僕のクラスのおっぱい先生

じゃけのそん

第1話 

 おっぱい先生——。


 僕のクラスの英語を担当している鹿納かのう先生は、いつしかそんなあだ名で呼ばれていた。


 歳は20代中盤くらいで、髪も長くスタイルもいい。

 中学生の僕たちからしてみれば、 "年上の綺麗なお姉さん" といった印象だ。


 そんな鹿納先生が "おっぱい先生" などというあだ名をつけられた理由。

 それは言わずとも明確だろう。


 まだ大人の女性の魅力に気付けていない僕にだって、鹿納先生のそれは輝いて見える。

 白いシャツ越しに映るそれは、男子中学生の注目を集めるのには十分の代物だった。


「I live in Tokyo。はい、これを過去形にしてくださいねー」


 今日もまた、僕の視線の先には鹿納先生のそれが映っている。

 他の男子の様子を見ても、みんな考えていることは僕と同じだった。


「それじゃー木村くん」


 ここで鹿納先生は、クラスで一番元気がいい木村のことを指名した。

 突然指名された木村は、慌てて固定していた視線を逸らし、その場で勢いよく立ち上がった。


「これを過去形にしてみてくださいねー」

「え、えーっと……。せんせー! わかりませーん!」


 いさぎよい木村の諦めに、クラスからは『アハハハ!』と笑いが起こる。

 別のことを考えていたのだろうから、答えられないのは当然のことだ。


「あらあらー、しょうがないですねー」

「すみませーん」


 そう一言呟くと、木村は再び席に着いた。

 鹿納先生も仕方なさそうに優しい笑みを浮かべる。


 ちなみに僕のクラスは、この学校の同じ学年の中でも、一番優秀なクラスと言われている。

 それは英語に限らず、全ての教科で言えることだった。


 ではなぜ急にこんな話をしたのか。

 それにはちゃんと理由がある。


 どうも最近、このクラスの英語の成績があまりよくないらしいのだ。

 それもクラス全体がというわけではなく、主に男子の成績が。


 理由はなんとなくわかっているつもりではある。

 鹿納先生の刺激的な何かに気を取られ、授業そっちのけになってしまっているのだと。

 僕自身もたまに見てしまう時があるし、それにより単語の発音が聞き取れないことも増えてきた。


 しかしだ。

 それだけでこんなにも成績が下がるかと言われたら、そうも思えない。


 もちろん授業を聞くことは大切だが、それ以外の時に勉強すればある程度はカバーができる。

 ましてや成績が一番のクラスなのだから、わからないところがあればそれくらいのことをして当然だと思う。


 ではなぜ、僕のクラスの英語の成績は、どんどん下がってしまうのか。

 そしてそれを引き起こしている原因の大半が男子であること。

 考えてみても、僕に答えは出なかった。

 

「それじゃー、別の人をさしますねー。うーんと……はい、天野くん」

「え、あ、は、はい……!」


 違うことを考えていた僕に、鹿納先生の指名が飛んできた。

 突然のことに驚いたせいか、僕は無意識に勢いよくその場を立ち上がる。


「I live in Tokyo。はい、これを過去形にしてみてください」

「え、えっと……」


 こんな問題、普段ならすぐに答えが思いつくだろう。

 しかし今の僕の頭の中には、英語の問題を解くような余裕はなかった。

 立ち尽くす僕に、クラスのみんなの注目が集まる。


「天野くんもわかりませんかー?」

「あの、え、えっと……。すみません、わかりません」


 僕が小声でそう答えるとクラスからは「アハハハ!」と再び笑いが起こった。


「あらあら、そうですかー」


 ——キーンコーンカーンコーン。


 クラスで起こった笑いを沈めるかのように、授業終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。

 僕は俯きながらも、静かに席に腰を下ろす。


「それじゃー、今日の授業はここまでにしますねー」


 先生がそう言うと、


「起立。礼」


 委員長の合図がクラス中に響き渡った。

 あんな形で授業が終わってしまい、僕は少し恥ずかしい気持ちになる。


「天野くん」

「は、はい」


 俯いていた僕は、その声で顔を上げた。


「天野くん、何かわからないところありますか?」


 僕は驚いて目を丸めた。

 声をかけてきたのは、鹿納先生だったのだ。


「い、いえ、そう言うわけでは……」

「次昼休みですよね? 先生が教えてあげましょうか?」

「え、えっ?」


 そうして僕は、鹿納先生と一対一で勉強をすることになった。


 職員室の隣にある印刷室で、一人用の机一つに椅子が二つ。

 僕と鹿納先生は向かい合って座っている。


「ここはこうすると過去形になります」

「は、はい」


 鹿納先生との距離はすごく近かった。

 今まで僕が嗅いだことないようないい香りが、鹿納先生からは漂ってきている。


 パッチリと開いた目に、赤く塗られた唇。

 鹿納先生の吐息からは、胸の奥をくすぐられるような、不思議な感覚さえ覚えることができた。


「ここをingにするとー……」


 そして今僕の目の前にある鹿納先生のそれ。

 いつも何気なく見ていたはずのそれは、今まで僕が感じていた以上の衝撃を与えてくれていた。


 脇の方へと引っ張られ、今にも張り裂けそうな白いシャツ。

 ボタンの隙間から見える、わずかな桃色の何か。


 もう僕の意識は、鹿納先生のそれに一途になってしまっていた。


「天野くん? 天野くん? 聞いていますか?」

「……は、はい! すみません……」

「もー、先生の話はちゃんと聞かないとダメですよ?」

「気をつけます……」


 上の空だった僕を優しく叱りつける鹿納先生。

 その少ししかめたような表情が、僕の意識をさらに奪い去っていく。


「天野くんはとってもお勉強が得意なので、これからも頑張ってくださいね?」

「は、はい、わかりました」

「それじゃー、昼休みももう終わりですから、教室に戻っていいですよ?」

「はい。それじゃ、失礼します」


 そうして僕は、印刷室を後にした。


 それからというもの——。


「Do you have camera? これを日本語にしてみてください。それじゃー、天野くん」

「はい、すみません、わかりません」


 僕は迷わずそう答えるようになっていた。

 おそらく以前の僕だったら、何としてでも正解を導き出していたのだろう。


 しかしだ。

 問題がわからないから恥ずかしい。

 いつしかそんな感情は、どこかに捨て去ってしまっていたのだ。


 それよりも僕が求めていたのは、あの時のような時間。

 鹿納先生と一対一で英語を勉強するという至福。


 もちろんその時僕が見ているのは、出された問題の答えではなく、鹿納先生の大きなそれ。

 どんな勉強よりも興味を惹かれるそれは、瞬く間に僕の意識を変えていったのだった。

 

 おっぱい先生——。


 僕のクラスの英語を担当している鹿納かのう先生は、いつしかそんなあだ名で呼ばれていた。

 そして僕も、そのあだ名を口にする男子の中の一人となり、やがて『英語学年最下位のクラス』という大きな結果を生み出す元凶ともなったのだった。

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僕のクラスのおっぱい先生 じゃけのそん @jackson0827

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