二:天祢誠哉

05.悪夢から醒めて

 僕は剣を振るっていた。

 愛用の鎧花をまとい、力を貸してくれるという村の人たちと共に、『卵』を守るために立ちはだかる邪人たちを斬り倒していく。中には見知った顔もあって、殺すのが辛くて仕方がなかった。

 ……僕が斬らないと、彼らはかつての友人を殺してしまうから、仕方ないんだけれど。

 ごめんと心の中で謝りながら、また一人知った顔を切り裂いた。確か二年前にいなくなった、隣村の行商人のおじさんだ。よく持ってきてくれたよその果物を、弓姫がいつも楽しみにしていたんだよな。

 そのうち、だんだん敵の数は減ってきた。元々『卵』のサイズもそんなに大きくないってこともあってか、それを守る邪人の戦力が弱かったってこともある。

 けれど、義父さんの整備してくれた鎧花はしっかりと村人たちの力になってくれている。もう少し……もう少しでこいつらを殲滅できる。早くこいつらを倒しきって、孵化しかけている『卵』の中身を倒して、疾風や弓姫を安心させなくちゃ。


「誠哉くん、後ろ!」


 隣家のおじさんが、僕の名を叫んだ。はっと振り返ったその瞬間、ばきんと大きな音がした。ここからでもはっきりと見える、薄汚れた白いドーム……『卵』の殻にひびが入り、その一部がはがれ落ちた音だった。


「みんな、下がって! 中身が出てくる!」


 僕は声の限りに叫んだけれど……最後まで言い終わる前に細いひびの間から、黒いもやのようなものが一気にあふれ出してきた。それらはあっという間に村の人たちを包み込み、飲み込もうとしていく。


「やめろっ!」


 僕は迷わず、鎧花の力を使った。右腕から伸びた剣が僕の魔力を帯び、光の剣となる。これなら黒いもやであっても、問題なく切り刻むことができる。

 僕は剣しか頼れるモノがないから、自然と使う鎧花は剣術に特化した能力を持つモノになった。そういう風に、義父さんが造ってくれた。

 そうしてどんどんもやを切り刻んでいくうちに、僕は知らぬ間に奴らの懐へと入り込んでいたらしい。

 そこからは、あまり覚えていない。

 僕は自分の身を守るはずの鎧花を脱ぎ捨てて……それから、暗闇の中で、どうしたんだっけ……?




 遠くから、声が聞こえる。


 ――おまえは われらを うらぎった

 ――おまえは いまや はんざいしゃ


 耳元で、声が聞こえる。


 ――おまえは われらの なかまなり

 ――おまえは すでに もどれない


 僕を指差して罵る声。


 ――かくれても むだだ

 ――ころしてやる


 僕を崇め立て、それでいて嘲る声。


 ――かくれても むだだ

 ――とりかえしてやる




「……っ!」


 はっと目を覚ます。

 自分が確実にまぶたを開いたことを確認して、僕はほうとため息をついた。今までは目を覚ましたくても覚めなくて、声が自然に聞こえなくなるのを待つしかなかったから。だけど、今声を聞くまでは妙に間があったような気がしたのは、気のせいだろうか?


「……、あれ」


 そこまで考えてから、自分の周囲の光景が眠る前と違うのにやっと気づいた。

 目を閉じる前……僕の最後の記憶に残っている風景は、じめじめとした暗い洞窟の中の一室だった。僕は敵に囚われて、恐らくはなにがしかの処置を受けたのだろう。そのまま意識は暗闇の中に落ちて、ぶつりと途切れている。

 だけど、今僕が横になっているのは明るい部屋にある白いベッド。天井が白くて、壁というか周囲と仕切っているカーテンも白くて。さらりとした穏やかな空気が、とても気持ちいい。


 それはいいけど……ここ、どこだ?


 そっと身体を起こしてみる。うん、特に問題は無さそうだ。『邪』の手先に受けた処置が気になるけれど、それは後で調べればいい。

 ふと見下ろすと目に入った、自分が着ている生成り色の寝衣にはまるで覚えがない。誰かが着せてくれたんだろうなどと考えていると、不意にカーテンが引かれた。


「……あら、起きました? おはようございます、気分はどうですか?」


 布の間からひょこっと顔を出したのは、僕より十ばかりは年上かと思われる女性だった。メガネを掛けていて白い上衣を着ているから、医師の先生なんだろう。

 つまり、僕は『邪』の手から救出されたということなんだろうか。


「あ、はい。大丈夫です。何だか、ものすごくすがすがしい感じで」

「そう? それなら良かったですね」


 僕がそう答えると、先生らしき女性はにこにこ笑いながら入ってきた。手に持っているのはカルテみたいだから、やはりこの人が医師だな。そう思って彼女を見ていると、困ったような顔をして見つめ返された。


「あの、ごめんなさい。じーっと見られると困ります。診察するのは得意なんですけど、観察されるのは苦手なんです。わたし」

「え? あ、すみません」


 いかんいかん。僕はじーっと先生を見つめていたわけだ、そりゃ困るだろう。慌てて少しだけ視線をずらすと、先生はほっとした表情になって僕のいるベッドの横の椅子に腰を下ろした。


「ええと、いくつか聞きたいことがあるのですけど。よろしいかしら? あ、わたし、アテルナル・レインっていいます。あなたの主治医を務めさせていただきますね。アテルと呼んでくださいな」


 アテルナル、と名乗った先生は、ここには医者は自分しかいないんですけど、と苦笑しながら言葉を続ける。僕もつられて笑ってしまった。

 うーん、悪い人じゃなさそうだな。少し天然っぽいところがあるけれど、それもまあ彼女の持ち味なんだろう。ああ、何だか気がほぐれた。


「はい。答えられる範囲であれば」

「ありがとうございます。それじゃ、お名前と生まれた日から聞かせてくださいな」


 ともかく、こちらも自分の状況が知りたい。あの後僕はどうやって助け出されたのか、村は大丈夫なのか、疾風や弓姫は元気なのか……だから、素直に頷いてから口を開いた。


「天祢誠哉と言います。生まれたのは……カタクサ帝六年、三の月の七日です」


 この世界では、都を統べる帝王の即位を年の基準に据える。

 僕が生まれたのは、カタクサという天翼族の帝王が即位してから六年目、ということになる。天翼族は長命だから、即位も百年とかそういう周期になるんだよな。僕が生まれる前だったけど、カタクサ帝即位の年はものすごくお祭り騒ぎになったらしい。


「はいはい。カタクサ帝の六年で間違いないですね?」

「はい」


 かりかり、とペンが走る。時々小さなインク壺に先端を浸し、ふんふんと頷きながらカルテを書き込んでいくアテル先生。その手が、しばらくしてぴたりと止まった。

 彼女はメガネの向こうから僕をじっと見つめて、それから妙なことを尋ねてきた。


「……念のため伺いますけど、お年はいくつかしら」

「は?」


 いや、僕はきちんと生年月日を告げたんだから、そこから年齢くらい割り出せるだろう? そう思って、まじまじと先生を見つめ返す。あ、観察されるのイヤだって言っていたな。悪いこと、したかなあ。


「その、ですから、念のため。お願いします」

「はあ……」


 恐る恐る頼まれると、どうも断れない。これが僕の悪い癖だっていうのは、よく義父さんから言われていることだった。安請け合いはあまりするなよ、って頭をくしゃくしゃ撫でられたことを思い出す。義父さん、元気にしているんだろうか。

 一緒に山を登った人たちを死なせてしまった僕を、どう思っているんだろうか。


「天祢、誠哉くん?」

「あ、済みません。その……十八、ですけど」


 アテル先生に顔を覗き込まれて、慌てて答える。そうしたら先生は僕の顔をじっと見つめて、それから自分を納得させるように小さく頷いた。


「……やっぱり」


 その彼女の唇から漏れた言葉に、僕は妙な胸騒ぎを感じた。

 何だろう、何で僕はこの世界に違和感を持っているんだろう。

 何で僕は、年齢を聞かれたんだろう。


「? 何が『やっぱり』なんですか?」

「その……ですね。わたしの話を、素直に聞いてくださいね」


 僕がそう尋ねたら、アテル先生は一度座り直してから改めて僕の顔を見つめてきた。

 まるで、とっても重要なことをこれからお話ししますよ、というように。


「今年は、カタクサ帝の御代になって三十四年です。つまり、あなたは本当なら二十八歳のはずなんです」

「へ?」


 なんだって?


「あ、その顔、信じてらっしゃらないでしょう!」


 アテル先生が僕の顔を見て、ふて腐れたようにわめく。でも当たり前だろう?

 僕は十八歳だという意識しかないし、眠らされたのはほんの数日前……だと思う、多分。

 それなのに、いきなり十年? そんなの、冗談としか思えないじゃないか。


「そりゃそうですよ。十八の自分がいきなり、あなたは二十八だって言われても困ります。それに、もし本当に今の僕が二十八歳なんなら、この十年はどこに行ったんですか!」


 その思いを素直に口にする。冗談なら冗談、とはっきり言って欲しかった……のに、先生は困った顔をしてカルテを閉じ、軽く首を横に振っただけだった。


「そうですね。普通は信じられないですよね……ごめんなさい、お願いします」


 先生がカーテンの向こう側へと呼びかける。しばらく間があって、そっと白い布をかき分けるようにして入ってきたのは、僕とさほど年齢の変わらない女の子だった。初めて見る子だ……と思う。


「……」


 おずおずと入ってきた彼女は、そのまま僕と視線を合わせようとせず俯いたままだった。その仕草と、ベッドの上に座っている僕の方が僅かに視線が低い故に見ることのできる彼女の顔が、どこかで見覚えのあるものだった。

 おかしいな、この子は知らない子なのに。


「……君は?」


 何で僕は、これだけの台詞を口にするのに時間がかかるんだろう。というか、どうして知らない子に誰なのか尋ねるだけなのに、僕はこんなに罪悪感を持たなくちゃならないんだろう。


「……あ、あの……」


 と、不意に彼女が顔を上げた。その大きめな瞳と、さらさらの癖のない黒髪に僕は一人だけ思い当たる節があった。けど、あの子はまだ八つのはずだ。

 いや、アテル先生は何と言った?

 今、僕は二十八になっているはずだ、と言わなかったか?

 それはつまり、いきなり十年の年月が飛んでしまっている、そういうことだ。

 それが本当だとしたら、つまり別れた時に八つだったあの子は、十八歳になっているはずで。


「弓姫……なの、か?」


 思い当たった名前を呼ぶと、彼女は一瞬目を見開いた。大きな両眼にみるみる涙が溜まっていく。そして、限界を超えた涙があふれ出た瞬間。


「――誠哉お兄ちゃんっ!」


 そう、数日前に聞いたはずなのに懐かしい声で僕を呼んで、ぎゅっと抱きついてきた。


「え、え?」


 いや、僕だって一応男なんだから。可愛い女の子に抱きつかれて目を白黒させるくらい普通だろう? それでおろおろして、どうして良いか分からなくて、僕の胸にすがりついて泣きじゃくる彼女の肩をそっと抱えようとして……ふっと、アテル先生と視線がかち合った。


「それが、証拠です。天祢誠哉くん」


 さっきまでのどこか気弱そうな雰囲気からは一変した、何かを突き放したような冷たい目で僕を見つめながら、先生はそう宣言した。

 僕は自分一人だけが十年前のまま、十年後の世界に放り出されたのだと。

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