四:天祢誠哉

14.懐かしい朝

 夢を見ている。

 暗い、暗い空間で重い体を横たえ、眠りに落ちることを拒否し続けている僕。

 周囲にはほんの少し前まで一緒に『邪』と戦っていた、顔見知りのおじさんたちがずらりと並んでいる。

 その顔からは生気が消え失せ、急性中毒者特有のどす黒い痣がべったりとくっついていた。痣っていうのは体内から浮かび上がるもののはずだけど、僕の目にはどう見ても『くっついている』ようにしか見えない。

 髪の毛も一部色が抜けて、僕の髪みたいな銀の色になってしまっている。


『では、最後の術式を開始する』


 村人たちの奥にいる誰かが、高らかに宣言した。それと同時に、僕のまぶたがぐんと重くなる。駄目だ、眠っちゃ駄目だと頭の深い部分が警鐘を鳴らし、抵抗を始めた。

 そうだ、僕は眠っちゃいけない。ここで眠ってしまったら、僕は何もできなくなる。ダメだ、起きるんだ。

 ぎりと噛みしめた唇から、僅かに血が垂れた。少し薄い鉄の味は、妙に喉の奥に染みる。


『無駄な足掻きと知れ。お前は既に戻れない』


 声だけの存在が、囁きかけてくる。と同時にずどんと、抵抗を続けていた深い部分に衝撃が走った。重い、重い衝撃は急速に僕の意識を削り取り、眠りへと落とし込む。ダメだ、ダメだと分かっているのに、僕は強制的に眠りの中に押し込められていく。

 意識が闇に堕ちる寸前、全身に何か熱いものがかかった。いや、熱いと言うのは今考えたら神経の勘違いだったのかも知れないけれど。

 最後に見たのは自分を覗き込む、自分の首から血を吹き出している感情のない村人たちの顔だった。




 悪夢を見ていたような気がする。ふっと目を開けたら、誰かが僕を覗き込んでいた。大きな目の、どこかで見たような女の子。


「おはよう、お兄ちゃん!」


 その子は僕を見て、にっこりと笑った。ええと誰だっけ……と尋ねようとして不意に、思い出した。


「……ええと、あ」

「え?」

「弓姫か。ごめん、おはよう」


 ああ、やっぱり実感もへったくれもなかったな。僕は十年分時間を飛び越えてしまっていて、目の前にいるのはその十年をきちんと生きた、僕と同い年になった弓姫。

 僕は目を何度か瞬かせて、大きくなった弓姫を正面から見つめる。理性では分かっているけれど、やはり違和感は拭えない。口に出して再確認することで、少しでもその妙な感触を拭い去ろうと試みた。


「十年経ってたんだよな、そういえば」

「あ、そっか」


 僕の台詞に、弓姫もやっと僕の反応の意味に気が付いてくれたようだ。起こされ方自体は十年前と全く同じだったから、余計にそういう反応が出てしまったのだということも。

 参ったな。

 どうしても埋めることの出来ない隙間が、僕と僕以外のヒトたちの間に立ちはだかっている。それは仕方のないことだ、と自分に言い聞かせながら、僕は笑ってみせた。可愛い義妹には心配をかけたくないもんな。


「まあ、それはともかく。おはよう、誠哉お兄ちゃん」

「ああ。おはよう、弓姫。疾風は?」


 弓姫の手が、僕の頭を母親がやるみたいに撫でる。んー、もしかして寝癖ついちゃってるかな? 僕の髪、割と柔らかくてすぐ寝癖つくからなあ。疾風曰く、そのせいで僕は天然ボケだと思われてるらしい。心外だ。


「朝の訓練。……兄さん、お兄ちゃんの監視役だって分かってんのかなあ?」

「僕も困るんだよなあ。監視役が別行動じゃ、おちおち動けないよ」


 疾風が早朝に剣の訓練をするのも、十年前から変わらない彼の習慣だ。続いているのは感心するけれど、名目上とは言え疾風に監視されているこっちの身にもなって欲しい。

 第一……もし、今ここで僕が『邪』に支配されて暴れだしたりしたら、弓姫一人では多分止め切れない。暴走した僕は弓姫を殺し、邪人として処分されるだろう。


「疾風は元々、微妙にずれてるところがあるからなあ……あー、何か変な感じだ」


 と、あんまり寝起きに考えることじゃあないな。寝台の上に身体を起こし、改めて正面から弓姫を見てみる。

 昔より頬がすっきりしたな、と思ったせいか、勝手に手が伸びて義妹の顔をぷにぷにとつついていた。む、感触は昔とあまり変わらないな。ってことは、肌の手入れはきちんとやってるってことか。やっぱり女の子だなあ。


「何?」


 弓姫が、不思議そうな顔をして尋ねてくる。うん、お前は僕の失くした十年間を積み重ねてきたから、そうなんだろうけれど。


「だって、朝の起こされ方も疾風の習慣も、二人が小さい頃のままだもんな。これで目の前にいる弓姫が大きくなってなかったら、本当に十年前の普通の朝だ」

「あ……」


 だから、僕がそう言ったら弓姫は困ったような顔になって、しゅんと伏せてしまった。

 参ったな、僕はそんなつもりで言ったんじゃないのに。


「ごめん、弓姫。懐かしくて、嬉しかっただけだから」


 ああ、何を言っても言い訳になってしまうな。だけど、言わずにはいられないからそう続けるしかない。そうして、目の前にある黒髪をそっと撫でた。十年経っても変わらない、弓姫の綺麗な黒髪。


「う、うん。ごめんなさい」


 弓姫は、まるで自分が悪いことをしたかのようにしょげながらおとなしく僕に撫でられていた。髪の毛はつやつやで、何だかんだ言っても顔色は綺麗なピンクで、十八という年齢にふさわしい柔らかな身体で。


 ああ、たべてしまったらおいしいだろうな。

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