16.出撃、そして

「『七変化』」


 青紫色の花に手をかざし、その名を唱える。僕の声に反応して、花はぱかりと大きく口を開いた。軸を伸ばし、花びらは僕の身体を守るためのパーツとなり装着される。そうして、僕は鎧花の剣士になる。


「誠哉兄、無理すんなよ」


 さっき貰って来た飴をなめている時間ももどかしくてかみ砕いていると、肩を軽く叩かれた。既に『曼珠沙華』をまとっていた疾風は、軽く手を握ったり開いたりして調子を見ている。

 量産型もそうだけど、特定人物の専用として造られた鎧花は調整が難しく、最終的には装着者自身が微調整をして合わせるしかない。この辺は今後の課題だって義父さんが言っていたことを思い出すけれど、十年たってもあまり変わってはいないんだな。


「うん、分かってる。……僕が堕ちたら、頼む」


 疾風の心配事は分かっている。レベルは低いけれど『邪』に汚染されている僕が、戦闘とは言え邪人と接触するのだから。『邪』の汚染レベルが上がり、この僕自身が邪人となって自分たちに牙を剥くことを懸念しているんだ。だから僕はそう言ったのだけれど。


「堕ちないように踏ん張るって言えよ。情けないなあ、兄貴」


 ……二歳年上の義弟に、頭をコツンと小突かれた。はは、確かにそうかもしれないな。

 この戦闘で、僕が邪人に堕ちるとは限らない。ヒトのまま踏ん張れば、多分セラス司令の儀式まではもたせることができるだろう。そうしたら僕は、邪人との戦闘を恐れることはなくなる。弓姫が手を加えた『七変化』も、きっと僕を守ってくれるだろう。


「そうだね。頑張る」


 考え直して、僕は頷いた。何だか、本気で僕が疾風の弟のような感じになってきたぞ。変なの……いや、現在の実年齢だと変じゃないんだけどな。




 そうして僕たちは配置に付いた。

 先ほどの疾風の指示通り、蒼真が広場の入口近く、僕から見て左側に茂っている木の上に身を隠している。疾風は蒼真の場所から入口を挟んだ、やはり同じくらいの高さがある木の上。赤い鎧花だから目立つはずなんだけど、その辺りは自身の気配を消すことで対応しているようだ。

 それと、もっと目立つ目標を置く、というもう一つの策があるためあまり問題はないだろう。

 僕の背後の上空で、ばさりと音がした。振り仰ぐと、翼を自らの数倍は巨大に広げたエンシュが、前方をにらんでいる。要するに、彼女が先制攻撃役であり囮である。

 邪人に対する囮として一番適しているのは天翼族だけれど、さすがに司令官を囮に引っ張り出すのは無理だから……前にはやったこともあるらしい。それこそ無茶だと、僕は思う。


「誠哉。来たぞ」

「はい」


 彼女の声に、改めて前方を見やる。ああ、遠くから集団が迫ってくるのがよく見える。そう言えば女の子が斥候でいたはずだけれど、どうしたんだろう。戻ったのかな? それとも……


「普通に考えれば、殺しましたか?」

「殺せば血の匂いで奴らが興奮する。肉体の造り自体はヒトのままだからな、気絶させるのも容易い」


 鼻で笑いながら彼女が顎をしゃくる。そちらの方にちらりと視線をやると、茂みの中から脚のようなモノが僅かにはみ出ていた。あれが彼女か。こちらから見えるように置かれているということは、彼女の監視はこちらで受け持つってことだな。

 それにしても、邪人って思考がヒトとは少しずれているのかな。斥候が消えたら、少しは警戒するものだろうに。エンシュを見つけ、一心不乱にこちらを目指して突進してくるなんて。


「ふん、烏合の衆とはまさにこのことだな。群れさえ為せば良いと思っている」


 深紅の目を細め、彼女が微笑んだ。その笑みは妖艶で、僕は一瞬ぞっとした。背筋を冷たいものが走る。これが、敵と相対した時に闇翼族が見せる本質ということだろうか?


「はは、私が怖いか?」

「……はい」


 僕を見下ろして問うエンシュに、隠しても仕方が無いので頷く。と、彼女の笑みの質が変化した。屠るべき敵を待ち受けている肉食種の笑みから、柔らかな慈母の笑みへと。


「それが正常だ。邪人は恐れを忘れ、ただ目的のために動く輩だからな。安心しろ、お前はヒトだよ」


 僕に安心させるためになのかそう言って、彼女は再び前方を見据える。大きく広げられた両の手のひらに魔力が収縮していくのが、僅かな放電として僕の目にも見えた。


「さて、少々派手に行くぞ。魔力凝縮……発火核発熱開始」


 ぽう、と小さな火種が灯った。エンシュの手の回りにいくつもの小さな光がぱち、ぱちと爆ぜているのが分かる。その手をゆっくりと前方に差し伸べ、彼女がふうと息を吹きかけると、その光たちがぱあっと花びらが風に舞うように散った。きらきらと降りしきる光に、はっと邪人たちが顔を上げたその瞬間。


「……散開、発火!」


 凛とした声が、空間に響く。その声を合図に、光たちは一斉に炎となり燃え上がった。すぐそばにいた、邪人たちを道連れに。


「ごああああ!」

「しゃああああ!」


 悲鳴を上げながら燃え尽きる邪人。炎に燃やされなかった彼らは素早く燃える仲間を蹴り飛ばし、突き放して自分への被害を食い止めようとする。心を書き換えられても、ヒトは生きようとするんだ。

 ……僕も、その一人だけれども。


「誠哉」

「はい。行きます」


 エンシュに促され、魔力の剣を形成した。とんと地面を蹴ると、鎧花に覆われた僕の身体はふわりと宙を舞う。

 着地地点は、炎で混乱している邪人の群れの、少し外れ。はっと気が付いて振り返った一人の背中から、心臓を目がけて剣を突き出した。ぞぶり、という肉を裂く感触は、何度感じても慣れることはない。


 なれなくていい。そのうち、かんじなくなるから。


「行くぞ!」

「……っ!」


 ほぼ同時に疾風、そして蒼真も配置地点を飛び出した。三方から攻め立てる僕たち、そして遠距離からの魔術を駆使するエンシュに、邪人は統制を取り戻すことができない。にしても、数が多いなあ。


「ぎゃあああ!」

「おおおおん!」


 ――違う。

 確かに数は多いけれど、それだけじゃない。


「く、はっ!」


 一人。首を撥ねる。

 頸椎を切り離す時の一瞬の重みが、きつい。


「……ふっ!」


 ひとり。武器を持つ手ごと、肩口から袈裟掛けにする。

 切り離し切れなかった胴体が、重い。


「たあっ!」


 ヒトリ。柔らかい腹を串刺しにし、そのまま刃を跳ね上げる。

 飛び散るどす黒い血が、熱い。


「……やっぱり」


 殺しても、ころしても、止まらない。

 こいつらは、僕目がけて押し寄せて来てるんだ。


「魔力凝縮。凍結核冷却開始……凍結!」


 ばきりと者が割れるような音が僕の背後からした。ちらりと確認すると、邪人が一人氷漬けになっている。エンシュの魔術か……迷惑掛けているのかな、僕は。


「それでも!」


 凍った邪人の影からもう一人が飛び出してきた。小刀を振り下ろされるのに、僕の身体は反射的に動いた。鋭く切り裂いた喉の持ち主は、斥候役の女の子。ああ、起きて来ていたんだな。ごめん、ゆっくり眠ってくれ。


 あとは、ぼくがやる。


「く、やっぱ誠哉兄が狙いかよっ!」


 少し離れたところに、空間ができている。その真ん中で疾風が、僕より大振りの刃を邪人に振り下ろしていた。

 足を大きく開き、腰を落とすという重心を安定させた姿勢で義弟が振り回す光の剣は、刃というよりはむしろ鈍器のように敵を打ち砕いている。力任せに近い疾風の戦法が、逆に強力な武器となっているんだ。


「……誠哉!」


 鋭く僕の名を呼んだのは蒼真。彼は黒い鎧花の両手首から短い光の刃を実体化させている。なるほど、二刀流か。

 右で邪人の刀を跳ね上げ、左で的確に心臓を突き通しながら、彼は僕の背中側にクルリと入り込んでくれた。長めの黒髪の向こうから、同じく真っ黒な瞳がこちらを伺っている。やはり気になるんだろうな。


「大丈夫か? かなり『邪』の圧力が来ているはずだが」


 言われて気づく。確かに周囲の邪人たちからは、僕を狙ってくるような……何というか、蒼真の言う通り目に見えない圧力とでもいうようなモノが感じられる。けれど、それはほとんど僕までは届かない。鎧花がふんわりと暖まり、その圧力を跳ね返してくれているようだ。

 『七変化』に弓姫が仕込んだという、セラス司令の羽の力らしい。


 よけいなことを。じかんがかかるじゃないか。


「大丈夫。セラス司令の力のおかげかな、そんなに感じないよ」

「そうか」


 僕が一人を蹴り飛ばしながらそう答えたら、蒼真は小さく頷いて僕から離れた。僕の背中側から、多分僕を目がけてだろう突進してくる邪人たちが一グループいる。彼はそちらを引き受けてくれるようだ。

 僕の目の前にも、我先にと突進をかけてくる邪人たち。そうだな、どうやら僕がお前たちのターゲットだ。それならそれで、こちらは都合が良い。僕が囮になればいいんだから。


「悪い。引きつけるから、頼む」

「承知」


 そばにいる蒼真に声をかける。彼が頷くのを確認して、僕は敵のまっただ中に躍り出た。思った通り、濁った視線が僕に集中する。

 わっと群れを為して襲いかかってくる邪人を、背後から疾風がまとめて二人斬り倒してくれた。いくら力任せって言っても、ちょっと無茶をし過ぎじゃないかなあ。


「だーもー、無理すんなよ兄貴っ!」


 物体となった邪人をうざったそうに蹴り飛ばし、別の邪人にぶつける。それに巻き込まれてバランスを崩した一人の顔面に切っ先を突き込み、背後に飛び退きながら僕は疾風の顔を見た。あ、僕、心配されている。本当に弟扱いかもな。


「無理してないよ、信じてるだけだ!」

「はっ、そりゃありがとよ!」


 同時に剣を振るう。僕が一人、疾風も一人の胸を切り裂いた。黒く染まった血が弾け、僕の顔にかかる。熱い、と思ったのは一瞬で、すぐにそれはすうっと冷えて僕から熱を奪っていく。ああ、こうなると体温まで下がるんだ。


 いまの、ぼくみたいに。

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