15.再びの襲来
かさささ、と乾いた布が擦れるような音がした。はっとして顔を上げると、そこには闇翼族と同じ色の翼が生えた、黒い玉が浮いている。連絡事項を伝えるための、闇翼族の使い魔だ。
『誠哉、弓姫』
流れ出してきたのはエンシュの声。淡々としゃべっているけれど、どこか緊張感が漂っているのが分かる。
『邪人の接近が感知された。すぐにブリーフィングルームに来い』
必要事項を告げると、ぱんと弾けて消える。これは証拠隠滅のための自滅措置で、連絡用の使い魔には必須とも言われている。僕は使い魔なんて作れないから、そのあたりのことは分からないけれど。
「お兄ちゃん、行こう」
「分かった」
一瞬にして真剣な表情に変わった義妹に頷いて、僕は身体を起こした。寝間着ではなくいつでも出られるように私服で寝ていたから、身支度はすぐに済ませられる。手早く髪をなでつけて、弓姫と共に部屋を後にした。
既にブリーフィングルームには、僕たち以外の主立った顔が揃っていた。整備担当である香耶さんまでいるのは、鎧花の整備や準備を効率よくこなすためだろう。
「走ってきたな、よし。一分二十八秒、まずまずだ」
エンシュは癖なのだろうか、最初の日と同じように到着までの所要時間を教えてくれた。目標は一分以内だな、この感じだと。
一方、セラス司令は昨日見せてくれたほんわかな笑顔はどこにもなく、真剣な表情を浮かべている。そりゃそうだろう、事情が事情だ。こんな時までほんわかしてたら、それこそ『邪』の手先と言われても仕方がない。
「揃ったな。まずはこれを見ろ」
ぱちん、と彼女が指を鳴らすと同時に、僕たちの脳裏にこの近辺を俯瞰で見ているという感じの光景が広がった。闇翼族が得意とする、精神に影響を与える魔術の応用だ。
村を囲むように柵が作られており、その外側……都から離れた側に守備隊の駐屯所が備えられている。経験上、そちら側から邪人が攻め込んでくる確率が高いからだ。この近辺の場合、そちらの方は十年前に僕が登った『邪』の卵があった山もあるし、当然のようにその方面を警戒している。
で、駐屯所のそばを通り村へと向かう一本道。その上を、密集した邪人の集団が律儀に通ってくる。この辺はかつてヒトとして生活していた頃の習慣が抜けないものらしい。まあ、記憶自体はその頃のままなのだから当然かも知れないな。
その中で一人だけ、駐屯所とその敷地を囲んでいる柵の入口のそばに潜んでいる、少なくとも本人はそのつもりの邪人がいた。まあ、入口のあたりには木が茂っているし、そこからすぐにある広場の周囲も木々があるから、小さければ隠れられるとでも思っているんだろうな。
実際にはこうやってエンシュやセラス司令の魔術、ラフェリナの鋭い嗅覚があるからあんまり当てにはならないのだけれど。
彼女……まだ十代前半の女の子は、ちらちらと建物の方を伺っている。小柄な体格の彼女を斥候として使っているのか。
「現在感知されている邪人はおおよそ二十、『見て』の通り一塊になって街道をこちらに進んでいる。斥候の配置からして目的地はどうやら村ではなく、我々のようだ」
エンシュの耳に心地良い声が、説明を付け加える。確かに彼女の言う通りだろう。奴らが村を狙うのならば、わざわざ駐屯所へまっすぐやってくるわけがない。昨日だって、ぐるりと回り込んで村へと侵入したのだから。
つまり、邪人の目的は守備隊の殲滅、そうでなければ……何か守備隊が所持していると少なくとも向こうが考えている目標の取得、もしくは破壊。だから、彼らは守備隊駐屯地を目指している。迎え撃つには好都合だ。
「誠哉、疾風、蒼真。お前たちは敵を待ち受け、三方向から包囲しろ。私が先手を撃ち込む」
エンシュの指示が出る。司令官であるセラスではなく、彼女が実質的な指揮官だと弓姫や疾風に聞かされていたことを思いだした。まあ、確かにセラス司令ってのんびりおっとりタイプだもんなあ。
「了解。蒼真、広場の入口近くに待機してくれ。誠哉兄はこっちからだと一番近い、俺らの訓練してたあたりな……俺は蒼真と反対側の、入口から少し離れた辺りに行く」
「入口だな、承知」
「分かった。入口側からだと、一番奥だね」
頭の中に広がる地形図を探りながら、疾風が少し考えて口にする。彼の口にした地点に、エンシュが光点をぽつ、ぽつと置いていき、それを『見て』蒼真と僕は頷いた。僕たち三人で、広場に入ってきた邪人を包囲して動きを止める訳だな。
そのうち、僕を示す光点のそばにもう一つ、ぽつりと光が点った。ああ、これはエンシュが自分の配置を決めたんだ、
「では、私は誠哉のそばに陣を取る。番を頼むぞ」
エンシュの言葉に、少しだけ苦笑して頷く。一番奥に陣取ることになる僕のそばに位置を取った方が、多分まっすぐ突っ込んでくる邪人たちに対して魔術を行使しやすいからだろう。疾風と蒼真に被害が行かなければいいんだけど。
……それと、万が一の場合を想定して。
「それは避けられない方が悪い。私の部下に、そのようなヘマをする奴はいないからな」
「……エンシュはいつもそうだからなあ。まあそう言うわけだから誠哉兄、俺らのことは心配しなくていいぜ」
「そ、そっか」
平然と答えてのける疾風と、何も言わないけれどくすりと小さく微笑んだ蒼真に、僕は頷くしかなかった。そうか、いつものことなのか。それはまた凄いな。それとも、闇翼族と共闘する時はこれがデフォルトなのかな?
と、そこへセラス司令が口を挟んできた。今までエンシュや僕たちの交わしていた会話内容をじっくり聞いていてのことだろう。
「僕とラフェリナは周囲を警戒するよ。昨日もそうだったけれど、別動隊がいるかもしれないからね」
「わん、任せて。邪人の臭いならボク、得意だもんね」
ラフェリナがセラス司令の言葉を受け、決して小さくはない胸をどんと叩いてみせる。
彼女の犬獣魔という特性は、隠れ潜む邪人の独特の臭い……何とも言えないあの独特の臭いを遠く離れたところから察知できるという、こちらにとっては格好の能力だ。
だからこそ、哨戒に犬獣魔を初めとする獣魔族が出されることが多いのだ、と僕は聞いたことがある。山林を駆け抜けるのも、彼らは得意分野だからな。確かに適しているだろう。
「弓姫と香耶はこのまま待機、念のため鎧花を着ておけ。村に危険が及ぶようであれば使い魔を飛ばすからな、避難誘導を頼むぞ」
「分かりました」
「了解です」
最後に弓姫と、一緒に並んで立っている香耶さんが同時に頷いた。
確かに邪人の狙いは僕たちだろうけれど、ついでとばかりにそばにある村を襲撃しないとも限らない。『邪』へ捧げる生贄と、心を汚染させて仲間にするための捕虜を得るために。それに、そもそも守備隊の任務は『邪』から村人を守ることにあるのだから。
不意にぱん、と乾いた音がした。黒衣の少女が己の両手を打ち合わせると同時に、僕たちの脳裏に浮かび上がっていた俯瞰の光景が一瞬にして消え去る。これでブリーフィングは終了、の合図だ。
「よし。ほら弓姫、仕事行くよ仕事」
「あ、はい」
最初に動いたのは、整備担当の香耶さん。弓姫の背中を叩いて、鎧花のチェックをするためにいそいそと部屋を後にする。出て行く瞬間、弓姫がこちらをちらりと振り返って手を振ってきてくれた。
「兄貴、蒼真、行くぞ」
ぽん、と僕の肩を叩き、疾風が促す。ふと見ると、蒼真もあまり感情は無いけれどどこか優しい瞳で僕のことを見つめていた。そうだな、僕たちも行かなくては。
「分かった。じゃあ、行ってきます」
「では」
セラス司令とエンシュに軽く目礼し、その場を辞する。ああ、そう言えば朝食を取っていないな。テーブルの上に飴があるから、少し貰って行こう。
「わふ。ボクも行ってくるねー、お仕事お仕事」
背後で、戦闘前だというのに能天気なラフェリナの声がした。
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