第10話 夜の襲撃

 日が沈み、夕食の喧騒が収まった深夜の陣地。風が吹くたびに木々が揺れる音が聞こえるほど静寂が世界を支配する。一部の兵士を除き、残りの兵士たちは明日の戦いに備えて体力の回復に努めていた。


 これが衛兵たちが忙しく働くテント周辺なら人のうめき声などもあっただろうが、現指揮官である王女サルラなどが眠るテントは負傷者たちが運ばれるテントとは離れたところにあるため物静かである。

 

 そんなニカルディア軍の本営裏にある林の中にハネス少佐の姿があった。ハネスは腰にさしている剣に手を添えながら、周囲を警戒するように進む。同じニカルディア人しかいない陣地だというのにまるで敵の目をかいくぐる前線の兵士のような動きは異質だった。


 敵兵に警戒する見張りたちの意識は主に戦場となっているバレル高原と敵が進軍してくると予想される南部の大森林方面に向いているためハネス少佐に気づくことはない。


 そもそも本陣の背後にある林はキレル山脈に面しているため後ろから敵襲が来るという考え自体が存在しないのだ。冬が近いこの時期ともなれば降雪によって物資の移動が制限されるキレル山脈。一体だれがキレル山脈方面から敵が来ると予想するだろうか。


 そう言う意味で林方面の警備は皆無に等しかった。


 「王女サルラ……お前の人生はここまでだ……」


 林の中を警戒しながら進むハネスの心は憎悪に満ちていた。そもそも今回の作戦自体が茶番であり、自らの経歴に箔をつけるために王都から志願してきたハネスにとって現在の有り様は到底看過できるものではない。


 本来なら今頃はこの戦線の兵士たちを指揮しながら神聖アルテザウス王国との妥協点を探っている頃だというのに、事実はニカルディア軍から脱走してきて林に逃げ込む様だ。


 彼が少佐という立場にあったから拘束こそされなかったが、かといってあの場に残っていたら周りの兵士から蔑視されていたに違いない。西域の兵士という王都所属のハネスからすれば田舎者な彼らに蔑視されるなど彼のプライドが許さなかった。


 軍の指揮権を王女サルラに奪われたハネスは居場所を無くし、仕方なくこの林に逃げ込んだ。しかしそこで彼は思った。なぜ自分がこのような状況にあるのか。誰のせいで自分はこんなみじめな姿になったのか。答えは考えるまでもない。


 「王女サルラ……あいつさえいなければ……」


 今のハネスは理性というものを失った獣だ。彼は王女サルラがいなくなれば兵士たちがまた自分を頼ってくれると信じて疑わない。だから彼が王女サルラを襲撃するのに他の理由は必要ない。


 警備は手薄どころか皆無。王女サルラにつく騎士団所属のレンリも今は夢の中。音を立てず慎重に行動すれば王女サルラの首を取るのは容易い。


 そんな油断がハネスにある存在を忘れさせていた。


 「ここで何をしている」

 「ひっ!? ……行商人」


 ハネスに振り返り自分に声を掛けた主を見て安どの表情を浮かべる。そこにいたのは昼間に王女を連れてきた行商人。そして今の状況を作り出した原因の一つ。


 それだけで彼の殺意がカイトにも向かうには十分すぎた。


 「そっちこそ何をしている?」

 「俺は散歩だ」

 「散歩? こんな時間にか?」

 「そうだ。俺の馬車がこの近くに止めてあってな」


 カイトとプラーミアの使う馬車は本営から離れた林の中に止めてあった。そのためカイトは寝る前の散歩を林で行っていた。という体を装って林の中を警戒していたのだ。


 この林に対する警備の薄さを危惧したカイトはサルラに進言しようかと考えたが、それによって自らの馬車の近くで無用なトラブルが起きる可能性を考慮した結果、一人で警戒することにしたのだ。


 行商人であるカイトがそこまでする義理はないかもしれないが、ちょっとした手間を惜しんで雇い主に何かあって後悔するのも嫌なのでこうして警戒に当たっていたという訳だ。そして見事に怪しい存在を補足した。


 カイトの考えなど知る由もないハネスは彼がただの行商人だと思い込み油断する。


 「なるほど。なら私もご一緒させていただこうかな」

 「ご自由に」


 林の中へと進むカイトに少しずつ接近するハネス。その顔からは先ほどまでの殺気はなくなっており、微笑みが浮かんでいる。だがその右手は確かに剣を握っており、今にもカイトの背後から斬りかかりそうだ。


 「馬鹿が、死ね!」


 勢いよく降り抜かれた剣はカイトの首めがけて振り下ろされる。その速さは少佐の地位を持つことだけあって格段に速い、ということもなく平凡だ。そこらの農民の方がまだ速く振り下ろせるのではないかとカイトは思った。


 「動きが大きすぎる上に馬鹿正直に声を上げる軍人がいるとは驚きだ」

 「なに!?」」


 そこから先は何が起きたのかハネスには理解できなかった。自らの剣で斬ったはずのカイトの姿はそこにはなく、同時に様々な方向から重力が襲ってきたような感覚を覚えた直後、背中に鈍痛を覚える。少しの間をおき、ハネスは自分が背中から地面に投げつけられたことを理解した。


 視界いっぱいに広がる星は夜空に輝く本当の星なのか、それとも頭を打ったことによる後遺症なのか。


 カイトは傍に落ちていたハネスの剣を拾い上げると彼の喉仏に突き刺す。


 「ま、待ってくれ!」

 「何を待てというんだ。俺はあんたに殺されかけたんだぞ」

 「じょ、冗談だ。本当に殺すつもりはなかった」

 「その割には鬼気迫る表情だったが? それにどうしてこんな時間に林へ?」

 「それは……」


 ここで林の警戒に当たっていたとでもいえば言い訳ができたかもしれないが、どうやらハネスにはそこまで働く頭がないらしい。


 カイトがあきれながら話を続ける。


 「大方姫様の暗殺でも企ててたんだろう」

 「うっ……」

 「行商人相手に嘘をつかない方がいい。こっちはその手のプロだ。あんたとは年季が違う」


 カイトの指摘に何も返せなくなってしまったハネス。


 「あいつが……全部あいつが悪いんだ……」

 「あいつ?」

 「あの王女だ! あいつさえ戻ってこなければ計画は進んでいたんだ!」

 「どういう意味だ」

 「将軍ダレスの暗殺は演出だったんだ! 本当の目的はその後だったんだ!」


 必死に理由を話すハネスをカイトはただ待って見据える。


 「計画通りにいけば王女が捕虜となった! そうすれば王女の身柄とキレル山脈より西のニカルディア領を交換して私は中佐になれたんだ!」

 「まさか王族は最初からキレル山脈より西を神聖アルテザウス王国に渡す気だったのか?」

 「そうだ! ただでさえ冬になれば交通が遮断されるこの地域は我が国にとっても悩みの種! それならば一層放棄すればいい!」

 「なら最初から一方的に放棄すればいいだろう」

 「そんなことをすれば我が国のメンツは丸つぶれだ!」

 「だから今回の茶番を?」

 「そうだ! だというのにあのクソ王女は! 全部あいつのせいだ!」


 今回の計画はダレス暗殺失敗から人質交換での領土放棄までが王族の計画だったらしい。それがサルラの脱走によって計画は頓挫。交渉の余地がない戦争状態へと突入し、挙句の果てに苦戦を強いられている。王族が何を考えていたとしても、今回の神聖アルテザウス王国の侵略には大義名分がある。


 今更事情を話したところで彼らが素直に交渉の席に着くとは思えない。つまり現状、この戦線はキレル山脈までを領土にした神聖アルテザウス王国、キレル山脈は守りたいニカルディア王国、一ミリたりとも領土を渡したくはない第六王女サルラの思惑が入り乱れる戦争になっているようだ。


 「その計画をこの地で知っている者は?」

 「私だけだ! こんな仕事、私にしかできない!」

 「そうか」


 ハネスのの喉から剣を離したカイトは懐に隠していた小型の風銃のようなものを取り出す。


 「なんだそれは! そんな小さな風銃見たことないぞ!」

 「これは風銃ではない。ガデルカリア軍事国が開発した火薬によって弾を打ち出す武器だ。よって魔術兵器用に張られている装置に感知はされない。ただ欠点としてまっすぐ飛ばない上に射程も短いが、ゼロ距離なら外さない」


 そう言ってカイトは風銃のようなものをハネスの左胸に押し付ける。その行為が何を意味しているのかハネスにも分かったようだ。


 「ふ、ふざけるな! 貴様は私を殺すというのか!」

 「先に武器を手に取ったのはそっちだろう?」

 「わ、私は王都所属のハネス少佐だ! き、貴様みたいな商人が手を出したらどうなるか知っているのか!」

 「あいにくと俺は中立の行商人だ。ニカルディアの事情なんて知らない」


 カイトの表情を見たハネスは大慌てで交渉を試みる。


 「わ、わかった! 望んだものを何でもやる! 金か、地位か、それとも女か!」

 「ならニカルディア王の首」

 「な……そんなものを用意できるわけがない!」

 「だろうな、冗談だ。そして俺の欲するものは姫様が保証してくれるらしい」

 「な、なら私はその倍の金額を出す! いえ、出さしていただきます!」


 どこまでも醜いハネスにカイトが言う。


 「最後にいいことを教えてやる」

 「なんでしょう……」

 「商人にとって一番大切なものだ。わかるか?」

 「か、金でしょうか?」

 「違う。答えは信用だ。だから俺は最初の契約主を最優先にする」


 バン! という大きな音が林の中に響く。二人のいた林は本陣から離れていたほうなため、その音を聞いたニカルディア兵はいなかった。


 こうしてハネス少佐は誰にも気づかれることなく絶命し、後に死体が発見された時、その死因に王都がひと騒ぎするのであった。。

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