19.祭儀

 広場まで一歩も止まらずに走ってきた私の目の前に広がっていたのは、戦場を見慣れている私でもぞっとする光景だった。

 芝が掘り返されるように剥がれ、焼け焦げ、凍りついている。

 その地面の上に散らばっている。多分邪人であろう人々の抉られ、燃やされ、凍結した死体。

 そんな戦場の真ん中に光で円が描かれていて、その真ん中に誠哉お兄ちゃんがいた。鎧花が足元に転がっていて、紺色のスーツ姿のお兄ちゃんはぼんやりとあらぬ方向に視線を向けている。全身からちろ、ちろと黒い何かがはみ出そうとしているのが一瞬だけ見えた、ような気がした。

 その目の前に、闇翼族……ううん、違う。あれは闇黒族の少年が立っている。こちらには光の糸のようなものがくるくると巻き付き始めていて、彼は幼い顔をしかめている。

 もしかして……あの子が、お兄ちゃんを『邪』に汚染させた張本人?


「むぐ……おや、弓姫。結構きついね、これは」


 私のすぐそばにいたセラス司令が、私に気づいて笑ってくれた。顔に汗がじんわりとにじんでいて、笑顔を見せるのにもかなり無理してるんだと私はすぐに気が付いた。


「司令、これどういうことなんですか? 『邪』は、どこに……」

「うん。多分、誠哉くんの……中」


 さらっと、いつもの口調で司令が口にした言葉。その意味は、一瞬私の頭を真っ白にしてくれた。


「な……か、です、か?」

「そうだね。恐らく、奴らは十年前に誠哉くんの体内に『卵』を埋め込んだんだろう。ヒトの体内なら結構安全だし、『卵』の殻に守られて『邪』の存在もこっちには気づかれない。あらかじめそのヒトを軽く汚染させておけば、そちらに意識を取られるから余計にね」


 口調は軽いまま、けれど司令の表情はまるで苦虫を噛み潰したよう。姑息な手段を取る彼らに、司令もたっぷりと言いたいことがあるのだろう。その言いたい気持ちを握り潰すように、掲げた両手に力が籠もる。

 と、不意に司令が私を見つめ直した。少し濃いめの青い瞳は、しっかりとその中に私を映し出している。


「弓姫。疾風のところに行ってくれ」

「え?」

「僕から見て右前方。今疾風がいる場所からなら、誠哉くんの視界に入る。君が彼を呼び戻してやってくれ」


 ゆっくり、はっきりと司令が告げてくる。それは、本来私がこの場にやってきた目的そのもの。何ができるかも分からないまま無我夢中で飛び出してきた私が、この場でやるべきこと。


「幸い……と言っていいかどうか分からないけど、闇黒族は誠哉くんの中の『邪』を目覚めさせる生贄として邪人たちを全部殺してる。彼自身も陣形の中だから、変に邪魔は入らないはずだよ」


 そうだ、最初は邪人たちが攻めてきてて、それを迎え撃つためにお兄ちゃんたちは出たんだ。それが、今は闇黒族の少年ただ一人。邪人たちは、全部が全部地面の上で血まみれになって、ピクリとも動かなくなってしまっている。

 これだけの生贄を捧げておいて、なおもお兄ちゃんの中の『邪』は完全に目覚めていない。多分……覚醒までは後一押しなんだろう。それはつまり、闇黒族の少年か誠哉お兄ちゃんか、どちらかの魂を得ることで『邪』が目覚めるということ。


「分かってるみたいだね。そう、今の状態では、どちらも死なせる訳にはいかないんだ。だけど、誠哉くんが『七変化』を着けてくれれば何とかなる。祭儀完了までは『邪』を抑え込めるはずだ」


 司令の考えが分かった。

 誠哉お兄ちゃんが正気に戻れば、きっと鎧花を着けてくれる。お兄ちゃんの『七変化』にはセラス司令の力が封じ込んであるから、その体内にいる『邪』の覚醒を妨げる力にはなるはずだ。

 そうして、お兄ちゃんが持ちこたえている間に司令が祭儀を完成させ、『邪』の影響を封じる。それから闇黒族を倒す……司令は、そうしたいんだ。誠哉お兄ちゃんを助けるために。

 ごめんなさい、手間をかけさせてしまって。

 ありがとう、助けようとしてくれて。

 私も、頑張らなくちゃ。

 誠哉お兄ちゃんを一番助けたいのは他でもない、この私なんだから。


「……はい。お兄ちゃんは、天祢誠哉は、私が守ります。司令は祭儀の続行を」

「よろしい。上総弓姫、行け」


 だから背筋を伸ばし、口調を改めた。私自身の意志を示すために。それを司令も分かってくれたのだろう、普段はめったに使わない命令口調を使ってくれる。セラス司令は司令官なのに、部下である私たちに命令を下すことはあまりない。基本的に命令はエンシュが下すし、司令が出すのは指示とか依頼だから。

 その命令の中に感じ取れる優しさを受け止めて、私はぴしりと敬礼をした。すぐさま地面を蹴って走りだした私には、司令が返礼してくれたかどうかも分からなかった。

 ぐるりと大回りをして、疾風兄さんの立っている場所まで駆けていく。途中、何度かつまずきそうになった。何に、なんて言うまでもない。ああもう、後始末が大変なのに。しばらく、この辺りは血の匂いが消えないだろうなあ。

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