第2話 神聖アルテザウス王国

 「おい、聞こえないのか!」


 店内に響いた男性の怒号。その声に驚いた周りの人間たちは恐怖に怯えながらただ頭を抱えることしかできない。男は両手で大型の風銃を構えながら、今なおテーブルの上に置かれた料理に手を伸ばす二人組にもう一度だけ勧告をした。


 「これが最後だ。今すぐ両手を頭の後ろに構えて跪け!」


 身なりからしてその男は軍人だ。胸に縫い付けられている国旗から見て隣国の神聖アルテザウス王国の所属だろう。


 店内には同じく神聖アルテザウス王国の軍服を身にまとった男たちが合わせて五人いる。全員が例外なく風銃を両手に構えながらいまだテーブルに居座る二人組を睨んでいる。


 事件の発端は五分前。このニカルディア王国の最西端に位置する小さな村にある食堂に武装した神聖アルテザウス王国の兵士たちが流れ込んできたのだ。彼らの統率された行動からそれが神聖アルテザウス王国の侵略行為だということは容易に理解できる。


 長年に渡って膠着状態にあった神聖アルテザウス王国とニカルディア王国は事実上の休戦状態とも言われていたが、正式に休戦協定が結ばれていたわけでもないので彼らの侵略を非難することはできない。


 むしろ最西端の村としてはこのような緊迫した状況こそが本来の姿なのかもしれない。


 今なおテーブルに置かれた料理に手を伸ばすのは黒い髪に紅い瞳の青年。その齢はまだ二十に満たないであろう。そして少年の正面に座るすらりと伸びた金色の髪にルビーのように美しい瞳、チャームポイントともいえる八重歯が目立つ少女。


 二人は周りを武装した軍人に囲まれているにもかかわらず、平然とした様子で料理に手を伸ばしては口に運ぶ。


 風銃を向けられているにもかかわらず平然と料理に手を伸ばす二人は頭を抱えて怯える村人たちからは奇異の視線を向けられ、武装した軍人たちを苛立たせるには十分すぎた。


 「少しはこっちの話を聞け!」


 軍人の一人が業を煮やして男の足元に向けて威嚇射撃を行った。その銃声に村人たちは恐怖の声を上げながら頭を抱える。しかし黒髪の男は覚えるどころかあきれた様子で男の顔を見ると、やれやれと言わんばかりにポケットから金色のタグを見せつける。


 「俺はカイト=ブラディアル。行商人だ」


 行商人と名乗るカイトが見せつけた金色のタグは彼の職業を証明する万国共通の身分証明書だ。


 「戦時中においても行商人は中立を保つ限り、その身の安全は保障される。これは国際協定であるマドラ協定によって規定された立派な権利だ。つまりあんたらがどの国に属していようとも、俺らに銃を向ける資格はない。わかったらその銃を降ろしてくれ」


 カイトの主張に軍人たちは押し黙ってしまう。それはカイトの主張が国際法で規定された確かな権利によって裏付けられたものであり、同時に軍人である以上彼らが守らなければならない義務であったから。


 しかし軍人たちは一向に風銃を降ろそうとはしない。それは彼らにも軍人としてのプライドがあったから。


 侵略作戦において重要な食糧確保のためにこの食堂を攻めてきた軍人ったいは無駄のない動きでこの村の制圧した。人口三十人程度の村だが、農耕が盛んなこの村には侵略してきた神聖アルテザウス王国の兵士たちを養うのに十分な食料があった。


 食料という戦争において最も懸念される不安材料を敵国で調達できれば彼らにとってこれ以上のない成果だ。そしてこの事実をまだニカルディア王国側に知られてはいない。ここでこの村が神聖アルテザウス王国の手に落ちたという情報を持った人間を外に出すのは作戦上避けなければならなかった。


 つまりここで行商人であるカイトたちを逃がすわけにはいかないのだ。だから軍人たちはマドラ協定を無視してまでもカイトたちを抑えつける必要があった。


 「そんなものは関係ない。死にたくなかったら大人しくこっちの指示に従え!」

 「マドラ協定を無視すると他国からも非難されるぞ?」

 「今更そんなことをしたところでどこの国にも責めることはできない!」

 「悲しいかな。これが現実か」

 「諦めなさい、カイト。マドラ協定を律義に守る軍なんて存在しないわ」

 「でもなぁプラーミア、それだと俺たちの身が危険にさらされてしまう」


 金髪の少女プラーミアの言葉に困った表情を浮かべるカイト。現在進行形で二人の身の安全が保障されていないというにも関わらず、緊張した様子を見せないカイトとプラーミアに村人たちは戸惑いの表情を浮かべ、軍人たちはさらに苛立ちを募る。


 「お前らいい加減にしろ! 次はその身に弾を打ち込むぞ!」

 「だとよ、プラーミア。あちらさんはお前に玉まで打ち込みたいらしい」

 「玉までって、いったいどれほど短小なのかしら」

 「そう言ってやるな。同じ男として同情を禁じ得ない。だが、向こうがその気なら仕方ない」

 「そうね。商人としては同じ命でも自分の方が貴重だわ」


 カイトとプラーミアは立ち上がった次の瞬間、それは一瞬のうちに起きた。


 立ち上がると同時に目にもとまらぬ速さで銃を構えていた男の背後に回ったカイトは男の首をホールドし、軽くひねることで頸椎を骨折させる。これだけで男の命を奪うのには十分すぎた。


 一人目の男を仕留めたカイトは続けて近くにいたもう一人の男に接近すると、その男の左胸に手を添える。


 「なっ……」


 一人目の男が絶命したことに意識を奪われていたその男はカイトの接近に対してわずかに反応を遅らせてしまう。だがそのわずかな時間が命取りとなってしまった。


 「終わりだ。《振盪》」

 「うっ……」


 わずかに男の身体が震えたと思った刹那、男は地面に倒れ込む。目は見開き、開いた口から唾液が流れ出るその様子から男が絶命したことがよく分かる。


 「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 二人の仲間が殺されたことで怒りをあらわにした男がナイフを片手にカイトに襲い掛かる。カイトは振り下ろされるナイフを回避すると、その男の手首をつかむ。


 「《剛力》」

 「うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 グシャッという音とともに男の手からナイフが滑り落ちた。男の手首はまるで大型トラックで踏みつけられたかのように潰れており最早原型をとどめてはいない。


 カイトは痛みに悶える男の頭に右手を添えるとつぶやく。


 「《振盪》」

 「うっ……」


 男はその場で倒れ込んだ。


 この光景を見ていた残りの二人は既にカイトから距離をとり風銃を構える。風銃の射程は最長でも五メートルだが店内が狭いためカイトがどこに回避しようとも十分届く距離だ。


 二人がカイトに向かって一斉に引き金を引こうと試みる。


 「私を忘れてもらっては困るわ」

 「「うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」」


 引き金を引こうとした男たちの顔面に突如として炎が襲い掛かる。その炎が男たちの顔を焼き切ると生前の顔など見ることもできないほど無残な姿になった死体が二体転がる。


 普通に暮らしていたらならばまず出会わないであろう光景に店内にいた村人たちは顔色を悪くする。だが二人のおかげで命が救われたのも事実のため大っぴらに非難する者はいない。心中では何を思っているかは知らないが。


 「相変わらず俺のトラウマをえぐるような殺し方だ」

 「それは失礼。でも私が手を出さなかったらカイトは今頃ハチの巣よ」

 「ハチミツでも出れば売れるんだけどね」

 「出てもトマトジュースよ。それも鉄臭い腐りかけのね」


 ついさっきその手で人を殺めたというにも関わらず、平然としているカイトとプラーミアに村人たちは畏怖を覚える。店内にいた村人の数は八名は全員無事だ。


 「少しよろしいでしょうか?」

 「ん?」


 集まっていた村人の中から不意に二人が立ち上がる。その容貌はマントとフードによって隠されているが、声からして女性だろうと判断できる。


 「お二人はもしかして行商人カイト=ブラディアルさんとプラーミア=アテルフォディアさんではないでしょうか?」

 「そうだが、そういうあんたは」


 そこで慌てて二人がフードを脱ぐ。


 「申し遅れました。私はニカルディア王国騎士団所属のレンリと申します。そしてこちらは」

 「ニカルディア王国第六王女サルラ=ニカルディアです」

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