第22話

 その後1週間、僕は何事もなかったようにふるまった。睦月の前では常に笑顔でいた。小百合さんに完全に振られてしまったことを隠すように過ごしていた。それでも小百合さんへの想いは完全に消えることはなく、無理やり押さえつけていたせいでかえって大きく膨らんでいった。

 そんなある日のことだった。久々に夢を見た。前と同じ白一色の何もない部屋。ユリのレリーフが施された金属製の重厚な扉を開けると、広がっていたのは茜色の空と沈みゆく太陽に照らされたユリの花畑だった。しかし、様子がおかしい。ほとんどのユリが花びらを落としているのだ。レンガの道もところどころヒビが入っており、割れ目からは雑草が顔を出していた。以前は聞こえた潮騒も今は全く聞こえない。風のない凪の海が一枚の鏡のように、紅く染まった空を映し出していた。

 東屋まで行くと、あの少女がいた。金属製の椅子に座り、ぼんやりと海を眺めている。僕がいるのに気づくと、体をこちらに向けた。

「守りたいものが見つかったのね。」

「はい。」

「よかった。じゃあ、選んで。」

 少女はそう言うと、2本のユリを小さなポーチの中から取り出した。一本は純白のユリ、もう一本は周囲の光をすべて吸い込んでしまいそうなほど黒いユリだった。

「これは…?」

「守りたいものを守るためにあなたが取る行動を表しているわ。白いユリは自分を傷つけることなく間接的に守ること。黒いユリはたとえ自分が傷ついても直接守ることを表しているの。」

 迷わずに黒いユリを手に取った。小百合さんの笑顔を見たい、ただその想いに突き動かされるままにとった選択だった。ユリを手に取ったその瞬間、世界が自分の足元から音を立てて崩れ始めた。強烈な浮遊感が体を襲う。しかし、なぜか恐怖はなかった。まるで壊れていたものが修復されていくような安心感さえあった。ぼんやりと霞んでいく意識の中で、あの少女の声が聞こえた。何か言っていたような気がするが、あまり覚えていなかった。

 目が覚めた。いつもと変わらない、退屈な朝だった。身支度をして学校へ向かう。とくに変わったこともなく授業が終わる。下校時間ぎりぎりまで図書室で自習して過ごす。下校を促すチャイムが鳴った。河の対岸にあるスーパーで少し買い物でもしていこうか。街灯が灯り始めた夕暮れの街を歩いていく。昨夜見た夢は何だっだのだろう、そう考えながら橋を渡っている時だった。反対側の歩道に二人の人影が見えた。立ち止まって目を凝らしてみる。一人は小百合さんだ。そしてもう一人は…判別できた瞬間に脳が「逃げろ」と叫び始めた。紛れもない、自分を殺そうとしたあの男だった。


 

 

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