13.帰還祝いのその後に

 その夜。

 俺と弓姫は、誠哉兄と一緒に食堂でちょっと豪華な食事を取っていた。まあ、誠哉兄の帰還祝いってことだ。

 ま、豪華って言っても主食のパンに肉と野菜の炒めもの、骨でダシを取ったスープってのはここらの基本的な食事。そこに海魚の蒸し物とデザートの果物を追加しただけの、ほんとにささやかなものだ。

 でもこの村って海からあまり近くはないから、生の海魚を見る機会は少ないんだけどな。昨日たまたま、これまた珍しい闇翼の行商の人が氷の魔術で冷やして持ってきてくれたんだよ。ほんと、ついてるよなあ。


「とゆーわけでぇ、疾風と弓姫のお兄ちゃんの無事を祝ってカンパーイ、なのだっ!」

「……あー、何でお前が仕切ってんだよ、ラフェリナ」


 せっかく兄弟水入らずで過ごそうと思ったのに、一体この犬っころはどこから沸いてきたんだか。しかもラフェリナのやつ、ちゃっかり誠哉兄の隣に座ってるし。


「まあまあ、いいじゃないか。ラフェリナ、お魚好きかい?」

「うん、大好き!」


 まるで昔の俺たちに対するように、誠哉兄は自分用の魚を少し取り分けてやる。ああもう、今日の主役は兄貴なんだからそんなことしなくてもいいんだよ。


「お兄ちゃん、ラフェリナの世話はいいからいっぱい食べて」


 弓姫も俺と同じことを思ったのか、しっかり口を挟みに行った。ついでに二人の間に割り込む辺りはさすがだな、妹よ。


「そうそう。お前なあ、少しは遠慮ってもんを……ないか、そんなもん」

「わう、何で?」


 こら、不思議そうに首をかしげるんじゃない。

 お前、一応犬獣魔族としては成年だろうが、もう少し自覚を持て。半年前の発情期の時は大変だったの、忘れてないからな。

 まったく何だ、その自分は大変に上機嫌ですよーとばかりに激しく振られている尻尾は。


「しっかし、お前も大概人懐こいけど。誠哉兄にはベッタリだなあ。気に入ったのか?」

「うんっ。いいおにーちゃんだと、ボクは思うんだ。だって」

「ご飯分けてくれたし?」

「そうそう! 弓姫、何で分かったの?」


 やっぱりか。簡単に餌付けされるなよな、ラフェリナ。あーあ、この状況じゃ誠哉兄も苦笑するしかないよなあ。弓姫も顔引きつってるしさ。


「お前、その調子で邪人にまで餌付けされてんじゃないだろうな?」

「うわ、その発言はすごーくボクに失礼だゾッ。疾風、あやまれー」

「兄さん、ちょっと言い過ぎ」


 ……そうかな? 俺は十分あり得る可能性として提示しただけなんだけどな。まあいいか、今のところは大丈夫そうだし。


「……疾風」

「おう。悪かったよ」


 さすがに、誠哉兄にたしなめられると悪い気になってしまう。

 昔からそうだった。親父は一発ドカンと雷を落とすタイプで、俺はそうやって怒られると反発する性分で。そんな時、誠哉兄はいつもののんびりした口調で、駄目だよと優しく言ってくれて。

 きっと、お袋の役割を誠哉兄が担ってくれていたんだろうな。


「わん。分かればよろしいっ」

「へーへー、分かりましたよー」

「んもう。ほら兄さん、お兄ちゃん、早く食べよ。ラフェリナも」


 で、最終的になだめるのは弓姫の役目だった。それは今も変わっていない。昔からペットを手なずけるのは得意だったよなあ、弓姫は……あ、これじゃあ俺もペット扱いか? そんなばかな。勘弁してくれ、自分では誠哉兄のライバルのつもりなんだから。


「あー、そうだな。せっかくのうまい飯、冷めたらもったいねえ。という訳でラフェリナ、この魚は俺のものだ」

「きゃん! あー、ダメなのダー!」


 誠哉兄からもらった分の魚を犬娘から奪い取り、口に放り込む。塩が効いててうまいなあ、と大袈裟に咀嚼してみせた。へん、ざまーみろ。


「疾風、本当に変わってないね。何か安心した」


 俺たちを見守りながら誠哉兄が呟いたその一言が、俺の耳に妙に残った。




 誠哉兄は疲れていたのか、早くに寝入った。それを確認した後俺は水浴びを軽く済ませ、自室に戻ろうとして背後から呼び止められた。振り返ると、立っていたのはアテルナ先生だった。


「ごめんなさい。疾風くん、もうお休みですよね」

「少しならいいですよ。今日は宿直じゃないですし」


 俺がそう答えると、こわごわ俺に話しかけていたような先生の顔がぱっと晴れる。この人、ほんとに何思ってるか分かりやすい。恐らく、人には聞かれたくない話なのだろう。この時間に水浴びするのは俺か蒼真、エンシュ。俺以外の二人は既に部屋に戻っているようだから、ここにいるのは俺だけ。


「それで、何ですか? 先生も俺なんかと深夜の逢い引きなんて噂は勘弁でしょうし、早く済ませましょう」


 我ながら色気もクソもない言い方である。それでも、先生はほにゃっと柔らかく微笑んで大きく頷いた。ある意味子供だよなあ、アテルナ先生って。


「ああ、はい。あの、誠哉くんのことなんですけど」

「誠哉兄の?」


 やっと取り戻した相手の名を出され、俺は真っすぐ先生に向き直った。アテルナ先生は守備隊のメンバーの中で一番……恐らくは誠哉兄自身よりも兄貴の身体のことを知っている。だから、先生が誠哉兄について話があるっていうのはつまり、その身体のことだ。


「はい。彼の『邪』汚染レベルのことで」

「……確か、問題ないレベルだって聞きましたけれど」


 ほらな。

 『邪』はヒトを汚染する。その身体も記憶もそのままに、思考を自らに有益なように書き換える。けれどそのうち、書き換えられた思考と汚染そのものが肉体を歪め、容姿を変えていく。

 今日村を襲った邪人たちはその中途段階で、肌の色や髪の色がほぼどす黒く変化しているタイプだった。あそこまで変化するのにおおよそ二年かかる、と言われている。

 けれど、誠哉兄は十年前に汚染されたとはいえ冬眠繭で時間を止められていた。姿形も俺や弓姫の知っている誠哉兄のままで、言われなければ『邪』に汚染されているなんて気づかない。ああ、でも初期症状は出ないんだっけ。


「ええ。でも、今日邪人と戦ったでしょう? 光の守りのある鎧花を着けていたそうですけれど、汚染が進んでる可能性は十分あるんです」


 そうして、アテルナ先生が言う通り汚染の進行の可能性は存在する。

 邪人が接触しただけでは、『邪』に汚染されていないヒトが汚染されることはないけれど、既に汚染されているヒトはそれが深刻化するのだ。種族によっても進行速度は異なるけれど、人間族でしかも若いとなればまあ早い方だ。


「……かもしれませんね。分かりました、気をつけます」

「お願いします。すぐに治療してあげられれば一番良いんでしょうけれど」

「時間かかりますもんね、準備に」

「ええ。司令官にはお願いしてありますから、一両日中には」


 アテルナ先生の言葉を聞いて、ほっと一安心。

 一度汚染されたヒトが『邪』の影響から逃れるには、天翼族を術者として祭儀を行う必要がある。それにより、ヒトの体内に入り込んだ『邪』の気を消去すればいい。

 ただ、肉体まで歪められてしまった者には祭儀の効力は及ばないので、後は――物理的に消去するしかない。つまり、殺すしか。


「そりゃよかった。それじゃ、俺の監視は」

「はい。祭儀が行われるまで、ということになりますね」


 それはよかった。俺が誠哉兄を監視しているってのは兄貴自身も知っていることだけれど、やはり何というかその……久方ぶりに帰ってきた兄を俺が疑っているみたいで、気分が悪い。


「そっか。んじゃ、せいぜい気をつけるよ。差し当たっては早く部屋に帰らないとな」


 だから晴れ晴れした気分でそう言うと、先生もほんわかと緊張感なんて言葉が全く似合わない笑顔を返してくれた。


「そうですね。うふふ」


 それじゃあわたしも戻りますね、と小さく手を振って歩き出したアテルナ先生を何となく見送っていると、ふと彼女が振り返った。何だろう、と首を傾げた俺の耳に、彼女の声が届く。


「でも、気をつけてくださいね。蒼真くんが言っていたのですけれど……今日やってきた邪人たちは、もしかしたら誠哉くんが狙いだったのかもしれないって」


 ――目的意識をもつ、やたらと統制された動きをする邪人。

 ――誠哉兄が来た途端、俺を無視して兄貴に群がる邪人。


 先生の声は、その理由をぽんと置き去りにした。

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