があると解っているなら、俺は早めに処分した方がいいと思うのだが、何故かキース達の方があまり乗り気ではないようで、困惑したような表情をしている。
「アドラ君はそれでいいの?その本があれば魔法を使う上で便利なはずだし、闇魔法を覚えられる貴重な手段なんですよ」
「それでも処分した方がいいと思います」
セシリーによると闇魔法使いは一部の国の組織か非合法な人間が多く、会うだけでも大変で、魔法を教えてもらうとなると、よほどのことがない限りはまず無理なのだそうだ。しかし使える魔法はある程度は覚えたし、残っている魔法は特殊なものや、使ったのがバレたら逮捕されそうな魔法ばかりだった。使わない魔法のために、わざわざ危険を背負う必要はないと思う。
「うーむ…副ギルド長に相談してみないと判らないが、たぶん本の貴重性からギルドで買い取ることになるだろう」
「買い取ってもらえるなら、そっちの方がいいですね」
邪魔な物を引き取ってもらって金までもらえるのだ、一石二鳥とはこのことだ。
「キース、俺はさっさと燃やすなりして処分した方がいいと思うがな」
「しかしな…」
オーガストの言葉を聞いて、俺はある重大なことを思い出した。この本は燃やそうが捨てようが戻ってくるのだった。
「あの…」
「ん?どうした坊主?」
「この本が呪われているのをすっかり忘れてました」
「なに!」
俺の発言に、キース達は驚愕の表情を浮かべるのだった。
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