08.義弟

 僕は弓姫に連れられて、芝生が植えられている中庭に出た。

 今僕たちが出てきたのは母屋、それ以外に宿舎と工房がその周囲を取り囲むように建っている。

 あまり広くはないけれど、剣術の稽古をするには十分なその空間で、黒髪の青年が木の剣を振っていた。少し右に振れる癖のある振り方は、僕の記憶の中にある小さい疾風と同じものだ。


「兄さん!」


 弓姫が呼びかけると、青年……疾風は素振りをやめてこちらを振り返った。

 ああ、確かに疾風だ。すっかり背が伸びて、多分僕よりも頭半分くらいは大きくなっているけれど、その顔は疾風に間違いない。肉体も引き締まっていて、僕の知らない十年の歳月をそこに映し出していた。


「疾風、か」

「……ああ」


 僕が名を呼んで、疾風が答える。ああ、声変わりしたんだな。だいぶ疾風の声は低くなっている。

 背も高いから、余計に低い声になってしまってるんだろう。その割にはよく通る声で、疾風の返事は僕の耳にはっきりと届いた。

 話すべきことはほとんど弓姫やエンシュと話してしまったから、僕は義弟に何を言って良いか分からない。そのまま歩み寄っていくと、疾風も木の剣を右手にぶら下げたまま近づいてきた。小走りに近寄ってくるその仕草も覚えている。僕の知ってる小さな疾風が僕に追いつこうとした、その名残だ。


「……兄貴。目、覚めたんだ」

「ああ。疾風、大きくなったな。僕より高くなってる」


 昔は僕が見下ろしていたのに、今は疾風の方が僕を軽く見下ろしている。まあ、普通に十年を生きてきても同じようなことになってはいただろうけど、僕にとってはほんの数日の間の出来事でしかないから、すごく違和感がある。


「話は、弓姫とエンシュから聞いた」

「そうか。けど、俺の話はまだ聞いてないだろ」


 疾風は、幾分僕から視線をそらしながら言葉を紡いだ。確かに、僕が聞いた話は主に弓姫のもの。今の疾風とこうやって会うのはこれが初めてだから、僕はこいつの話も聞いてみたかった。女の子の視点とは違う、男の視点から見た話を。


「……あんたがいなくなってから十年、けっこうあっという間だった。親父は早くに死んで、俺たちは必死で生きてきた」


 手持ちぶさたなのか、手に持った木の剣を軽く振りながらの疾風の言葉。僕は何も言わず、先を促す。


「エンシュの庇護はあったけど、それでも結構大変だったんだぜ。あんたのことをよく思わない村人は少なくなかったからな」

「……そりゃ、そうだろうな。僕が村の人たちを殺したらしい、なんて話じゃあ」


 邪人と『邪』はどこに消えてしまったんだろう。確かにあの時、僕や村の人たちは必死になって戦って、相手を倒していたはずなのに……何で僕が疑われたのか。


「だけど、弓姫はそのあんたを信じて、あんたを助けるんだって鎧花職人になった。俺もそのつもりで、剣士になった。元々あんたから基礎は教えてもらってできてたから、別の師匠を見つけてすぐに腕を磨くことができた」


 僕の腕を、弓姫がしっかりと掴んで放さない。

 二人は疑いを掛けられた僕を信じてくれて、それで助け出そうとしてくれていたんだ。だから弓姫は僕に甘い処置を、とエンシュに頼んだ。本当は罪を犯しているかも知れない、この僕を。


「後三日で、あんたの行方不明が判明してからまる十年。そこまでに見つけられなかったら、俺たちはあんたをあきらめるつもりだった」


 いつの間にか、疾風は僕の目の前に立っていた。こうやって見ると本当に義弟は大きくなっていて、僕は十年前のままで。何となく悔しい……本当なら義弟と義妹の成長を喜ばなくちゃいけないのだろうけど、僕にとって十年という歳月はないに等しかったから。

 そんなことを考えていると不意に、疾風が僕の胸ぐらをぐいと掴み上げた。


「……何で、今頃帰ってくるんだよ! 俺、どんな顔してあんたに会えばいいかとか、あんたより剣の腕上がってるかなとか何かわけの分からないことばっか考えちまって!」

「ちょっと、兄さん!」


 弓姫が悲鳴を上げるのを「大丈夫だ」とたしなめ、疾風の手をそっと離させる。

 さっきエンシュも言った通り、僕と疾風は口で会話するよりも分かり合える方法があるから。というより、自分でもいまいち理解ができていない僕と、口があまり達者じゃない疾風では会話じゃあ時間がかかって仕方がないし。


「わけが分からないのは、僕だって同じだよ。目が覚めたらいきなり十年後なんて言われるし、知らないうちに罪人にされてるし。大体、あんな小さかったはずの弟や妹がいきなり同年代だぞ? 弟には身長まで追い越されてしまってる」


 ああ、何で疾風相手に愚痴ってるんだろう。アテル先生やエンシュには言えないことだから? だからって、年齢が逆転しているとは言え弟に当たるのは筋違いだろう。


「……ごめん。お前に言うことじゃなかった」

「あー、俺も何言ってんだろうな。悪い、兄貴。そっから弓姫、変なトコ見せちまった」

「……うん。せっかく久しぶりの兄弟勢揃いなのに、いきなり喧嘩しないでよね? お兄ちゃんも、兄さんも」


 僕と疾風の間で二人を見比べながらぷう、と膨れる弓姫の表情は、僕の知ってる八歳の弓姫そのままだ。だからだろう、弓姫と会話していた時に十年のギャップをさほど感じなかったのは。

 疾風は十歳の頃とはだいぶ変わっていて、昔僕の後ろを小走りに着いてきていたのが信じられない。

 ……これなら、剣の方も期待できるな。小さい頃からこいつはよく、僕より強くなって弓姫と村を守るのだと言っていたんだから。


「正直言うとな、まだ実感が湧かないんだ。まあ、そう簡単に湧くモノじゃないと思うけど……だから疾風、お前の剣の腕を見せてくれ。十年分成長してるんだろ? 僕に時の流れを教えて欲しい」


 だから、そう提案した。弓姫が大きな瞳を丸くしてきょとんとしているのに比べ、疾風の方はにっと余裕のある笑みを浮かべると大きく頷く。うん、さすが疾風。やはり自分の腕には自信があるようだ。


「あったりまえだ。これでも兄貴がいなくなった後、守備隊の先頭に立って村を守ってきたのは俺なんだぜ?」

「嘘つき。蒼真さんの方が強いじゃない」


 えっへん、と俺の目の前で大いばりで胸を張った疾風に、弓姫が小さく溜息をつきながら一言呟いた。その途端、自信満々だった疾風の顔が苦虫を噛みつぶしたような表情になる。なるほど、司令官と一緒に外に出ている仲間のことなんだな。


「だから蒼真とツートップだろ、俺!」

「それは認めるけど、蒼真さんにどれだけ迷惑掛けたか分かってるの? おかげで毎回毎回、兄さんの鎧花より蒼真さんの鎧花の方が損傷がひどいのよ!」


 えーと、弓姫。君、十年前はぶっちぎりのボケというかおっとりだったのに、いつの間にツッコミを覚えたんだ?

 そして疾風、お前いつの間にツッコミからボケに鞍替えしたんだ?

 何だか、いきなり気が抜けたなあ。今度は僕が、二人の仲裁に入らなくちゃ。


「ほらほら、今度はお前たちが喧嘩してどうすんだよ。まったくもう」

「あ、いっけない」

「……悪かったってば」


 まったく、大きくなっても仲の良い兄妹だな。それはそれで良いことなのだけど、兄としては何だか置いてきぼりにされたようで、少し寂しいかもな。


「……と、俺の剣の腕だったよな。ほら、これ使えよ兄貴」


 やっと話が戻ってきた。疾風は中庭の片隅に置いてあった道具箱の中から、使い古された練習用の木剣を取り出して僕に放ってよこした。右手を伸ばして受け取ったそれは長さも重さもほどほどで、軽く振るってみると簡単に僕の手に馴染んでくれた。

 時間自体は十年ぶりだけど、時を止められていたという僕にとってはほんの数日しかブランクはない。何とかなるかな。


「よし、やろうか。僕を負かすくらい簡単だよな、疾風?」

「当然だ」


 弓姫をその場に残し、二人で中庭の真ん中辺りまで歩み出る。ほどほどの距離を置いて向かい合い、木剣を中段に構えた。取り残された形の弓姫はため息をひとつついて、それから呆れ顔のまま右腕をすっと上げる。


「んもー、しょうがないわね。……よーい、始めっ!」


 鋭い声と共に、妹の右腕は振り下ろされた。

 それを合図に、疾風が地面を蹴る。僕は軽く重心を落とし、力任せにフルスイングされた相手の木剣を自分のそれを宛てがいながら受け流す。うわ、これまともに受けてたら手がしびれるな。


「パワーは合格。そういや昔から力押しだったもんな、お前」

「悪かったな! 俺は兄貴と違って、器用じゃないからなっ!」


 力では露骨に僕が不利。となると、うまく疾風の攻撃を受け流してカウンターを入れるのが一番だな。


「はっ!」

「このっ!」


 とは言え、疾風にも隙はない。自分で言っていただけのことはある……それでも剣同士を絡めて一瞬の空白を作り、そこに素早く切っ先を突き込むと僅かに感触があった。そうか、僕の狙いをギリギリで見切って身体を引いたな。


「……っ!」


 即座に剣を引きながら、反射的に手首を返した。予想どおり、防御ががら空きになった僕目がけて疾風の剣が突っ込んでくる。それを草を風で揺らすように流し、軽くバックステップして距離を離した。お互い、相手から目を離さないまま同時に剣を構え直す。


「ちぇ、やっぱ兄貴だ。結構やるな」

「そっちこそ。もっとも、まだまだ負けないつもりだけど?」

「はっ、言ってろ」


 にぃ、と笑む義弟の顔は、戦いを重ねてきた男の顔だった。

 ――ああ、本当に、十年という年月が流れ過ぎてしまったんだな。

 僕だけを置いてきぼりにして。


「そろそろ決めるか。弓姫も退屈だろうし」

「そうすっか。長引くと、病み上がりには不利だろうしな」

「別に病み上がりじゃないけどな」


 軽口を叩き合いながら、踏み込むタイミングを計る。こういう状態になると、何かきっかけがないと相手の懐には飛び込めなくなる。僕も疾風も、相手が飛び込んできてくれた方が対処がしやすいからだ。


「わんっ!」


 そのきっかけは、犬耳少女の鳴き声だった。鋭い声が走り抜けた瞬間、僕たちはまったく同時に足を踏み出す。大股で二歩三歩、駆け寄りながら木の剣を全力で振るう。疾風は上から、僕は利き手がある左側から。


「そこまで!」


 互いが互いを打つと思ったその時、弓姫の声が放たれた。ぴたり、と止まった二本の木剣は、それぞれ僕の前頭部と疾風の右脇腹を打ちすえる寸前だった。ふう、危なかった。疾風の力と速さのある剣に頭を打たれたら、またしばらく眠らなくちゃならなさそうだったしな。


「……でいいよね? ええと、どっちが勝ったのかな?」


 二人の剣術馬鹿を共倒れ寸前で止めてくれた功労者は、はあーと安堵のため息を大きく吐き出した後その二人の顔を見比べた。何だか、僕たち二人がしょうもない喧嘩をして母親に見とがめられてるみたいだ。いや、弓姫は分かってくれてるはずだけど。


「参ったな。これでも相打ちかよ」

「みたいだな。得物が真剣で、お互いもう1歩ずつ踏み込んでたら両方死んでた」


 弓姫の疑問に答えるため、自分たちの状況を口に出して確認する。そう、僕たちが木の剣ではなく真剣を使っていたのなら、そして弓姫が止めなかったら。

 僕は疾風の剣に頭蓋を割られ、疾風は僕の剣で胴を切り裂かれ内臓をこぼしていただろう。つまり、二人とも助からない。……やれやれ、もう一年僕が寝ていたら、確実に追い越されていたな。


「なになに、疾風と誠哉ってば喧嘩してたノ? ボク、お邪魔だった?」


 最後の一撃に至るきっかけを作った張本人、ことラフェリナは、ぽかーんと僕たちのことを見つめて、それからとんでもないことを言ってきた。うーむ、状況をさっぱり分かってないみたいだな。まあ、当人は僕たちを止めたり動かしたりするつもりで大声を張り上げながら飛んできたわけじゃないから。


「いや、邪魔じゃなかったよ。ありがとう……って言ってもわけ分からないと思うけど」


 けれど、彼女のおかげで助かったのは事実だからお礼を言った。ラフェリナは一瞬きょとんと目を見張り、それからその表情のままの顔を何度かこくこくと縦に振る。


「うん、わかんない。でも、お礼言われたんならボク、悪いことしてないよネ」


 ラフェリナという少女は、殊の外お気楽で純な性格であるらしい。僕の、意味の分からない礼を素直に受け止めてくれて、そうやってにぱっと人懐こい笑顔になってくれるんだから。ただ、それなりに単純でもあるのか、疾風が素早く顔と口を突っ込んできた。


「そうそう。あと、喧嘩じゃなくて腕試しだからな。お前、変な噂流すなよ」

「そうなノ? 弓姫」

「うーん、まあそういうことかな。別に誠哉お兄ちゃんと疾風兄さん、仲悪いわけじゃないんだからね」

「分かったノ。疾風と誠哉は腕試し、だよネ。りょーかい」


 ……前言訂正。ラフェリナという少女は、かなり単純かもしれない。


「で、ラフェリナ。何かあったのか?」


 疾風が、髪をガリガリ掻きながら彼女に尋ねた。そういえば、別に用事がなくて顔を見に来たのなら、犬獣魔だからといって吠える必要はないんだよな。

 尋ねられた途端、ラフェリナの耳がぴんと立つ。ばたばた両手を振りながら、少女は僕たちを見回した。うん、何かがあって焦っているのだけはよく分かった。


「あ、そーだそーだ! たいへんたいへんたいへーん!」

「落ち着けっつっても無理だから、早く用件を言え!」


 がこっと鈍い音がして、同時に疾風のいらついた声も聞こえた。って、女の子の頭をぐーで殴ってどうするんだよ。お前、力だけなら僕より強いじゃないか。


「ひゃう、痛いー」

「兄さん、やり過ぎ」


 頭を抱えてべそをかいているラフェリナをよしよしとあやしながらの、弓姫の冷たいツッコミ。それに動じる疾風じゃないのは知っているから、とりあえず話を先に進めよう。


「ラフェリナ。何があったのか教えてくれるかい?」

「あ、う、うんっ。誠哉、やさしー」


 僕が尋ねると、彼女は耳と尻尾を振りながら満面の笑みを浮かべた。昔から番犬とか近所の農耕馬とか庭に遊びに来る野生動物とかにはよく懐かれたけど、まさか獣魔族の女の子にまで懐かれるとは思わなかった。……って、獣魔族を普通の動物と同類視するのは自分でもどうだろうと思うけど。


「っと、そーじゃなかった。あのね、エンシュの監視使い魔から連絡。邪人が降りてきたって! 武装してるって言ってたヨ!」


 その彼女の口から発せられた言葉の内容を、だから一瞬僕は理解することができなかった。けれど疾風はすぐに頷いて、即座に僕の手から木剣をもぎ取ると道具箱に放り込む。弓姫は僕の腕を取って、くいと引っ張った。


「お兄ちゃん、中に戻ろう。もしかしたら、お兄ちゃんを取り返しにきたのかもしれないし」


 ――かくれても むだだ

 ――とりかえしてやる


 その声が僕の頭の中に響いたのは、偶然なんだろうか。

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