第12話 南部大混戦
南部の大森林をゆっくりとだが着実に進む神聖アルテザウス王国軍。騎兵と歩兵の混合部隊である彼らはこの南部の大森林を迂回することでニカルディア軍の背後を討とうと派遣された舞台だが、その真の目的はバレル高原に展開中のニカルディア軍の分断。
そのため彼ら神聖アルテザウス王国軍は特に急ぐことなく進軍していた。仮にニカルディア軍が彼らの動きに気づかなかった場合はそのまま背後から襲うという算段になっている。
その数は合わせて千人。つまり一個大隊分の兵がこの南部の大森林を進んでいた。
「やはり敵は大隊クラスでしたか」
進軍する神聖アルテザウス王国軍を遠目に見た騎士団所属のレンリは絶望した口調でカイトに話しかける。改めて千人規模の軍隊を目の当たりにしたレンリは自分たち三人ではどうしようもできないということを悟ったようだ。
「ここは一度撤退をして夜襲を仕掛けた方がよろしいのでは」
幸い敵はまだカイトたちに気づいてはいない。よって今撤退すれば敵に気づかれることなく生き延びることができる。
しかしカイトの頭に撤退という文字はなかった。
「敵は油断している。今が最大の好機だ」
「ですが!」
「それに敵はこっちに気づいているかもしれない」
敵の目的はあくまでバレル高原に展開中の兵の分断。つまりここで南部の大森林の進軍に対する偵察はわざと見逃すことで本営に報告してほしいと考えている。そうであればカイトたちは気づかれてはいないのではなく、見逃されているといっても過言ではない。
この状況で敵はカイトたちが攻めてこないと確信している。その隙をつけば大ダメージを与えることも可能だ。
「プラーミア、行けるか?」
「私を誰だと思っているの? 任せなさい」
「悪い」
カイトはそういうと、自らの服をずらして首元をあらわにする。冬間近のこの季節に首元をさらすと冷たい空気が肌に触れるがカイトは気にしない。
その様子をレンリは不思議そうに見つめる。
「レンリ、ここから先は他言無用だ」
「え……!?」
次の瞬間、レンリは信じられない光景を目にした。
なんと露わになったカイトの首筋にプラーミアが頭を運んだかと思えば、そのままチャームポイントともいえる八重歯をカイトの首に押し付ける。そしてそのまま噛みついたのだ。
レンリはそれが何をしているのか、知識として知っていたものの実物を目の当たりにするのは初めて出会った。それどころかそんなことが現実世界で起きることさえ驚きだ。
それはおとぎ話の中にこそ頻出。だが現実では考えられない行為。
「吸血行為……」
プラーミアがいまやっているのはまさに吸血行為であった。そして変化は唐突に訪れる。
本来なら金色に輝くプラーミアの髪がゆっくりと紅く色を変えていく。それはまるでカイトから吸った血が金色の髪に染み込んでいくかのように。
すべての髪が紅く染まるとプラーミアが口を離していった。
「ごちそうさま、ご主人様」
恍惚とした表情でカイトのことを見つめるプラーミア。そのなんとも形容しがたい美しさにレンリは言葉を奪われる。
「行けるか、ミア?」
「任せて」
カイトから離れたプラーミア。その両手にはそれぞれ紅を基調とした剣が握られている。だがその形は普通の剣とは異なっており、まるでおとぎ話に出てくるような魔剣のようだ。
魔剣を両手にゆっくりと進んでいくプラーミアをカイトはただじっと見つめる。その様子を見たレンリが慌てて指摘した。
「わ、私たちも行かなくていいのですか?」
「死にたくなかったらそこにいろ」
「まさかプラーミアさん一人に大隊の相手をさせる気ですか!?」
「そうだ」
「そんなこと、騎士として看過できません! 私も行きます!」
自らの剣を手に取りプラーミアの後を追おうとするレンリだが、その先にカイトが立ちふさがる。
「どいてください!」
「やめろ。あんたが言ったところでプラーミアの邪魔になるだけだ」
「……え!?」
そこでレンリは気づく。先ほどまでそこにいたプラーミアの姿が消えていることに。それだけではない。遠くの神聖アルテザウス王国軍の中から悲鳴が上がったことを。
「敵襲! 敵しゅ……」
「また一人やられた! 風銃部隊を前に……」
「防御陣形をと……」
レンリの視界に飛び込んできた光景は信じられないものであった。
魔剣を両手に敵軍に突入したプラーミア。その剣が次々と容赦なく振り下ろされ血の花が咲く。あるものは首を切られ、ある者は胴を真っ二つにされる。しかも彼らには苦痛にあえぐ時間さえ与えられない。
プラーミアの姿を視界にとらえた次の瞬間には身体のどこかしらか血を噴き出して絶命する。
防御陣形を取ろうにも気づけば隣にいた兵士の首が飛んでいる。ついさっきまで下らない話をしていた仲間が無残な姿に変えられていく現実と、次は自分の番かもしれないという恐怖が彼らから冷静さを奪う。
混乱に陥る前衛たちに比べて後ろにいた兵士たちはまだ冷静さを保つことができていた。だがそれはあくまでも前衛の兵士たちに比べたらであって、平常時に比べれば彼らも十分パニックに陥っている。
「な、なんなんだあれは!」
「風銃部隊! はやく撃ち落とせ!」
「無理です! 早すぎて照準が!」
「このまま撃てば味方にも!」
「ええい、構うな! 撃ち続けろ!」
上官からの無理な命令に風銃部隊は無我夢中で引き金を引く。味方などという考えはもう彼らにはない。ただ自分が生き残りたい、あの悪魔をこっちに近づけたくないという一心で引き金を引き続ける。
当然ながらそれによって味方が被弾するがお構いない。
南部の大森林を舞台とした戦場は瞬く間に混戦に陥った。どこから飛んでくるかもわからない味方の弾に自分たちではどうすることもできない敵襲。
プラーミアは今なお無秩序に目の前の敵を斬り捨てながら敵軍を殲滅させていく。
その光景は現代の戦争では考えられないようなものだった。もう敵兵の誰もがプラーミアを少女だとは思っていない。目の間にいるのは死を運ぶ死神か、または自分たちに抗うことを許さない悪魔。彼らはすでに抵抗する意思も逃げる意思も失いかけていた。
「あ、悪魔……いや、鬼だ……」
兵士の誰かがつぶやく。しかしその兵士が次の瞬間どうなったかなんて誰も知らない。プラーミアによって斬られたのか、又は味方によって撃ち抜かれたのか、はたまたどこかで生きているのか。
敵が一方的に殲滅されていく光景を見てレンリは何と言えばいいのか分からなかった。目の前で戦っているのは自分たちの見方だというのに、彼女はプラーミアに対して恐怖を覚えていた。
「彼女はいったい……」
「双星の鬼人。あんたらは俺ら二人のことだと思っているようだが、真実は違う。双星の鬼人はプラーミアのことだ」
「プラーミアさんが双星の鬼人……」
「プラーミアは吸血鬼だ。血を吸うことで一種の狂乱状態に入り、人よりも何倍も強い力を得ることができる。今この戦場ではプラーミアに敵う相手なんて皆無。もし突っ込んでいたら巻き添えを喰らっていたぞ」
「そんな……」
レンリは言葉を失う。それはプラーミアの正体にもだが、それ以上に自分たちがとんでもない存在を手を組んでしまったという事実にどうすればいいのか分からなかった。
双星の鬼人の力は偉大だ。しかしまさかこれほどまでに一方的な虐殺だとは思ってもみなかった。今となっては敵が哀れで仕方ない。もしこんな兵力がどこかの国に属したらと考えると恐怖で体がおかしくなりそうだ。
「わかっていると思うが、このことは姫様にも内緒だ」
「ですが……」
「もし言ったら俺らはニカルディア王国に牙を向けなきゃならない」
一個人が一国に牙を向けるなど馬鹿げている。しかし彼らの場合は別だ。レンリは心の中で王女サルラに謝罪しながら答える。
「……わかりました」
レンリの了承を受けたカイトは再び戦場に目を移す。すると神聖アルテザウス王国軍は隊列などまったくない敗走を始めていた。どうやらプラーミア一人の勝利のようだ。
「俺はプラーミアの回収に向かう」
「私は?」
「ニカルディアの旗を振るなりご自由に」
そう言い残してカイトはプラーミアの下へと走り出す。だが当然ながら今のプラーミアはカイトにだって剣を振るかもしれない。しかしカイトは持ち前の俊敏さを使ってプラーミアに迫ると優しく抱きしめた。
「お疲れミア。もう休んでいいよ」
「カ……イト……?」
「ああ。お休み」
「うん……」
その言葉を最後にプラーミアの意識は闇に落ちる。彼女の両手に握られていた魔剣はいつの間にか姿を消し、髪もいつもの金色に戻っている。
こうして南部の大森林で発生した戦いは神聖アルテザウス王国軍側が一方的に犠牲者を出して幕を閉じた。本陣に戻った兵は合計で三百人ほど、当初の三割しかいなかったが、残りの七割が戦場で命を落としたのか、それともプラーミアを見て怖気づいてどこかへと逃げたのかは不明。
けれども神聖アルテザウス王国軍に甚大な被害を出したのは事実であった。
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