09.邪人襲来

 僕たちがブリーフィングルームに駆け込むと同時に、エンシュがこちらを振り返った。大きな赤い瞳を僅かに細めて、笑っているのは何でだろう。


「ラフェリナのスタートから二分三十八秒。まあまあだな」

「すみません。それで状況は?」


 僕の疑問に、エンシュと弓姫のやり取りが答えてくれた。ああ、そういうことか……緊急招集に応じる時間を計っていたんだな。まあまあってことは、もっと早く来いと彼女はそう言ってるんだ。僕で手間を取らせてしまったな。ごめん。


「芳しくない。私の使い魔を派遣して牽制に当て、村民は自主的に避難しているが、こちらが手薄なのを向こうも知っているようだ。図に乗って攻撃を仕掛けて来ている」


 僕の心境を知ってか知らずか、ちらりとこちらを見た後難しい顔をして、エンシュが呟く。それからその視線が、すいと疾風に向けられた。気づいた疾風は小さく頷いて答える。


「出ます」

「ああ、疾風は先行しろ。先程蒼真からの使い魔が届いた。七分で合流する」

「遅いな……まあいい、了解。じゃあお先に」


 返事をするが早いか、疾風は床を蹴って駆け出していった。一人ではきついのかもしれないが、すぐに増援が来るのであれば何とかするだろう。

 蒼真。さっき弓姫と疾風の会話の中に出て来た名前だ。

 疾風より腕がいいらしいから、しばらくは何とかなると思う。ただ、邪人がどれくらいいるのかが分からないのが困るけれど。何とかしなければ、と気だけが焦る。今、僕にできることなんて何もないのに。

 と、エンシュが僕を見ているのに気が付いた。薄く微笑んでから彼女は弓姫に目を移す。……何なんだろう、一体。


「弓姫も鎧花を着けてくれ。それと……お前の宝物は出せるか?」

「え? あ、はい、いつでも出せるようにはしてあります」


 一瞬キョトンとしていた弓姫だったけれど、すぐに頷く。妹の答えに満足したのか、副司令官たる少女は髪をふわりと掻き上げ、僕に視線を戻した。


「分かった。先だって言った通り、ここは人手不足でな」


 少しの含みを持たせた言葉。その意味を、僕はすぐに感じ取った。……僕にできることがあるとでも、彼女は言うのだろうか。


「僕にも出ろということですか?」

「ああ、そういうことだ」


 絞り出すように問うた僕に、彼女はゆったりと頷く。それから、ボリュームのある長い髪をふわりとなびかせながら部屋の出口へと歩き始めた。僕がどうしようか逡巡していると、赤い大きな瞳がこちらを振り返る。


「ついて来い。さすがに丸腰で出ろ、などとは言わん」

「お兄ちゃん、行こう」

「あ、うん」


 軽く手招きをしてまた歩き出したエンシュの後を、弓姫と一緒に慌てて追う。

 つまり、僕にも鎧花を与えると彼女は言っているわけだ。僕自身、敵のまっただ中に鎧花も着けずに飛び出すなんて無茶はとてもじゃないけどやりたくない。昔、村に襲ってきた魔獣を相手にした時はまだ整備中だったからで。あれは正直、自分でも良くやったものだと思う。

 昔のこと……自分にとってだけはほんの少し前、のことを思い出しながらエンシュに着いて歩いていると、彼女は肩越しに僅かながら僕の顔を伺ったようだ。そうして、視線を前に戻しながら口を開く。


「さて、使う鎧花だがどれがいい?」

「どれ……と言われても。使えるなら何でも構いません。一応剣を修めているので、それに合ったものであれば」


 はっきり言ってしまうと、武器として剣さえ使えれば防具である鎧花はどういうのでも構わない。父さんに専用の物を造って貰うまでは、そうやって戦えるように修行していたのだから。

 軽装型である『白詰草クローバー』や技士用の『蒲公英ダンデライオン』でも、自分の身を守るには十分と言える。さすがに人間族仕様じゃないと、いろいろ弊害があるから無理なんだけど。


「そうか。弓姫、剣士特化型はあるな?」

「……はい。専用鎧花があります」


 エンシュの問いに、一瞬息を飲んでから弓姫が出した答えに僕は思わず横を見た。そうしたら弓姫も僕を見つめていて、互いに足を止めてしまった。

 専用、という言葉の意味を、技術者であるという弓姫が知らないはずはない。鎧花の専用指定というものは、装着者個々でほんの僅かに異なるという魔力の波動を登録し、その波動を持つ者にしか装着できないというものなのだ。

 つまり。


「お前の鎧花は、弓姫がこの部隊の一員となった時よりここにある。十年前から弓姫が大事にしてきた、宝物だ」


 黒衣の少女が言う通り。

 僕が眠りに就く前にまとっていた、僕のためだけに造られたそれがここにある、ということなのだ。


「……」


 弓姫が、僕の腕に触れた。服の袖をちょこんとつまむのは、何か言いたいけれどうまく言えない時の義妹の癖だ。こういう時の対処法は……何も聞かないこと。

 だから僕は、何も言わずにエンシュを見つめ直した。きっと、彼女も弓姫の癖は分かっているはずだから。


「……僕に、まだ鎧花をまとう資格はありますか?」

「私が知るか。そんなもの、自分で決めろ」


 喉を無理やりに絞って僕が問うた言葉への回答は実にそっけないもので、けれど真実を突いていた。少なくとも僕にはそう思えた。だから口を閉ざし、頷く。

 自分の先を行く少女にそれが見えたはずはないけれど、まるで見えていたかのように彼女の喉からはくくっという低い笑い声が漏れた。


「天祢誠哉、覚えておけ。お前の鎧花を十年間守り、整備し、いつお前が戻ってきても良いようにと心掛けていた弓姫の思いを」

「――はい」


 振り返らないままの彼女の言葉を、僕は噛みしめるように心の中に落とした。ああ、もう1つやっておかなければいけないことがあるなあ。


「弓姫」

「え?」


 ……待っていてくれて。


「ありがとう。それと」


 十年間も待たせて。


「ごめん、弓姫」




 副司令官を先頭に、工房へと入る。職人は……あ、一人いた。大柄な女性が、こちらに気づいてつかつかと早足で近づいてくる。何となくその立ち居振舞いが亡くなったという義父を思い出させて、一瞬ぼんやりしてしまった。


「エンシュ、弓姫、遅いじゃないのさ。何だい拾った坊やまで連れてきて」

「ごめんなさい、遅くなっちゃって」

「悪いな、香耶かや。私の『月草スパイダープラント』の整備は?」


 ああ、やっぱりこの人が工房の責任者か。剣士もそうだけど……いや、きっと剣士より整備士の方が年季は重要視される。弓姫がいくつの時にここに来たのかは知らないけれど、まだまだ駆け出しと行ったところだろうな。

 ……あ、いや、あれから十年経ってるんだった、弓姫も必死で頑張って来たらしいから中堅くらいには引っ掛かってるのかな?


「『月草』なら完璧だよ。今終わったところさね」

「そうか。では『月草』と弓姫用に『白詰草』、お前も『蒲公英』を準備。住民の避難誘導を手伝え。それと、例の宝物も出してくれ」


 エンシュは手早く指示をしていく。その最後の言葉に、香耶というらしいその人はぽかん、と目を見開いた。ほんの数瞬だけだったけれど。


「はい? ……もしかして、そっちの兄ちゃんが装備者かい?」


 彼女が指し示したのは僕。いや、今この場に『兄ちゃん』……つまり男は僕1人しかいないんだけど。


「そういうことだ。急げ」


 エンシュの右手がさっと振られる。香耶さんはコクリと大きく頷いて、弓姫を手招きした。その表情はやはり父さんを思い出させる、プロの顔。


「了解、お任せさね。弓姫、宝物は任せたよ」

「はいっ!」


 弾けるように弓姫は走りだした。香耶さんはシルバーの鎧花……多分『月草』だろうそれをエンシュの前に引き出してくる。その後『白詰草』と『蒲公英』を取りに行っている間に、弓姫が台車を押して戻って来た。

 見慣れた色の鎧花を前にして、おやと僕は首を傾げた。僕が覚えているものと、形が少し違うような?


「これは……」

「ごめんね、お兄ちゃん。改造しちゃった」


 両手を合わせて頭を下げる弓姫。ああやっぱりと思いながら、それでも記憶にある姿とはそんなに違わない鎧花をそっと手で撫でた。その中にひとつ、柔らかな熱を持つ部分を見つけて指先で触れてみる。何だろう、これ。


「弓姫。これ」

「あ、あのね、うちの司令にお願いして、羽根分けて貰ったの」

「ああ、なるほど。この熱、天翼族の魔力なんだ」


 義妹の説明で納得した。

 天翼族の魔力の翼は、鳥の翼と同等の形態を持つ。その羽根は天翼族の魔力そのものであり、即ち光の守りとなる。

 要するにこの妹は、守備隊の司令官に無理言っていつ帰ってくるかも分からない馬鹿兄貴の鎧花に光の守護を盛り込んだ、という訳だ。ほんとに無茶するなあ、もしかして疾風の性格伝染ったのかな。


「そっか。ありがとう、弓姫」

「うんっ」


 でも、僕のためにやってくれた事だけは間違いじゃないから、素直に喜ぶことにした。

 何しろ今の僕は、『邪』に何をされていたっておかしくない。いきなり豹変して、守備隊の人たちや村の人たちを襲う可能性だってあるのだ。光の守りは、それを抑えてくれる役目を果たす。

 ……それが、数百年前の『邪』の侵略当初に彼らが天翼族を集中的に殲滅しようとした理由だった、僕はそう聞いている。


「うん、いい整備士を持ったもんさね。あんた」


 ばんと強く背中を叩かれて我に返った。いつの間にか、香耶さんが戻ってきていた。エンシュは既におらず、台車の上には2輪の鎧花が乗せられている。その横で僕の鎧花は、今か今かと出番を待っていた。


「は、はい」

「そら、さっさと行った行った。今頃疾風が、張り切り過ぎてピンチかも知れないだろ」

「あ、可能性あります。行かないと」


 香耶さんの言葉に、ここまで無意識のうちに張り詰めていたらしい心がほぐれた。脇を見ると、弓姫も困ったような苦笑を浮かべている……もしかして、本当にピンチだったりしてな、疾風。


「――久しぶりだね。僕に、その資格があるのなら――力を貸してくれ、『七変化ハイドランジア』」


 だから僕は、自分の鎧花の名を呼んだ。

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