紅蓮の復讐者
高巻 柚宇
第1話 劫火のクリスマス
それは何の前触れもなく起こった。いな、起こされたと言った方が正確であろう。《神災》――神々が気まぐれに引き起こす厄災であり、人々が抗うことの許されない終末の時。
街の空に突然現れた白い鐘。それは見る者を魅了するとともに、絶望を与えた。その鐘がいったい何なのか、詳しく知る者はいない。だがその鐘を見た誰もが神によって生み出されたものなのだろうと確信する。空に浮かぶ鐘など神々しか作り出すことのできないものだから。
そしてその鐘が少しずつ揺れはじめ、鐘の音を響かせ始めると同時に街のいたるところから突如として炎が燃え上がった。火の気のない場所から突然炎が現れた光景は信じがたいものであったが、その炎が街を包み込み始めると同時に人々はそれが《神災》だと確信した。
荒れ狂う炎があっという間に夜の街を包み込み、人々の平穏な暮らしを次々と奪い去っていく。聞こえてくる声は人々の悲鳴。それが苦痛によるものなのか、それとも大切な人を失った喪失感によるものなのか、はたまた目の前に迫る死の恐怖によるものなのかはわからない。
目の前で最愛の人を炎に焼かれて失う者、これまでの人生を過ごしてきた思い出の詰まった家を失う者、今まさに燃える瓦礫が目の前に迫って自らの死を悟るもの。
その光景を一言で表すなら地獄だった。
「逃げろぉ! 早く逃げろぉ!」
「くそ、奴らが来た!」
「南だ、南に走れ!」
鳴り響く鐘の音を打ち消すほどの怒声が飛び交う。辛うじて無事な者たちはその声に従って街の南側に向かって必死に走る。彼らが去ったあとに残された光景は無残に燃え尽きた家屋や、黒く焦げた何か。生前それが人だったのか、それもと家畜だったのかは暗くてわからない。
普段なら街を照らしていたであろう街灯も、今となってはその役割を果たすどころか人々の逃げる先を塞ぐように倒れこんでいる。
辺り一面を肉を焼いた悪臭と燃えた木の焦げ臭さが包み込む。
「ううぅ……」
暗闇の中で何かが動いたが、誰もその存在には気づかない。というよりも、気にしている余裕がなかった。
まだ街には生き残っている人もたくさんいたが、彼らはどこかしらに重い怪我を負っているため、満足に動くことができない。そして無事だった人々は彼らのことなどを気にするそぶりも見せず、街に南に向かって必死に駆けてゆく。
しかし神々は無慈悲だった。街の南に向かって走っていく人々の前方に大きな炎の竜巻を出現される。その竜巻は逃げてきた人々を飲み込むがごとく、人の群れに向かって迫っていった。
「う、うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「だ、だれかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「あつい、熱い、助けてくれ」
「誰か水、水をかけてくれ!」
炎の竜巻にのまれた人々は身を焼かれて悲鳴を上げることしかできない。かろうじて逃れた者は無事なものに助けを求めるが、彼らに救いの手を差し伸べる余裕がある者はいなかった。無事だったものは今度は炎の竜巻から逃げるように街の北へと向かった。残された者たちは為す術もなく炎の竜巻に飲まれてその身を焼かれた。
そして街の北へと逃げた者たちは前方を炎の壁によって塞がれてしまう。街の瓦礫が燃えるその壁は人が飛び越えられるような高さではなかった。そして背後から迫る炎の竜巻は複数に分裂をし、彼らの逃さないとばかりに四方から迫ってくる。
「お、終わりだ……」
「神は私たちを選んでくださったのだ……」
「ああ、最後の好みで神々のお役に立てるなら……」
死を目前にした人々はただ神々に祈ることしかできずにその身を焼かれていった。
「うっ……」
そんな大火の中で一人の少年が目を覚ました。その容姿は黒い髪に紅い瞳。齢はまだ十にもなっていないだろう。
「うっ」
少年は目を覚ますと、辺りを包み込む大火を見て自分の頭を抱えながら顔をゆがめる。彼の目の前には人間のものと思われる腕が落ちていた。
「か、母さん……?」
目の前に落ちている片腕を見て、少年はすぐにそれが自分の母親のものだと悟った。それは薬指にはめられた特徴的な指輪が母親のものだったのもそうだが、それ以上にいつも見ていた母親の腕を間違えるはずがない。
その腕は所々が黒焦げているが、紛れもない母親のものだ。
少年はその腕を見てつい先刻のことを思い出す。
「嘘だ……」
さっきまで少年は家族とクリスマスパーティーをしていた。今日は十二月二十四日のクリスマスイブ。少年の家に限らず、どの家も家族でクリスマスを祝っていたに違いない。
しかしそれは突然起きた。
激しい複数の爆発音とともに人々の悲鳴が聞こえたと思えば、次の瞬間には少年の家の屋根が消えていた。少年の目にが入ってきた光景は夜とは思えないほど赤く光る空におびただしい量の黒煙。
そして地獄が始まった。
空から降ってくるのは炎を帯びた瓦礫の山々。人々はすぐに家の外に避難した。だが外はもっと地獄であった。外に広がる光景は全身を焼かれた黒い人影、または体の一部に激しい熱傷を負った重症者。
「嘘だ……」
少年は自分の記憶が偽りだと思いたかった。だが周りの光景を見る限り、それは偽りのない真実。否定しようにも、周りの光景がそれを許さない。
目の前に落ちている母親の片腕。おそらく近くの瓦礫の中に母親の亡骸が埋まっているのではないだろうか。そしてその近くに父親の亡骸も。
そう考えただけで、少年は考えることを嫌になった。そして叫ぶ。
「わあああああああああああああああああああああああああああああ」
その行為に意味があるかなど関係ない。ただ、少年は叫びたかった。そうでもしないと、自分がおかしくなりそうだったから。
絶望に暮れる少年に差し伸べられる手はない。なぜならその街で生き残っていたのはその少年だけだったから。他の人々は神々によって焼き殺されたか、瓦礫によって圧死させられたか知らないが、もうこの世にはいなかった。
なぜ少年だけが生き残ったのか。それは神々が見落としたのか、それともただの神々の気まぐれかはわからない。しかし少年だけがこの街で唯一生き残ったという事だけは事実だ。
「許さない……」
少年は母親の腕を抱きしめると、いまだ空で鳴り続ける白い鐘を睨みながらつぶやく。その赤い瞳には確かな憎悪が見えた。
「絶対に許さない……」
こうしてこの日の出来事は、劫火のクリスマスとして後世に語り継がれるのであった。そしてその日は少年の人生を大きく変える転機でもあった。
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