04.邪人のアジト

 件のアジトは、村から少し山に入った森の中に存在している。天然の洞窟を利用したそこは、戦闘から一日たってなお血の臭いを濃く残していた。

 辺りは武器やさまざまな道具が散らかったままで、戦闘に加わらなかった私にもその激しさが伝わってくる。別に血の匂いがいやってわけじゃないけれど、やっぱり気分は良くない。


「う、湿っぽいなあ……よくこんなところで暮らしてたもんね」


 おまけに洞窟ならでは、かなりの湿気に顔をしかめながら私はいくつかの扉を開けて中に入って行く。いくらか歩いたところで、最奥部らしい広間に出た。

 机と乱雑に散らばった書類や筆記具、ガラス瓶などの実験器具、そして何よりも部屋全体に染み付いたような薬品独特の匂いがその広間の性質を如実に示している。

 即ち、実験室。


「……」


 疾風兄さんの、妹から見てもそれなりに男前な顔が歪む。眉をしかめ、唇を噛んでいるその表情は、ここで行われたことに対する憎しみと後悔だろうか。

 一方、この空気をまるで読んでいないヒトもいるわけで。


「弓姫、こっちこっちー。ほら、これ、繭!」

「え? あ、それねっ!」


 ぱたぱたと尾を振りながらラフェリナが示した先を見て、それから私を見た疾風兄さんの顔色が一気に青ざめた。ああ、きっと私、目の色が変わってるんだ。私も空気読めてないなあ。でも、しょうがないじゃない。

 いくつも並んでいる、ヒトが中に入れるほど大きな白く丸い繭。いくつもの管が接続されているそのうちの一つが、内側から漏れ出すような淡い光を放っている。

 これがその繭が稼働している……つまり、冬眠繭が内部に何かを眠らせているという証。

 一度だけこういう前例を見たことはあったけれど、その時は停止動作の途中でエラーが起きて中のヒト――『邪』に書き換えられたヒトを死なせてしまったけれど。


「へぇ。冬眠繭ってこんな風に動いてるんだぁ」

「みたいだな。俺も初めて見た時はちょっとびっくりしたさ」


 能天気なラフェリナ、そして第一発見者であるところの疾風兄さんの言葉に意識を引き戻される。

 ああ、いけない。今度こそはエラーが出ないようにちゃんと停止させて、中身を引きずり出さないと。

 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら意識を技術者に切り替えて、私は操作盤の前に滑り込んた。繭との間を魔力伝達管や生体電気を利用するための電線でつないである操作盤には、数々の計器やスイッチが並んでいる。それらを一通りチェックして異常がないことを確認から、疾風兄さんを振り返る。


「とりあえず、中身を取り出さないとね。兄さん、手伝って」

「了解」


 兄さんは頷いて、操作盤を挟んで私の反対側に滑り込む。と、私たちをきょときょとと見比べてからラフェリナがはい、と右手を上げた。犬の耳がぴこぴこと、尻尾がパタパタとせわしなく動く。

 どうやら犬娘、自分がほったらかしにされていたとでも思ったようだ。ある意味正解だけど。


「ねーねー、ボクはあ?」

「ラフェリナは周囲を警戒して。大丈夫だとは思うけど、どこかに敵が潜んでいないとも限らないから」

「はーい。まかせてー」


 私がそうお願いすると、ラフェリナの顔がパッと明るくなった。基本的にそういった警戒任務は、四種族の中では一番五感の鋭い獣魔族の得意とするところだ。

 得意分野を任された犬の因子を持つ少女は、とびっきりの喜びをぱたぱた動く尻尾とあどけない笑顔で表現して、それからきりっと表情を引き締めると周辺に視線を飛ばし始めた。耳がピンと立ったのは、彼女が警戒態勢に入ったことの現れだ。

 これでよし。ラフェリナの意識が繭から外れたのを確認してから、私は慎重に操作を始めた。

 兄さんにその都度作業を指示しつつ、いくつかのスイッチをぱちぱちと操作していく。ことさら目立つように赤く塗られたスイッチをぱちんと動かすと、それに同期して繭の光がすうっと消えていった。

 ああ、良かった……エラーが出なかった。

 ここから先は、私も資料でしか知らない未知の領域。とは言っても後は、繭を開いて中身を取り出すだけなんだけど。


「ええと、これで内部の時は動き始めたはずなんだけど……」

「何だ、頼りないなあ」


 うう、悪かったわねえ。わざとらしくため息をついてみせた兄さんの顔面に、私はそばに落ちていた書類の束を拾ってばしんと叩きつけた。

 ひらひら舞い落ちる紙の隙間から、「え、何で?」とでも言いたげな兄さんの顔がかいまみえる。ぷうと膨れっ面を見せてやると、疾風兄さんは肩をすくめた。ふんだ、前回の失敗知ってる癖に。


「しょうがないでしょ? ここから先はやったことないんだから!」


 ここには兄さんとラフェリナしかいないこともあってか、自分でもちょっと大人気ないかな。そう思っていたら、疾風兄さんが苦笑しながら手を伸ばしてきた。私の頭をポンポンと軽く叩くのは、小さい頃誠哉お兄ちゃんがよくやってくれたこと。

 ……疾風兄さんは、あの頃の誠哉お兄ちゃんを追い抜けているんだろうか。


「いや、そりゃ分かるけどさ。頼むから不安な表情はやめてくれよ、お前プロなんだから」


 苦笑が浮かんだままの顔で、それでも精一杯真面目に疾風兄さんはそう言った。ああ、そうだ。私はプロなんだ。そう言われるとここでプロ根性見せずしてどこで見せる、という気になる。割と私、単純なんだ。


「あ、ごめん。そうね、私がやらないと」

「ねーねー弓姫、どこ押したら開くの?」


 不意にそう尋ねられて、私は反射的に「そこの黄色のボタンよ」と答えてしまった。そんな間抜けな口調で話すのが、ここには一人しかいないと気づいた時には一瞬遅くて。


「これ? ぽちっとな」


 やる気はあるけど飽きっぽいラフェリナの指が、私の示した黄色のボタンをひょいと押し込んでいた。確かに残る作業はそれくらいだけど、心の準備ってものがあるでしょうが!


「あ、ちょっとラフェリナ!」

「え? おい、こら!」

「きゃいん!」


 私と、私よりさらに認識が一瞬遅れた兄さんの声が犬の耳に飛び込む。慌てて耳をふさいで飛び上がったラフェリナの視界に、ほどけ始めた繭が入ったようだ。ああ、一応成功みたいね……って言ってる場合じゃない!


「きゃーきゃーきゃー、あぶなーい!」


 とん、とラフェリナが床を蹴った。そのまま私たちごと操作盤を飛び越え、低い天井を手で突き飛ばして強制的に繭の目の前に着地。さっと伸ばした腕に、繭の中を満たしていた綺麗な水と共に『中身』が降ってくる。当然のごとく、ラフェリナの全身はびっしょり。うむ、水もしたたるいい女……か?


「きゃう!」

「あはは。繭の中って、外界との緩衝材に水が満たされてるのよねー」

「もっと早く思い出してやれよ。ま、いい薬にゃなっただろ」


 兄さんと軽口を叩きながら、『中身』の下敷きになって床にひっくり返ってるラフェリナを恐る恐る覗き込む。ああ、濡れ鼠ならぬ濡れ犬娘は別段問題なしの模様。

 で、彼女の上に覆いかぶさるように倒れている『中身』はヒトだった。衣服をまとっていない、若い男性。結構筋肉質。肌は日に焼けた感じ。髪は銀色。

 髪は銀色。


「……まさか」


 そっと手を伸ばす。この体勢だと、私には彼の顔が見えない。だけど、この背中は覚えてる。

 最後に私が見送った十年前の、あの日のままの背中。


「わう?」


 ラフェリナのきょとんとした顔なんて知らない。

 私は彼の肩に手を掛けて、一瞬ためらった。もし間違えていたら、自分はすっごく落ち込むだろうなって思ったから。けれど、どうせ落ち込むなら早い方がいいと思い直して、手に力を込めた。


「……!」


 ごろり、と彼の身体が反転し、私の方に顔が向いた。意識がないようで目は固く閉じられているけれど、その顔は忘れられるはずがなかった。

 村の女の子がみんな憧れた、端正な顔の剣士。


「……マジ、かよ……」


 私の肩越しに覗き込んできた疾風兄さんが、ごくりと息を飲むのが分かった。状況が分からなくて目を丸くしていたラフェリナも、ようやくことの次第に気づいたようだ。恐る恐る起き上がって、耳をぺたんと倒したまま私を上目使いで見上げる。


「もしかして……弓姫と疾風の探してたお兄ちゃん?」

「……ああ」


 ラフェリナの問いに、疾風兄さんがかすれた声で答える。私は我慢し切れなくなって、目の前で眠り続けているそのヒトをぎゅっと抱きしめた。


「……誠哉、お兄、ちゃん」


 後三日遅かったら、あきらめていたヒトの名前を呼びながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る