第9話 プラーミア

 野営に向けて食事の準備をしたり、日中の戦闘で怪我した兵士の介護が行われたりするニカルディア軍の本営付近。そこから少し離れたところにカイトとプラーミアの使う馬車が止めてあった。


 カイトとプラーミアの二人は王族サルラから一緒に食事をと誘われていたが、その誘いを断って二人で食事をとっている。


 もともと自分たちに分しか用意していない兵士たちの食事に手を付けるのを嫌がったカイトたちは自らの積み荷にある食材を使ってシチューを作っていた。


 二人とも食事を作ることはできるが、今日はプラーミアの当番であった。プラーミアは鍋に入ったシチューをかき混ぜながら後ろで荷馬車に寄りかかっているカイトに言葉を投げかける。


 「まさかカイトが王女様の誘いを受けるとは思わなかったわ」

 「そうか? まあ、そうかもな」

 「私たちは行商人であって、戦いは好まない。私にそう教えてくれたのはカイトでしょ」

 「そうだな……」


 それ以上何も言えなくなってしまうカイト。今二人がやっていることは二人のポリシーに反しているのだ。


 「もしかして王女様に一目惚れでもした?」

 「まさか。確かに姫様はいい女だが、ミアに見慣れているとなびかないものだ」

 「あら、愛の告白? なんならここで押し倒す?」

 「やめてくれ。生気を全て吸われそうだ」

 「それは残念ね」


 微笑みを浮かべるプラーミアはどこか嬉しそうである。


 「じゃあなんで受けたの?」

 「笑わないって保証するか?」

 「うーん、場合によるかな」

 「なら言わない」

 「冗談よ。素直に吐きなさい」


 チラリと背後を見たプラーミアの視線は鋭く、言い訳を許さないと言いたげだ。


 「姫様が俺に似ていたから」

 「カイトはいつから女装趣味に目覚めたわけ?」

 「そういう意味じゃない。ただ境遇が似ていたんだ」

 「境遇ね。ま、なんとなくわかるかな」


 カイトの過去を知っているプラーミアは彼が何を言わんとしているのか理解できた。だがそれは漠然としたものであり、言葉に表せるものなのかわからない。


 だが確実に言えるのはカイトと王女サルラには同じ絶望があった。


 「あの姫様は王族というだけで抗うことのできない絶望を見てきたんだと思う。だからそんな境遇に失望し、そして自ら抗って見せようとしている」

 「まるでどこかの少年と同じね」

 「そうだな、圧倒的な力を持つ者への挑戦……」


 カイトは地平線に沈んでいく太陽を見ながらつぶやく。


 「もしかすると俺は、姫様の抗いが成就するかを俺自身に重ね合っているのかもしれない」

 「カイトみたいに馬鹿げた夢を持っている人なんてそうそういないからね」

 「だから俺は姫様を自分と同一視しているんだと思う。その抗いの果てに何があるのか」

 「まあいいんじゃない。カイトがそう思うなら」

 「悪いな……」


 それ以上二人に言葉はなかった。ただ沈黙だけが二人の間を支配するが、それは二人にとって気まずいものではない。むしろ心地いいものでもあった。






 しばしの沈黙の後、プラーミアは出来上がったシチューを両手にカイトの下へと移動する。


 「はい、カイトの分」

 「どうも」

 「あら、黙っていたからてっきり寝ているかと思ったわ」

 「そんなことをしたら頭から白い熱いのをかけられてベトベトにされる」

 「カイトはそっちの趣味もあったのね」

 「シチューをかけられる趣味なんてあってたまるか」


 カイトの分のシチューを渡したプラーミアはそのままシチュー片手にカイトの隣に腰を下ろす。


 「今日は随分と甘えてくるな」

 「そうね。日中誰かさんがずっとお姫様がって言って相手にしてくれなかったからかしら」

 「ヤキモチなんて可愛いなぁ」

 「でしょ。その埋め合わせに今は私に奉仕しなさい」

 「喜んで」


 シチューを口に運びながらプラーミアがふとつぶやく。


 「この戦争、勝機はあるの?」

 「どうだろ。でも、絶対に負けるときはある」

 「向こうの将軍が前線に出てきたときね」

 「ああ。ただでさえ戦力差が激しいというのに怪物が出てきたらそれこそイチコロだ」

 「でも相手はそうしてこない」

 「指揮官がこんなところで疲れて倒れるわけにはいかないからな」


 カイトはすでに敵の狙いがキレル山脈まで割譲させることだと読んでいる。ニカルディア王国西部にそびえ立つキレル山脈はその標高ゆえに簡単に軍の侵攻を許さない。


 そのためキレル山脈はニカルディア王国における西の最終防衛線とされていた。しかしそのキレル山脈が神聖アルテザウス王国の手に落ちればいよいよニカルディア王国は終わりだ。西の最終防衛線を破られたニカルディアは西域地方に多数の軍を展開しなくてはならない。


 仮に神聖アルテザウス王国の侵攻を防げたとしても、手薄となったほかの地方から新たな敵国が攻めてくるだろう。そうなればニカルディア王国に打つ手はない。


 だからこそニカルディア王国はキレル山脈を死守したいと思っている。一方の神聖アルテザウス王国はなんとしても此度の戦争でキレル山脈を抑えたいと考えていた。


 「逆にこっちが絶対勝てるときは?」

 「残念ながら今はない。手段を択ばないなら可能性を作ることはできるが卑怯すぎる」

 「例えば?」

 「相手がこの国で物資の補給をすると読んで食料に下剤を盛っておく」

 「確かにそれは卑怯ね。でもカイトならやりかねない」

 「さすがに俺もそこまではやらない」


 カイトが苦笑いを浮かべながら答えた。もしこの作戦を王女サルラに聞かれていたら、彼女は躊躇なく行うだろうと考えていたから。


 この本営でこそ猫をかぶっている王女サルラだが、その本性は利己主義の塊だ。勝利のためなら敵からの非難など意に介さないだろう。


 「でもカイトの選択肢には一つ足りないことがあるわ」

 「なんだ」

 「カイトと私が前線に出る。そうすれば勝機は見えてくる」

 「それは御免だ。せっかく行商人として安全な生活ができているのにどうしてわざわざ……」

 「選択肢の一つよ。覚えておきなさい」

 「はいはい」


 シチューを食べ終わったプラーミアは器をそばに置くと、自らの頭をカイトの肩に預ける。


 「ねえ、カイト」

 「どうした」

 「明日なのね」

 「ああ、明日だ」


 不安そうな表情を浮かべるプラーミア。その表情を見たカイトは胸にチクリと痛みを覚える。


 「すまない。またミアを血生臭い世界に引きずり込んで」

 「仕方ないわ。状況が状況ですもの」

 「嫌だったら拒否してもいいんだぞ」

 「拒否したら私たちが負ける」

 「それでもいいじゃないか。だって俺らは……」

 「中立の行商人?」

 「そうだ」


 カイトがそこまでして中立の行商人にこだわるのは何もマドラ協定によって身の安全を保障されるからではない。そもそもしっかりと守られているかもわからないマドラ協定にすがるほどカイトたちは脆弱な存在ではない。


 カイトはただ各国のいざこざに巻き込まれることが嫌なだけだ。戦争に動員されるのが嫌なだけだ。だからカイトは中立という言葉にこだわる。中立でいれば戦争に巻き込まれることもないから。


 しかし今回ばかりは事情が違った。


 「でも《神災》の情報は欲しいでしょう?」

 「欲しくないといったら嘘になる。だがそこまでして……」


 プラーミアはカイトの隣から馬乗りになるように移動し、欲しくない。と言おうとしたカイトの口に人差し指を抑えつけて言葉を発するのを防ぐ。どうやらそこから先は言わせる気がないようだ。


 「いいの。たまにはお姉さんに甘えなさい」

 「その見た目でお姉さんと言われてもな……」

 「あら、妹の方が嬉しい?」

 「いや、年齢を考えたら立派なクソババ……」

 「それ以上言ったら殺すから」


 満面の笑みを浮かべるプラーミアだが背後からは隠しきれない殺気が滲んでいる。


 「悪い……」

 「いいのよ」

 「すまない……」


 うかない表情を浮かべるカイト。プラーミアそっと自分の頭をカイトの胸に押し当てるとつぶやいた。


 「気にしなくていいのよ」

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