第8話

「ごめんね、なんか心配させちゃったみたいで。」

「いえいえ。あ、これ作ってきたんでよかったら食べてください。」

 家から持ってきたシチューを小百合さんに渡す。

「あら、伊佐美の手料理?ありがとう。」

「明日は学校来てくださいよ?」

「もちろんよ。」

 放課後と言ってもとっくに日は暮れている。早く帰らないと。

「もう遅いんでそろそろ帰りますね。」

 立ち上がろうとして服を掴まれた。

「ねえ、伊佐美。」

「なんですか?」

「今夜は泊まっていかない?」

 小百合さんのその一言が僕の中で何度も反響した。

「じゃあ、お言葉に甘えて。」


 風呂場からの水音と鼻歌が僕の理性を押し潰そうとしてくる。ましてや「一緒に入っても良い」などと言われたのだから尚更だ。

「お待たせ。」

 思わず見入ってしまう。顔の温度が急上昇するのがわかった。なぜなら小百合さんはネグリジェを着ていたからだ。しかも黒色の。勉強机に置いてあるランプが先輩のくびれた腰をネグリジェのレース越しに妖艶に照らし出す。

「わ、私、床で寝ますね。」

 無理だ。小百合さんと一緒に寝るのはハードルが高過ぎる。クッションを取りに行こうとすると背中に二つの柔らかい感触が。小百合さんの甘い吐息が耳にかかる。

「一緒に寝てくれないの?」

 僕にはそんな勇気はない。

 すると小百合さんは僕の心の中を見抜いたのか僕の耳元で囁いた。首筋に小百合さんの甘い吐息を感じる。

「 私とじゃ、イヤ?」

 もう全てがどうでもよかった。

 小百合さんが僕のYシャツのボタンを一つずつ外していく。

 そして僕のYシャツがはだけて水色の下着に包まれた決して慎ましいとは言えない胸が姿を現す。

「あんまりジロジロ見ないでください……」

 僕だって、こんな視線に晒されたことなど一度もない。恥ずかしいという気持ちでいっぱいだ。

 小百合さんは黙って僕の背中に手を伸ばしてきた。ホックを外すために。

「あれ、鍵開いてんじゃん、黒川、見舞いに来てやった……ぞ……?!」

「ききききき木下さんっ?!」

 木下さんの顔は真っ赤だった。

 小百合さんの方に目を向けると小刻みに震えていた。そして小百合さんはそばにあるバッグを掴み、思いっきり木下さんの顔に投げつけた。バッグが顔に直撃した木下さんは、バランスを崩し、後頭部を床にぶつけて伸びてしまった。

 床に伸びている木下さんを見ていると、さっきまで心を支配していたピンク色の感情もすっかり冷めてしまった。結局、家に帰ることにした。

「それじゃあ明日学校で」

「うん、伊佐美、ちょっと目を瞑ってくれない?」

「いいですけど?」

 小百合さんに言われて目を瞑ってみる。すると唇に仄かに温かい柔らかい感触が。目を開けてみると先輩がいつも通りの笑顔を見せていた。

「また明日、ね」

「はい……おやすみなさい……」

 そう言って玄関のドアをそっと閉めた。


  帰りの電車の中で唇に指でそっと触れてみる。

 あの時の感触がまだ残っている。

 小百合さんと、唇を重ねた。

 その事実が、唇に残っている……そう思うと顔が熱くなる。ファーストキス……だったんだよな……。

 まだ夢と現実の狭間にいる僕を乗せて、電車は夜の街を疾走した。

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