07.守備隊
さすがに弓姫の上司との顔合わせに寝間着は失礼なので、一度別の部屋に寄って準備されていた僕用の衣服に袖を通す。柔らかい生地でできた濃い青の上着とスラックスは、僕のお気に入りだったものだ。だけど、どう見ても最近縫われた新しいものだよな、これ。
「お兄ちゃんが帰ってくるって信じてたから、何年かに一度同じものを作ってもらってたの。よかった、準備しておいて」
弓姫は何でもないことのようにそう言って、満面の笑みを浮かべる。古いものが傷んでくると、また新しく作ってもらうという繰り返しだったらしい。
同じ服を、同じサイズで、何年かおきに依頼してくるっていうのは、服屋さんはどう思っていたんだろうな。
そうして身支度を整えた僕が案内されたのは、ブリーフィングルームを兼ねているという休憩室だった。
僕たちが入っていくと、ソファに座っていた黒髪の少女がこちらをちらりと見て、すっと立ち上がる。その横に座っていた犬獣魔の少女も、倒れていた耳をぴょこんと立てて跳ねるように立った。
「ふむ、遅かったな。積もる話は後にしてほしかったものだが」
「ごめんなさい、エンシュ。一応、ここ十年の概要は話しておきました」
「そうか」
エンシュという名前らしい、白い肌に赤い瞳の、おそらくは闇翼族であろう少女は、弓姫の台詞に鷹揚に頷いた。リボンを多用した黒基調のドレスがよく似合っている。
弓姫が敬語を使っているから、さっき話に出てきた『副司令』っていうのは彼女のことだな。闇翼族はある程度まで成長したら自分の外見年齢を止めることができるから、彼女は見た目通りの年齢じゃない。全身からにじみ出す雰囲気も、僕の考えを支持している。
と、その彼女が僕の方に視線を向けた。ふ、と唇を薄く引いて笑みを浮かべ、口を開く。
「天祢誠哉、だったな。報告は弓姫とアテルから受けた。私はエンシュリーズ・リリンセスカヤ、この部隊の副司令だ。長ったらしい名であるし、エンシュと呼んでかまわない」
外見の愛らしさと違って、口調はさばさばしてる。どっちかというと、男性的な話し方だと僕は思う。けれど、こちらの方が僕も話しやすくていいかな。ともかく、救われたことには礼を言わなくては。
「はい、エンシュ。天祢誠哉です。助けてくださってありがとうございます……それと、疾風と弓姫が世話になったみたいで」
「ふ、まあ気にするな。たまたま、こちらが調査した場所にお前がいただけの話だ。上総の兄妹は見所もあったのでな、こちらもいろいろ助かっている」
「は、はい」
僕の言葉に、エンシュはさらりと返してのける。はは、口調だけじゃなく気質までさっぱりしてるみたいだ。あまり闇翼族に知り合いはいないけど、彼女なら長く付き合っていけそうだ。
「わう。ボク、ラフェリナ。よろしくネ、誠哉」
ぴょこ、と犬獣魔の少女が一歩前に出た。
何だか口調に癖があって、甘えっこという感じだな。尻尾をパタパタ勢い良く振っているということは僕、少なくとも彼女には歓迎されていると考えていいんだろうな。
「あ、うん。ラフェリナか、よろしく」
いかにも頭なでて、と催促するみたいに耳がぴこぴこ動いていたから、リクエストに応えてそっとなでてみる。癖のある髪は少し硬めだけど、結構触り心地がいいな。
と、エンシュが周囲を軽く見回した。少しむっとした表情になって弓姫に視線を戻す。
「後は……疾風はどうした? また中庭で剣術の稽古か?」
「そうなんじゃないでしょうか? 兄さんの習慣ですし」
そうエンシュに答えてから、弓姫は僕に向かってごめんねと手を合わせてきた。
ああそうか、疾風が顔を見せないことを気遣ってくれたんだ。僕が「いいよ」と弓姫に答えると、彼女はほっとした顔になる。エンシュも弓姫のことが気になっていたのか、ちらりと視線を飛ばしてから小さく頷いてくれた。
「ならば誠哉、後で剣でも合わせてみたらいい。お前たちにはその方が早いだろうよ」
「ああ、確かに。そうしますよ」
そうだ、彼女の言うとおりだ。昔は疾風も僕とよく話をしてくれたけれど、あいつとは剣を合わせてその力を見極めてからの方が良いかも知れない。もう十年たってるんだし、疾風もいっぱしの剣士になっているはずだもんな。
「それがいい。そうなると工房は後で弓姫に案内してもらうとして、残るは司令と共に出払っている連中だな。明日には戻ると思うが……そちらの顔合わせはその時にすれば良いか」
くるりと僕たちの顔を見回して、エンシュはそう言う。
確かにここにいる人数だけじゃ少なすぎるとは思っていたけど、やはり別行動しているメンバーがいたのか。
それと工房はつまり弓姫と同じく、鎧花を整備する職人が他にもいるってことだ。僕も昔は自分の鎧花を使っていたわけだし、職人さんにはちゃんと挨拶しておかないとなあ。
……そう言えば食事とかはどうしてるんだろ。当番制か、近くの村から来てもらってるかだろうな。弓姫、料理できるようになったのかな。後で聞いてみよう、と思っている間にもエンシュの言葉は続いていた。
「で、司令が戻るまでは全権を私が預かっている。司令には事後報告と言うことになるが誠哉、お前の処遇は勝手に決めさせてもらった」
「はい」
自分の処遇、と聞いて改めて背筋を伸ばす。
僕は『邪』の下僕のアジトで、十年間を時を止めたまま眠っていた捕虜……だけど、十年前に村人たちを『邪』に捧げたなんていう疑惑を持たれている。
だから、本当なら目が覚めたら牢屋の中なんて状況だったかもしれないんだ。これから放り込まれるのかも知れないけれど。
「監視付きでなら、本部内は自由に動いて構わんぞ。正直、監視も要らんとは思うが……まあ、その辺は察してもらえると助かる」
などと気を張っていると、副司令殿の指示。ええっと、これはつまり、形式上のみの保護観察処分ってことか?
甘い、いくら何でもこの処分はものすごく甘いとさすがに自分で思った。だから、どういうことか尋ねてみることにする。
「……いいんですか? えらく寛大な処置で、こちらも助かりますけど」
「お前について、絶対危険ではないからお願いします、と泣きついてきた小娘がおってな」
さすがにお子様の駄々こねには敵わん、と溜息混じりに答えてくれたエンシュ。ふと隣の弓姫を見ると、頬が真っ赤に染まっている。
弓姫、お前個人的な感情での進言はどうかと思うけどな……でも、ありがとう。
「アテル医師の診察でも『邪』の汚染は危険レベルではない、という結果が出ている。それに実際問題、戦力があって困るものでもないしな。『卵』の問題もあるのだ」
エンシュの言葉はなおも続いている。あ、何だ。弓姫の進言以外の理由もちゃんとあったんだ。だけど、彼女の言葉の中に出てきた単語が、僕の不安を煽った。
「『卵』……」
「そうだ」
僕が口の中で繰り返した言葉に、エンシュが頷いた。
あの『卵』はそんなに大きなものじゃなかった。だからこそ、十年前に僕や村のヒトたちで中から出てきた『邪』を倒すことができたんだ。
――いや、あれは倒せたんだろうか?
何だろう。僕は何かを忘れているような気がする。
おかしいな。確かに僕は、あの殻の中から出てきたどす黒い影に、僕の剣でとどめを刺したのに。そのことはちゃんと思い出せるのに。
その後、僕はどうして、あの暗い場所に移動したんだろう?
「十年前に孵ったもののそばに、いくつか見つかっている。そのうち一つの孵化が近いようでな、警戒を強めているのだ。司令が不在なのは、近くの守備隊に警戒を強化するよう伝達に行ったからだ」
僕の内心を知ってか知らずか、エンシュの話はまだ続いていた。そばに別の『卵』、ということは、僕たちはそっちを守っていた邪人に襲撃を受けたということなんだろうか。
だけど、僕たちが山を登っていた時に別の『卵』なんて、無かったように思うんだけど。
それともう一つ、気になること。
「……えと、司令官がご自分で?」
「ああ。まったく困ったものだ、司令ならどっかり構えていろと常々言っても聞かない」
くすり、と肩を揺らして少女が笑う。彼女は自分の上官を笑っているのだ。それもどうやら「やれやれ、しょうがないな」という、どこか保護者のような感情で。
ふと腕が重くなった。そちらに視線を移すと、弓姫がしっかりと僕の腕にしがみついている。……あのな、僕たち以外にも人がいるんだから少しは遠慮して欲しいんだけど?
「そういうヒトなの、ここの司令って。自分が動かなくちゃ部下はついてこないって、何でも率先してやりたがるの。それを抑えるのが副司令たるエンシュの主要任務」
「特にさ、戦闘の時なんかタイヘンなんだよねえ。最近はふつーに司令官してくれるようになったけどサ、最初は私自らが出るっなんてことしょっちゅうだったしー」
……エンシュも弓姫も、お気楽そうなラフェリナまで困り顔。
そうか、そんなにここの司令官は大変部下思いのヒトなのか。だったら、僕が前線に出た方がましかもしれない。
司令官を落とされてもエンシュがいるけれど、こういう守備隊の隊長さんってのはある意味象徴だからな。守備隊が踏ん張っても、バックアップであり守るべき対象である村の人たちが崩れてしまったらどうにもならないんだ。
はあ、と大きく溜息をついてから、エンシュが軽く手を叩きながら「話を戻すぞ」と言ってきた。ああいけない、そう言えば僕の処遇の話だったっけ。会話の内容がものすごくずれてしまった。
「誠哉、お前の監視は疾風に頼もうと思っている。万が一の場合、弓姫やラフェリナでは手に負えんからな……無論、私でも筋力でお前に敵うとは思っていない」
平然とそう言ってのけるエンシュ。確かに僕は剣を使うってこともあって身体は鍛えている。
だからもし、僕が本当に『邪』の手先になっていた場合を想定してのエンシュの判断は、多分正しい。20歳になった疾風は、きっと僕を抑えることができるようになっているだろうから。
「分かりました。……本当にありがとうございます」
「ああ。司令は私より甘いから、今日明日が峠だと思ってくれ」
僕が承諾して頭を下げると、彼女は茶目っ気たっぷりにそう答えてきた。いや、普通峠ってこういう時には使わないんじゃないか?
「と、峠ですか?」
「越えれば後は楽だぞ? ああ、万が一の場合は全力で殲滅してやるから、せいぜい抵抗するのだな」
「……そうならないように気をつけます」
今度は意地悪そうな笑みで返された。
闇翼族であるエンシュは、強大な魔術を行使できるはずだ。僕はそれなりに魔術耐性は持っている自負があるけれど、いくら何でも闇翼族の全力を耐え切れる訳はない。だいたい闇翼族の全力行使って、下手すると山一つくらい吹き飛ばしかねないんだけど。
「よろしい。さすがに、十年待ち焦がれた小娘の想いを無下にする気はないようだな」
くく、と彼女の喉が鳴る。何だか楽しそうに笑っている。だけどその赤い瞳は真剣で、冗談を言っているのではないということが僕にも見て取れた。
ああ、自分の頬が赤くなるのが分かる。確かに弓姫は、僕を十年待っていてくれたんだけど。
でも何故だろう、義妹が待っていてくれたっていうだけなのに。なんで僕は赤くなるんだろう?
「ちょ、エンシュっ?」
あ、弓姫も顔を真っ赤にしている。そのせいで、かえって僕は冷静さを取り戻すことができた。そうだよな、僕がしっかりしてないと弓姫や疾風が困るじゃないか。せっかく僕のことをかばってくれたのに。
「弓姫、疾風のところへ案内してくれないかな。良いですよね? エンシュ」
「ああ、そうだな。ははは、少しからかいすぎたか」
真っ赤っかな顔の弓姫を挟んで、僕とエンシュは二人して苦笑を浮かべる。そんな僕たちを不思議そうに見比べていたラフェリナは、ぱっと無邪気な笑顔になって弓姫の肩を軽く叩いた。
「ごゆっくりーだネ、お二人さん!」
「何がよっ!」
首筋まで真っ赤になった僕の義妹は、僕の腕にしがみついたまま拳を振り上げた。うん、弓姫ってば照れくさいんだな。僕もちょっと照れくさいんだけど、ね。
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