06.現実も夢のよう

 ごゆっくり、と口に出さずにそう告げてアテル先生が出て行った後も、しばらく弓姫は泣きやまなかった。

 僕の記憶にある八歳の弓姫からはだいぶ成長してしまっているけれど、この泣きじゃくり方は間違いなく僕の義妹だった弓姫で……僕はただ、その背中を撫でてやることしかできなかった。


「……ごめんね、誠哉お兄ちゃん。びっくりしたよね」


 やがて、やっと涙が涸れたのか弓姫が顔を上げた。その顔は僕の知ってる弓姫の泣き顔と全く同じで、僕は自分が自分の知っている世界とは時間の違う世界に放り込まれたのだということを否応無しに実感させられた。


「……ああ、びっくりした。大きくなっちゃったんだな、弓姫」


 僕は昔……自分にとっては数日前、彼女にとっては十年前と同じように、枕元に掛けてあった手拭を取ってその顔を拭いてやる。それからバサバサになった髪を軽く手櫛で梳いて整えると、弓姫は僕の知っている、知らない笑顔になった。


「うん。お兄ちゃんと同い年になっちゃった。疾風兄さんなんか、追い越しちゃったね」

「そう、だな」


 言われて気が付いた。疾風は弓姫より二つ年上だから、この世界ではもう二十歳なんだ。十八のままの僕を追い越してしまっている。……何か、実感が湧かない。


「……何だか、変な気分だ。僕としてははほんの数日眠っていただけなのに、目が覚めたら十年たっているなんて」

「そうかもね。誠哉お兄ちゃん、冬眠繭の中で眠ってたから」

「繭?」


 弓姫にその単語を言われて、ふと存在を思い出した。

 知識としては知っている。中に入れたモノの時を止め、半永久的に保存する装置。

 つまり僕はその中で十年前のまま、弓姫たちに救い出されるまで無駄に時を過ごしていたんだと思い知らされた。

 十年間。

 長すぎる空白。

 それを埋める手段は、これしかないから。


「……弓姫」

「なに? お兄ちゃん」

「僕が山に登った後、何があったんだ? 十年分、僕は遅れてるからね。教えてほしい」

「あ、うん」


 僕は、弓姫から自分が眠っている間に何があったのか、それを聞くことにした。




 弓姫から聞いた話は、いろんな意味でショックだった。

 まあ、自分に対する疑いは仕方ない。あまりに現実感がないから冷静に見られるだけなのかもしれないけれど……それより、僕を疾風や弓姫の兄として分け隔てなく育ててくれた義父が亡くなっていたのが、かなり堪えた。


「……そっか」

「うん。最期までお兄ちゃんのこと、心配してたよ」


 一言でしか返答できなかった僕を冷たいと責めることなく、義妹はしんみりとした表情で頷いてくれる。けれど僕は、義父に何のお返しもできなかったことが悔しかった。もっともあの義父のことだ、そんなものは要らない、帰って来ただけで儲け物だなんて言ってそうだけれど。


「僕、親不孝な息子だな。お墓参りしたら謝っておかなくちゃ」

「そうだね。あ、でもお父さんなら、しょうがないなって笑ってくれるよ。きっと」


 微妙に僕と弓姫の受け取り方が異なるのは、義父が弓姫にはそういう態度を取っていたことの証だ。もっともこの義妹は、自分も僕や疾風と同じように扱ってくれとよく駄々をこねていたっけ。

 さて、それでは自分でもあまり気分の良くない話題に入ろうか。ちゃんと自分の立場を認識しておかないと、これから苦労することになるだろうし。


「それで……僕は『邪』の手先じゃないかって疑われたわけか」

「う……うん」

「まあ、しょうがないよな。僕が先導して『卵』にみんなを連れていったわけだし。それでみんなが帰ってこないなら、まず疑われるのは僕だ」


 ああ、言ってて気が重くなる。

 というか、弓姫が守備隊に入隊しているってことは、ここはその守備隊の本部ってことになる。つまり僕は、十年前の事件の重要参考人として確保されているんだろう。僕の顔は、疾風と弓姫がよく知っているんだから。

 そんなことを考えていたら、弓姫がぐいと身を乗り出してきた。僕の顔を覗き込むようにして、何だか思い詰めた表情だ。


「あ、あのね、でもね!」


 そこから言葉を続けようとした彼女の頭に、僕は軽く手を置いた。そのままゆっくりと昔のようになでながら、お前の言いたいことは分かってると頷いてみせる。


「弓姫は僕を信じてくれてたんだろ?」

「う、うん」


 弓姫もまた、僕の覚えている小さな弓姫のように少しだけ頬を赤らめながら頷いてくれた。家族にまで疑われていたのなら、僕はこの世界でひとりぼっちだったのかな。そうじゃなくて、良かった。


「あのね。私だけじゃなくて、疾風兄さんも信じてたから。きっと戻ってきてくれるって……もし『邪』に捕まってたら、助け出してみせるんだって約束したの」


 僕の覚えている最後の弓姫は、山に登る僕に「いってらっしゃーい!」と大きく手を振っていた姿。けれど、僕の腰の辺りまでしかなかった小さな少女はすっかり成長して、そんなことまで言ってくれるようになっていた。


「それで助けに来てくれたのか。ありがとう……ごめんな」


 だから礼を言って、それから謝った。僕に気を掛けていた時間だけ、弓姫は自分のことに使うべき時間を失ってしまっていたんだから。


「? 何で、お兄ちゃんが謝るの?」


 だのに、義妹はそんな風に目を丸くして聞き返してきた。だから僕は、思わず言わなくてもいいことを口にしてしまう。これじゃあ、ただの兄馬鹿じゃないか。


「だって弓姫、良い年頃なんだし、恋人とかいるだろうに。遊びにだって行きたかったんじゃないのか?」

「遊びになら、非番の日にちゃんと行ってるもん。それに、恋人いないし」


 ぷう、と頬をふくらませると、弓姫の顔はますます昔の顔に戻ってしまう。ああそうか、少しほっそりしたんだ。もう十八だもんな。でも弓姫は結構可愛いから、モテたんじゃないのかな。

 ……僕、やっぱり兄馬鹿?


「そうなのか? 和樹とか幸人とか、結構弓姫と遊びたがってたじゃないか」


 だから今思い出せる、僕が剣術を教えていた子供たちの名前をいくつか挙げてみる。

 僕が師匠から教わった剣術を、強くなりたいから教えてくれ、とせがんできた子供たち。僕は最初躊躇していたんだけど、親御さんたちからも力を持たずに『邪』と出会って死なせるよりは、と頭を下げられた。だから、僕は基礎から少しずつ教えていた。

 そういえばあいつら、どうしてるんだろう。十年経っているのなら、疾風と同い年だった和樹なんかは僕より年上になっちゃってるな。


「あーだめだめ。和樹は玲香とくっついちゃったし、幸人は都に出ちゃったよ。お役人さんになるんだって」

「そうなんだ……はー、やっぱ十年って長いなあ。僕の知ってるあいつらは、まだまだわんぱく坊主だったのに」


 玲香、っていうのは弓姫と仲の良かった女の子。そうか、そんな風になっちゃってたのか。

 何となく、子供に親離れされて寂しい父親の心境っていうものが分かってしまったような気がする。義父さん、あんたもこんな思いしたのかな。

 そんなことを考えている僕の心を見透かしたかのように、弓姫はにこっと笑って付け足してくれた。


「疾風兄さんは、体格はともかく性格はあまり変わってないよ? お兄ちゃんの知ってる、わんぱく坊主のまんま」

「そうなのか?」


 十年前、十歳の疾風を思い出す。それをそのまま大きくしようとして……失敗した。

 義父さんとはあまり似てなかったから、参考にはできないし。それに、十年間がどれだけ長いかは弓姫を見ているだけでよく理解できたから、疾風がそのままっていうのは鵜呑みにしてしまっていいのだろうか。


「そりゃ、弓姫はいつも一緒にいるんだろうからなあ。変化してても分からないよ、きっと」

「う~……」


 あ、またふくれた。こういうところは弓姫、全然変わってないな。すると疾風も、やたら負けず嫌いなあたりはそのままだったりするんだろうか。言い換えると前向きな性格だから、いいんだけれど。


「……あ、そうだ。みんなに誠哉お兄ちゃん、紹介しなくちゃ」


 疾風の妹たる弓姫も、結構前向きな性格だ。素早く頭を切り換えて、今度はそんなことを言ってくる。だけど、僕は勝手に出歩いていいのだろうか。


「一応僕、十年前の重要参考人なんだぞ? そんな自由行動なんて……」

「平気平気。ちゃんと副司令の許可、取ってあるから。目が覚めたら挨拶したいから、連れてきなさいって」


 僕の問いに義妹は胸を張って答え、それから僕の腕を取った。これも昔と同じだな……僕と一緒に歩く時は、いつも僕の腕にぶら下がるようにしがみついていたっけ。


「さ、行こ」


 僕より頭1つ低いくらいまでに成長した弓姫と一緒に、僕は医務室を出た。うーむ、やっぱり変な感じだな。ついこの間まで腕にぶら下げて歩いていた女の子と、肩を並べて歩くなんて。

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