五:上総弓姫
18.奴らの狙いは
ブリーフィングルームを出てすぐ、誠哉お兄ちゃんたちに追い越された。行ってらっしゃいと小さく手を振ったら、お兄ちゃんも行ってきますと手を振り返してくれる。
その背中をじっと見ていたら、部屋の中から微かな声が漏れ聞こえてきた。
「……エンシュ。邪人の狙いだけど……」
あれはセラス司令の声だ。低く、声量を落としている。何だろう。
私は香耶さんの視線も気にせず、そっと扉の隙間から中を覗いた。司令とエンシュが向かい合っているのが見えるけれど、エンシュはこちらに背中を向けているので表情が分からない。
「……誠哉、か?」
「多分ね。汚染レベルが低いのも、何かの罠かもしれないよ」
対する司令の方は、普段のふんわりした笑みをどこにも浮かべていなかった。あまり他人には見せない、司令の表情。息を飲むことすら忘れて、私はじっと中を見続ける。じっと話を聞き続ける。
「罠でも良い。いざという時は殺すだけのことだ」
「出来るのかい? 弓姫と疾風のお兄さんだよ」
「だからだ。過去を全て忘れ、『邪』の命ずるままに破壊を繰り返す端末になる前に殺してやるのが、せめてもの慈悲だろう?」
……。
うん。
分かってはいたんだ。
十年間も閉じこめられていた誠哉お兄ちゃんに、邪人が何もしてない訳がない。むしろ、何かしたからこそ邪人は、お兄ちゃんを大事に大事にしまっていたんだ。
十年間、お兄ちゃんの時を止めて。たまたま疾風兄さんが見つけて私が出してあげなかったら、後何年間お兄ちゃんはあの中で眠っていたのだろう?
それでも、私は目の前が真っ暗になりそうだった。分かってはいるけれど、お兄ちゃんが死ななくちゃいけないかもしれないなんて。せっかく、やっと会えたのに。せっかく、やっと取り返したのに。
「しっかりしなよ、弓姫」
ぽんと肩を叩かれた。はっとして顔を上げると、香耶さんがいつもの自信満々な表情で私を見つめている。その目は真剣で、私の心の中を見透かすようにまっすぐだ。
「あ、は、はい。でも」
口ごもる私を、香耶さんはぐいと引っ張った。凄く力強いその腕に引っ張られた私は、扉から少し離れた位置まで強制的に移動させられる。香耶さんは両肩に作業のせいでかがっちりした両手を置くと、私の顔を覗き込んできた。
「司令も浄化の祭儀やってくれるって言ってるんだろ? そこまであの坊やを『こちら側』につなぎ止めておけるのは、あんたと疾風だけじゃないのかい?」
噛み砕くように香耶さんが語りかけてくる。その言葉を聞いて、私は胸の奥に痛みを感じた。
そうだ、私が弱気になってどうするんだ。少なくともこの十年、誠哉お兄ちゃんを助けるために一所懸命に自分の腕を磨いた。その目的はまだ達成されてないんだ。お兄ちゃんはまだ、助かりきっていないってことなんだから。
「……できるかな、私に」
でも、どうしても弱気になってしまう。確かに誠哉お兄ちゃんは見つかったけれど、それは私が見つけたんじゃない。目を覚まさせたのも私じゃない。
まだ、助け切れていない。
「『できるかな』じゃないだろ。『やる』の、『やってみせる』の」
そんな私に、香耶さんは強い口調で語りかけてくれる。彼女が過去に何があったのかは知らないし知るつもりもないけれど、こういうピンチの時に香耶さんはとても強い。
力強く、辛抱強く私たちに語りかける彼女のおかげで窮地を切り抜けたのは一度や二度ではない。その言葉とその事実が、私を落ち着かせてくれた。
「……はい」
小さくだけど頷く。
香耶さんの言う通りだ。できるかな、じゃ誠哉お兄ちゃんを助けることはできない。誠哉お兄ちゃんを助けてみせる、って思わなくちゃならない。
この十年間、誠哉お兄ちゃんを捜し出して助けてみせる、ってずっと思っていたように。
「よし、その意気その意気。さあ、仕事だよ弓姫」
「はい!」
香耶さんにはっきりと頷いて答える。まずは目の前の仕事だ。私はぐっと拳を握りしめ、自分のやるべきことを見据えることにした。
『白詰草』を身にまとい、じっと待つ。香耶さんは『蒲公英』をまとったまま、外の様子を確認に行ってしまった。何もしないでじっと待っているこの時間は、何だかむずむずして胸の奥がずきずきしてとても気分が悪い。
私は誠哉お兄ちゃんや疾風兄さんみたいに戦闘能力がある訳じゃないから仕方がないけれど、それでも待っているだけっていうのは困る。せめてそばに行きたい。この目で、お兄ちゃんをずっと見ていたい。
不意に、かさかさと音がした。はっと目を上げると、そこには闇翼族の使い魔がふわふわと浮かんでいる。これは緊急の通信が入った、ということ。邪人の群れが村に向かっているのだろうか?
「……」
息を飲み、黒い球体を見守る。と、そこから流れ出してきたのは奇妙な音声だった。こちらに向けての言葉ではなく、あちら側の会話をそのままこちらに聞かせているようだ。
『なるほど……連中、ここで「邪」を孵す気か。僕たちと、村人たちを生贄として』
『感心しておる場合ではないだろう! 早く誠哉を殺さねば、「邪」が目覚める!』
その言葉にはっとした。会話を交わしているのは、セラス司令とエンシュだ。その言葉の内容は言うまでもない……誠哉お兄ちゃんの『邪』の汚染レベルが上がりすぎているってことだ。
だからエンシュは、誠哉お兄ちゃんを殺す、という提案をしてる。行きすぎた汚染はヒトを変質させ、後戻りできなくしてしまうから。
それでもそんなの、いやだ。理性では分かってるけど、理屈でも分かってるけど、誠哉お兄ちゃんの妹としては単純に、兄に死んで欲しくない。
『うーん……誠哉くんを殺しても、彼を生け贄に目覚めると思うけど。それにあいにく、僕はあきらめの悪いたちでね』
『確かにそうだ。しかし、ならばどうする?』
だから、使い魔から流れてきたセラス司令の言葉にちょっと驚いて、でも嬉しかった。
司令も、誠哉お兄ちゃんを死なせたくないって思ってくれているのが分かったから。エンシュは割り切りが早いけれど、司令はそうでもないヒト。優しすぎていざというときの判断が遅れることがあるから、基本的に指揮はエンシュが執っているのだ。
『それなんだけどね……ラフェリナ、誠哉の背後につけるかい?』
『わうん? うん、できると思うけど、何で?』
『今、この場で「浄化」の祭儀を行う。元々ここでやるつもりで準備はしてあるし、四種族が一人ずついれば発動に問題はないからね』
ごくさらりと言ってのける司令。その台詞の内容を、一瞬私は聞き間違えたのかと思った。だって、いくら何でも無茶じゃない?
誠哉お兄ちゃんから『邪』の影響を取り除くための、『浄化』の祭儀。普通それは数日間の準備期間と、広めの敷地と、四種族の相互協力と、そして発動時には主たる術者……つまり天翼族の高度な精神集中を要する。
その儀式を、よりにもよって敵の目の前で始めるなんてとんでもない……それに。
『馬鹿な……覚醒を始めた「邪」の浄化など、聞いたことが無い。それに、私が協力するとでも思っているのか?』
そう、それが問題だ。
まずは前者。
こちらにはセラス司令とエンシュの声しか届いていないから、一体今戦場がどういう状況になっているのか私には分からない。だけど、誠哉お兄ちゃんに影響を与えている『邪』は、まさに今目覚めつつあるらしい。
そんな状態の『邪』に対して儀式を行って、果たして効果があるのかどうか。過去にそういう話を聞いたことが全くない私には、分からない。
そして後者。
祭儀の遂行には四種族の相互協力が必要だ。人間族は疾風兄さん、獣魔族はラフェリナ、天翼族はセラス司令、闇翼族はエンシュ。一応揃ってはいるけれど、エンシュが協力を拒否すれば儀式は行えない。誠哉お兄ちゃんは……助からない。
『え、してくれるんじゃないのかい? 僕は信じてるけど?』
全く、うちの司令官はどこまで脳天気なんだろう。向こうの光景は見えないけれど、私の脳裏にはいつものほんわかした笑みを浮かべている司令の顔が即座に浮かんできた。
この状況でこんな表情になれる司令って、ある意味超大物なんだろうなあ。私は呆れて、思わず大きく溜息をついてしまった。
『………………どうなっても、責任は取らんぞ』
エンシュも、私と同じ気持ちだったみたい。しばらく間を置いて、大きく溜息をついて……それから、諦めたように言ってくれた。ああ、ほっとした。そして、身体がビシリと固まるくらい緊張した。だって、それがいかに難しいことか分かっていたから。
『はは、ありがとうエンシュ。それじゃ頼むね』
それをきっと、多分誰よりもよく分かっているはずのセラス司令の声はあくまでもいつもの調子で。
『後で覚えておけよ』
使い魔が消滅する一瞬に聞こえたエンシュの声は、何かを諦めたような調子で。
「……行かなくちゃ」
私は、立ち上がった。
こんなところでうじうじなんてしていられない。
お兄ちゃんのところに、行かなくちゃ。
小さい頃から、頑張ってきたんだから。
誠哉お兄ちゃんを、助けなくちゃ。
「弓姫、大変だよ……弓姫っ!」
香耶さんが何か言っている横を、私は真っすぐに走り抜けた。ごめんなさい香耶さん、お小言は後で聞きます。今はそれどころじゃないんだもの。
行かなくちゃ。
お兄ちゃん、待ってて。
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