第二章  キアリー

赤い電車を降り、追浜駅から出ると青空が広がっていた。電車と空と何て素敵なコントラストなんだろう。そんなことを思いながら私は学校へ向かっていた。今日四月六日は入学式だ。ひと月前にはきっと桜が満開なんだろうなとか想像していたが、今年の桜はエライ早咲きだった。花は春休みの間に散ってしまった。もう残されているのは光合成を頑張っている緑の木だけだ。


式次第と級分け表を貰い、用意されたパイプ椅子に腰かけている。開始時刻より一時間も早く着いてしまったのでもう腰が痛い。歳を感じた。

もう三回目の入学式だ。さすがに友達百人出来るかなとかくだらない心配事はない。私は私なんだから変に取り繕わないで良い。千尋らしさを気軽に出していけばそれでいい。そんなことを思いながら四季が始まるのを待っていた。座り始めた時にはひんやりと感じたパイプ椅子にも私の温もりが伝わっていた。周りを見れば期待に胸を膨らませている新入生が五万と集まっていた。実際には三百人もいないのだが。



「千尋ちゃんは何部に入るの?」

声を掛けてきたのはヒガシマルさんだ。いや、本名は忘れた。自己紹介の時にヒガシマルのCMのあの振付をやっておどけていたのが印象に残ってしまった。私はこいつを卒業してもヒガシマルと呼び続けることになるのだろう。

「私は弓道部とか趣深くていいと思っているよ。」

言った瞬間にハッとした。趣深いってイトオカシですか?清少納言か私は。

「千尋ちゃんって紫式部見たいなこと言うんだね。面白いね!」

え?ムラサキシキブ?


ヒガシマルを訂正するべきか否か、ここの選択で私の立ち位置が決まるかもしれない。そんな人生の岐路に立たされているなんて誰も気づいてくれない。頭の中の天使と悪魔が戦っている。その二人とも結論は同じだ。この選択によって「あだ名」が決まる。訂正しなければ「シキブ」に。訂正すれば「ショウナゴン」に。どちらを選ぶべきか。


私はただ席が前後ということを理由に親しげに話しかけてきたヒガシマルに気を使うことにした。初対面でいきなり否定をされたら誰だって嫌な気持ちになるだろう。今までも相手の気持ちを考えて動いてきたんだから、そこは変えなくていいだろう。天使と悪魔の話し合いも決着した。

「弓道部って中学校になかったし、見た目もすごく可愛いじゃん。だから気になるなーって思ってるよ。」

そのまま話を続けた。ここで部活動の話をしたことで今後もヒガシマルと付き合いが続いていくことになる。

「あたしも弓道部見に行ってみようかな?千尋ちゃん一緒に行かない?」

断ることなんて到底無理だった。ヒガシマルは断られないことを知っているかのような口ぶりだった。この子も人の心を見ることが出来る子なんだと感じた。


元来私は誰かとつるむということは得意な方ではない。親しい間柄でなければ私自身本音を話すことが出来ないからだ。将来臨床心理士になりたいと思ったのもそれが根底にある。面接時には世の中を明るくしたいなんて格好いい表現を使ったが、もちろん自分のため。相手の気持ちが見えるのは幼い頃からの特技のようなものである。それで幾度となく痛い目を見てきた。だからかも知れないが私は相手の本音を見た上でその人が求めている人物像に近づこうと行動していたのかもしれない。

高校では何か変わるかも。そんな儚いことを期待していたのだ。時間が解決してくれる。いや、いつも時間に解決してもらおうと逃げていた。

窓から吹き込む春風はどこかジメっとしていた。雨が降りそうだ。


入学式の後は各クラスごとにオリエンテーションを簡単に行い本日は終了。家路につこうと思う暇もなくヒガシマルが話しかけてきた。

「ねぇねぇ、千尋ちゃんも帰りにマック寄って行かない?せっかく仲良くなった記念にプリクラも取りたいし、一緒に帰ろ。」

やはりこいつは断れないことを知っている。仲良くなった記念なんて言われて断ろうものなら・・・。考えただけで恐ろしい。考えないことにしよう。

「もちろんいいよ。二人だけ?」

言ったそばから後悔した。

「これから千尋ちゃんとマック行ってからプリクラ撮りに行くんだけど一緒に行かない?」

かぶせ気味に後ろの席の、たしか土屋さんだったかな、に元気よく声を掛けていた。行動が早すぎる。そしてこの子は自分がどう見られるかをあまり考えないんだ、と一人思った。

「え、いいの?じゃあ私も行こうかな?」

「なになに、マック行くの?俺らも行っていい?」

続けざまに口を出してきたこいつは誰だ。と怪訝そうな顔をしていたのだろう。それがばれたのか、

「あ、俺宮嶋ね。でこいつは同じ中学だった森本。」

「は、俺行くなんて一言も行ってねぇよ。」

「そんな固いこと言うなって、高校デビューしようぜ。」

どうやら男子二人も追加らしい。入学早々ツイてない。

一瞬の不穏な空気も、

「よし、みんなで行こう。」

ヒガシマルの声によってかき消された。眩しい笑顔ってこういうことを指すんだろうなというような眼をしてヒガシマルが拳を突き上げた。


駅前のマックに着くなり注文もせずに自己紹介が始まった。私もこのメンツの名前を言えるかと言えば無理だし、どことなく不安そうな顔が並んでいるので他のみんなも同じ考えなのだろう。ヒガシマルを除いては。ヒガシマルだけは何を考えているのかわからない。いつでも笑顔を崩さないポーカーフェイスだ。お世辞を抜きにしてもとても美少女で、さらにずっと笑顔でいるなんて可愛さ百倍アンパンマンか。

「あたしは高橋美鈴、中学校は違う県でド田舎だったんから、高校からはおばあちゃんの家に住んでいるんだ。これからよろしくね。」

ヒガシマルの本名は高橋美鈴だったのかと一人納得していたところに、

「ヒガシマルのあの踊りの印象しかなかったから名前覚えてなかったわー。もうヒガシマルって印象だからヒガシマルって呼んでもいいよね?」

口にしたのは宮嶋だった。ナイスチャラ男。なんて内心思ったが顔には出していないはず。

「それひどーいww」

ヒガシマルが答える。私が男だったら間違いなくこの笑顔の美少女の虜になっていることだったろう。

この場でわかったことは、

ヒガシマルの本名は高橋美鈴。

 土屋こはるは中学時代に卓球で関東大会に出場している。

 宮嶋由伸はチャラ男。

 森本礼央は名前にコンプレックスを持っている、そしてヒガシマルのことが恋愛対象として気になっている様子。

 私のあだ名がシキブになった。


他愛もない話を繰り広げこの場はお開きになった。マックではポテトと飲み物だけで長居した。男子とヒガシマルからシキブと呼ばれることに慣れてきた。つっちーだけはちーちゃんと呼んでくれる。

女子グループはその後プリクラを撮るためダイエーへ。もうイオンに名前は変わっているが昔からダイエーと呼んでいた名残で今でもダイエーと言ってしまう。むしろイオンと言われてもピンとこない。


枝折駅を降りると雲の切れ間から注ぎ込む西日がとても眩しかった。こんな時間にぷらぷらと外で遊んでいるなんていつ以来だろう。

中学生の頃の私は積極的に人と関わらないことに必死だった。それを入学初日にヒガシマルこと高橋美鈴に出会って人生が変わった気がした。人との出会いがこんなに素敵だなんて知らなかった。いや人と深く付き合うことで自分が傷つくのを恐れていただけだ。ここでなら私というキャラを装う必要はないように思えた。ありのままの自分を見せていこう。そんなことを思っていた。

「シキブって好みのタイプどんな人?」

口を開いたのはヒガシマルだ。悪びれる様子もなく白い歯を覗かせながら聞いてきた。

「うーんとね、私は吉沢亮みたいなイケメンがいいな。」

今をときめくイケメン俳優の名前を出した。今までもこの手の質問には決まって吉沢亮と答えていたがこれは本音である。部屋にはポスターも貼っているぐらいの熱烈なファンなのだ。

「かっこいいよね、吉沢亮。」

つっちーも想像しているのだろう。口元が若干緩んだ。

「かっこいいと思うけど好みのタイプとは違うかなー。」

ヒガシマルが唸っている。そして言葉を続けた。

「あたしはね、山田くんみたいな顔が好きだな。」

口にした名前は今をきらめくアイドルグループの名前だ。いわゆるジャニーズ系の顔が好きなんだろう。ふざけたこともするがこの子は間違いなく美少女だ。山田くんを落とすことも本当に出来るかもしれないと私は思いながら、

「美鈴ちゃんは可愛いから山田くんと付き合えるかもね。」

と笑顔を作りながら言った。さすがに初日からヒガシマルなんて言えない。

「ありがとう、うれしい。それにしてもうちのクラスイケメンいなくて残念だよね。」

心から無念という顔をしながら、すぐに眩しいくらいの笑顔に戻り、

「でも、こうやってシキブやつっちーと仲良くなれたんだからまぁ有りなのかもね!」

と歯が浮くようなセリフを投げつけてきた。私にはとても言えないセリフをいとも容易く扱うこの少女は本当にすごいと心から思った。

私もこんな毒に侵されたような相手の顔を窺いながら生きていくよりも、この少女のように感情をすべて表に出せたらどんなに素晴らしい人生になるんだろう。仮面を付けることを肯定した生き方よりも、仮面を外した生き方の方が楽しい人生を送れるのではないか。この高橋美鈴みたいな生き方に憧れる。千尋は千尋らしくって決めた当日なのにもう心が揺らぎ始めていた。



プリクラを撮り終えダラダラと色々な話をしていたら、空は暗くなり夜はさすがに風が冷たく感じた。

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