第11話 黒曜石


 少し暗い照明。体育館の壇上に、スポットライトが二つあたっている。その小さな光のなかに、私とカステルは立っていた。


「行くのか」


 カステルに聞かれて、無言のままうなずく。


「一体何を探しに行くんだ。この町を、君はとても愛していたはずだろう」


「もちろん、この町は大好きだよ」


 その言葉には、不思議な実感が込もる。

 現実以上の熱を帯びているような。


「でも僕は、行かなければいけないんだ。どうしてなのか、分からない。何も見つけられないかもしれない。

 ただ、今この町を出ていかないと、何も知らない子供のままでしかいられないような、そんな不安が渦巻いて、僕を駆りたて続けるんだ。心の声が、お前このままでいいのかって」


 舞台の上は静かだ。

 カステルが、たぶん意識的に間をおいて話し始める。


「もう、とめられないんだな」


 私は何も言わない。しばらくして、


「これ、やるよ。旅の連れに持っていくといい」


 私はその場で、何かをカステルから受けとる。


「石? 黒くて、透き通っている……」


「黒曜石っていうんだ」


「へえ、きれいだな」


「戻ってこいよ、いつか。待ってるから。俺も、この町のみんなも」


「うん、ありがとう、カステル。僕は行くよ」


 照明が消える。

 私が立ち去った後、カステルはその後ろ姿を見送り、下手側へ歩いていく。



*


 通し稽古のさなか。傍らに置いたわら半紙の脚本。

 ペットボトルに入っているジュース。

 大きな足つきの装置。

 舞台からは、バスケットボール部の練習するさまが見える。体育館の奥にある、丸い時計。

 カバンと制服が積まれた壇上の隅。

 濃紺色のジャージ、灰色のスウェット、七分袖のティーシャツ。

 (みんなだいたい似たような格好をしている)



 一度出番は終わり、上手側にはけた後、舞台転換の準備をする。今度はカステルが話し始める番だ。



*


「黒曜石って、どんな石か知ってる?」


 その日は練習がいつもより早く終わって、まっすぐ帰ってきたから、やよいちゃんの家に寄った。ちょっと寄るのにやよいちゃんの家ほど適した場所はないと思う。

 私は炬燵に入ったまま聞いた。雑誌の誌面——自宅で作れる化粧水、および石鹸の材料——に目を通していたやよいちゃんは、ふっと顔をあげる。それにあわせて、金色のピアスが揺れた。


「黒曜石? どうして?」


「劇に出てくるの。ポルトが町を出て行くときに、カステルが渡すから」


 やよいちゃんは、ふうん、と言って少しだけ口をつぐんだあと、


「黒い石よ。名前のとおり。透明で光沢があって」


 と言った。


「見たことがあるの?」


 思わず声に羨望が混ざる。


「一度だけね」


 いいな。

 そうつぶやいたら、気になるなら今度探してあげる、とやよいちゃんはほほ笑んだ。


「ありがとう」


 途端に私は嬉しくなってしまう。

 やよいちゃんがパン屋で買ってきたシナモンロールを二つ、私は牛乳でもらった。やよいちゃんは、ネイビーブルーの底が深いマグカップに、クリープ入りのコーヒーを入れている。その口元の艶やかさに見とれたまま、


「やよいちゃんは」


 何も考えず口にした。


「友達の彼氏と、たまに会うの?」


 部屋の片隅にはクリスタルの灰皿が置いてあって、煙草の吸殻が二本入っている。入っていない日もあれば、今日みたいに何本か入っている日もあった。ピースの箱がそのまま置いてあることも。


「たまに会うよ」


 やよいちゃんは私を見て、もう一度ほほ笑む。

 何を考えているのか、すべて悟られてしまうような気がして、それ以上何も言うことができなかった。


「気になる?」


 そう聞かれて、


「まあね」と相槌を打つ。



「たまに会って、セックスするの?」


 思い切って、私は聞いた。

 やよいちゃんは、くすくす笑い始める。私は牛乳のお代わりをもらった。やよいちゃんのくすくす笑いのおかげで、机に広げた、ライティングと世界史と古典Bの宿題が、全然はかどらなくなってしまう。

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