17.闇黒族
「オォーン!」
広場の外れから、遠吠えが響く。これはどうやらラフェリナのもののようだ。
警戒警報として犬獣魔の遠吠えを活用するのは、ごくありふれた話だ。闇翼族の魔術よりも分かりやすく、広範囲に知らせることもできるからだ。
「闇黒族はっけーん! 一人、最後尾から来てるー!」
その遠吠えの後に続いた言葉に、一瞬広場が静まり返る。邪人たちまでもが静まったのはどうしてだろう、とふと僕は気になったけれど、それどころの問題じゃなかった。
闇黒族。
『邪』に心を侵された闇翼族のことを、俗にそう呼ぶ。人間族の場合は邪人と呼ぶ、その闇翼族版だ。
彼らは『邪』の支配下にあって、上位の地位を占めている。理由は簡単で、魔術を使いこなすことができるからだ。闇翼族の得意な、他人の精神に効果を及ぼす魔術を以てその主たる『邪』の復活のためにヒトを襲い、ヒトを服従させ、ヒトを殺す。
幸いなことに……というべきか、『邪』の波動をその身に受け入れた闇翼族が馴染んでしまう確率は低い。そのため個体数自体はごく少数なのだけど、馴染んでしまい闇黒族と化したモノは、その存在だけで僕たちヒトを簡単に恐怖に陥れる。
いつ襲われるか、いつ支配されるか、いつ殺されるか。
闇黒族の存在が知れた時、ヒトは怯え、戦き、絶望する。一番の対抗策は実は天翼族なのだけれど、こちらも過去の戦争によって数が少ない。
つまり、セラス司令がいなければこの状況は簡単にひっくり返されてしまう。司令がいても、厳しいかもしれないというのが正直なところだ。
闇黒族はこちらの誰でも殺すなり操るなりできればいいだろうけれど、対するセラス司令は僕たち全員に気を配らなくちゃならない。
……ぼくは、だいじょうぶだけど。
「ち、厄介なことになったな! とりあえず、雑魚はとっとと片付けようぜ兄貴、蒼真!」
一声吠えると同時に、疾風の剣が力を増した。大きく振り回されたまるで棍棒のような刃が、一度に三人をなぎ倒す。
致命傷にはならないものの、強烈な衝撃によりその動きを制限されたことはこの乱戦状態において致命的だ。何しろ、味方の動きすら阻害するんだからな。
「略式! 凍結、氷槍!」
詠唱を省略したエンシュの魔術が飛ぶ。きちんと唱えられた時よりも威力は劣るけれど、それでも十分強力な氷の槍が地面から次々と生え、疾風に殴られたうちの一人とそれに動きを止められた二人が腰を縫い止められた。ここぞとばかりに僕は剣を振るい、的確に心臓を貫く。
また黒い血が掛かる。一滴が口元に着き、口内にこれだけは変わらない鉄の味が広がる。
ああ、おいしいな。
「誠哉! 気を取られるな!」
蒼真の声にはっとする。目の前に一人が迫っていて、そいつの胸元から蒼真の作った刃が生えていた。「ごめん!」と謝りながらバックステップして、いったん距離を置いて態勢を立て直すことにする。
今日は、何だかおかしい。意識が時々薄くなって、僕のモノじゃない声が聞こえる。もしかして、『邪』の影響が出てきたとでも言うのだろうか?
なにを、いまさら。
『目覚めよ』
突然、どこかで聞いたような声が響いた。
邪人たちの動きが一瞬にしてストップし、僕たちを無視して声のした方へ回れ右、一斉にひれ伏す。立っているのは僕と、守備隊のみんなだけになって。
次の瞬間、ひれ伏した邪人が全て、地面から生えた細い細い氷の槍で心臓を貫かれた。ぎゃ、ともぐえ、ともつかない声があちこちで一瞬だけ響き、突然生命活動を断たれた身体がびくびくと痙攣している。
『贄は存分に屠った』
疾風と蒼真が僕の前に立つ。油断無く、声のした方向を睨み付けながら。
二人の肩越しに見えたのは、こざっぱりした黒のスーツをまとっているエンシュとあまり変わらない外見年齢の少年だった。だけどその髪は僕と同じく銀色で、肌は青白いと言うより白にしか見えない。背中から伸ばされている翼はどこまでも黒く、翼と言うよりはマントのようにも見える。
「お前が黒幕か? 堕ちた同族よ」
エンシュの声が、すごく不機嫌そうだ。それはそうだろう……目の前に『邪』によって汚染され、その言いなりに動く端末にされた元の同族が現れたのだから。
『目覚めよ。時は満ちた』
少年はエンシュの問いには答えず、うっすらと笑いながら言葉を続ける。漆黒に染まった両の眼がじっと見つめているのは……この僕だ。
それに気づいたみんなが、一斉に僕の方に視線を集中させる。そんな中で僕は、抵抗することも忘れてぼんやりと立ちすくんでいた。
頭が、うまく働かない。
身体を、動かせない。
何を考えているのか、それも曖昧だ。
……着ている鎧花が重い。脱ぎたい。
着ている鎧花が熱い。脱ぎたい。
「誠哉兄?」
疾風のかすれたような声に、ふっと意識が戻る。
ああ、いけない。飲まれちゃいけない。ここで飲まれてしまったらおしまいだ。僕は疾風や弓姫を殺すことになってしまう。蒼真やエンシュに殺されることになってしまう。意識をしっかり持たなくては。
そう思って、別のことを考える。奴の出現で、分かったことはひとつ。
邪人たちが僕を狙って押し寄せていたのは闇黒族の差し金だったのだ、ということ。
僕はあまり覚えていないけれど、僕の身体に『邪』の気を仕込んで十年も眠らせていたのは、多分奴だ。
僕を、奴の思うように『目覚め』させるために。
すまない、またせたようだな。
『時は動き、時は満ちた。殻を破れ』
薄く笑みを浮かべたまま、奴は口だけを動かした。その口から漏れたのか、直接頭の中に響いているのか区別がつかなくなっている言葉が、僕の脳の一番深いところにまで潜り込んでくる。ずきずきと痛む。ぎりぎりと締め上げられた何かが、僕の中で悲鳴を上げている。
何で締め上げられている? ああ、鎧花だ。『七変化』と、その中に仕込まれた天翼族の羽の魔力が、僕を締めつけて放さない。
「誠哉! ……略式、散開、発火!」
エンシュの声が響くと同時に、奴の周囲で火花が弾けた。彼女の魔術はしかし、少年の手のひと振りによってかき消される。同じ魔術を瞬時に発動させてぶつけ、自分へと向かう攻撃力を逸らしたのだ。向こうは略式の詠唱すらしていない。何てこった。
「ち、てめえ!」
「疾風、行くな!」
その一瞬の隙を突こうとしてか、疾風が地面を蹴った。蒼真の制止も聞かずに大剣を振りかざし、一直線に少年へと向かっていく。
ちっ、という小さな舌打ちの音を残して蒼真がその後を追った。彼は両手から短いけれども鋭く尖った刃を引き出し、まっすぐ駆けていく疾風とは対照的に大きくカーブを掛けて少年へと向かう。
ああ、少年が眼を細めている。奴が笑みを崩さないその意味を、疾風は分かっているんだろうか。
おまえなど、まともにあいてするまでもないのだぞ。
『愚かな。急がずとも疾く殺してやるというのに』
再び、詠唱の無い魔術が迸る。地面から細い透明な槍が次々に突き出し、疾風の脚を縫い止めようとする。
幸い義父さんの手がけた鎧花が貫かれることは無かったけれど、それでも守られていない腕や脚を幾本もの槍がかすめ削っていく。蒼真を無視しているのは、見えていないのか見るまでもないと思っているのか。
「あ、くっ!」
「ふっ!」
けれど、疾風は突進を止めない。傷口から血を流しながらも少年の元へ到達し、勢いのままに刃を振り下ろす。少年の背後に回り込んだ蒼真も、同時に二本の刃をまっすぐ少年の首へ突き通そうとする。
『だから、愚か者というのだ。ヒトよ』
少年の、マントのような翼が風に煽られるようにはためいた。右の翼は疾風の胴を鎧花の上から無造作に薙ぎ払い、左の翼は蒼真の腹を鈍器のように打ちのめす。
「……がっ」
「げふっ!」
どさ、どさと重い音がして、二人が大地に倒れ伏した。奴はその二人には目もくれず、じっと僕だけを見つめている。ゆっくりと右手が、僕に向けて差し伸べられる。
『さあ、こちらへ。無粋な衣は脱ぎ捨てて』
「誠哉……にい」
衝撃を受けた腹を抱えながら、疾風がゆっくりと身体を起こしている。蒼真も頭を振りながら、咳き込みながら態勢を立て直そうとしている。
駄目だ。
動くな。
動かないでくれ。
そうでないと、ぼくはおまえたちをころすから。
「『七変化』、解除」
その言葉を放ったのは僕自身の意志だ。いや、本当にそうなのだろうか? いまいち自信がないけれど、でも僕がそう言ったのは事実だ。
ぱきんと張りつめた音と共に、青紫の花を模して形造られた鎧が僕の身体から外れ、少し離れた位置に花の姿をして転がる。
「誠哉!」
エンシュの声が、僕をとがめるように響く。セラス司令とラフェリナは――分からない。どこにいるのか、もう遠吠えすら聞こえない。
それでいい。逃げたのならそれでいい。
ぼくがころしてやれないのはざんねんだけれど。
『術式を発動する。目覚めよ、我らが長。邪なる遠き地よりの来訪者』
凛とした声が響く。僕の身体は僕の意志から切り離され、その場に跪いた。満足げに喉を鳴らす奴の手が、僕の手を取った。
だって、僕は。
「ごめん」
十年前の、村人たちを犠牲としたあの儀式で体内に納められた、今まさに目覚めようとしている『邪』の器なんだから。
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