第20話

 家には帰らなかった。その代わりに、一軒の家の前で足を止めてインターホンを鳴らす。出てきたのはエプロン姿の睦月だった。

「伊佐美ちゃん?!ビショビショじゃん、早く中入って!」

 睦月の家は学校からそう遠くない場所にあった。料理を教えてくれたお礼に、と、家の場所を教えてくれたのだ。

 シャワーを浴びて、用意してもらった服に着替える。髪を拭きながらリビングに戻ると、出汁の香りが鼻をくすぐる。思い出したようにお腹が鳴る。

「伊佐美ちゃん、お腹空いてない?」

 キッチンから睦月が顔を出す。

「空いてる。」

「わかった。ちょっと待ってね。」

「ん。」

 しばらくすると、睦月がお盆にどんぶりを二つのせてテーブルに持ってきた。

「おまたせ。睦月特製の豚汁だよ!」

 多少の不安を抱えつつも一口食べてみる。うまい。さらに一口飲んでみる。温かい。凍り付いた心がゆっくりと溶かされていくようだ。視界がぼんやりと霞む。

「どうかな…変な味とかしてない?」

「美味しい、美味しいよ…」

 涙が堰を切ったようにあふれ出てくる。その涙を隠すかのように豚汁をかきこむ。少し塩味のキツくなった豚汁を完食した。

 気持ちが落ち着いたところで、今日あったことを睦月に話す。

「小百合さんに振られた…」

「そっか…辛かったね…」

 たとえ自分が夏美さんの代わりに過ぎないとしても、それでも小百合さんのことが好きだった。だから、断られた時は余計につらかった。

 少し考えるような仕草をして、睦月が話をつなぐ。

「多分だけど、伊佐美ちゃんを夏美さんと似てるからってだけで好きになることに罪悪感を持ってたんじゃないかな。」

「えっ?」

「確かに伊佐美ちゃんは夏美さんとそっくりかもしれない。でも、夏美さんだと思って付き合っていても、どこか食い違う部分が出てきて、どのみち破局するって考えたんだと思うよ?」

 睦月の考え方にも一理ある。もし、亡くなった夏美さんの代わりに僕と付き合っているということを僕が知ってしまえば、僕が小百合さんへ向ける感情は恋慕ではなく同情へと変化してしまう。同情からなる恋愛関係は破綻しやすい、と、どこかで聞いたことがある。現に、僕が小百合さんに向ける想いには同情心が少なからず含まれている。しかし、それを上回る形で執着心が含まれていることも確かだ。そうでなければ強引に腕をつかむこともなかったはずだ。なぜ小百合さんのことが好きなのか改めて自分に問う。一目惚れしたから?命を助けてくれたから?体の関係をわずかながら持ってしまったから?話し上手で聞き上手だから?それとも、単に彼女の寂しい気持ちを癒してあげたいから?

「なんで小百合さんのことが好きなのか、わからないよ…」

 思いつめた表情をする僕に睦月が声をかける。

「人を好きになるのにわざわざ理由なんか考えなくていいのに。好きなら好きでいいと思うよ?」

 はっとして顔を上げる。自分とは正反対の考えだった。

「私はそう考えるかな。だめならだめでもう一回告白しようかなってなるし。だって、まだ会えるチャンスはあるでしょ?」

 睦月の言う通りだ。今生の別れになってしまったわけではないのだ。

「それに、まだ同情だけで付き合おうといってるわけでもないし、木下さんのアドバイスなんかどうでもいいって思わせちゃうくらい元気にしてあげるって約束したら、付き合ってもらえるかもしれないよ!」

 とんでもなくポジティブなアイデアだ。いままでの悩みを一撃で粉砕してしまうほどの強引さだ。そして、自分はなんて小さなことで悩んでいたんだと可笑しくなり、笑いがこみあげてくる。

「もお!そんなに笑わなくてもいいじゃない!」

 腹を抱えて笑う僕を見て、睦月が顔を赤らめて怒る。笑い続けてすっかり気持ちが晴れてしまったので、家に帰ることにした。

「睦月、今日の豚汁、本当に美味しかった。ありがとう。」

「よかった〜。喜んでもらえて。」

「また食べたいな。」

「ほ、本当に?!」

「うん。」

「わかった!また今度来たときに作ってあげる!」

「それじゃ、また明日。」

「うん!また明日!」

 睦月の家を出てバス停へ向かう途中ふと、空を見上げると、雨雲はどこかへ流れて行ってしまったのか、満天の星空が広がっていた。

 

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