第5話 写真
一度やよいちゃんに、カステルの写真を見せたことがある。大会当日、楽屋の前で撮ったツーショット。
カステルはそのとき、「動物を人間に変えてしまう博士」という役柄で白衣だった。
やよいちゃんは写真をひとしきり眺めてから、
「いい男っぷりだね」
と、ほほ笑んだ。
「くーちゃんが好きになっても仕方ないね」
そうでしょう、と思ったけれど、口に出さなかった。私は犬の耳がついたカチューシャをつけていて、そのときは「くーちゃん」とみんなから呼ばれていた。
夏の日の記憶。
いつのまにか、遠くなっている劇。パチンと消えてしまうソーダ水みたいに、もう手が届かない。
週明け、やよいちゃんから手紙がきた。四人で公園に行ってきたのだそう。どこかは分からないけれど、ドライブに行った先だと推測する。
『秋の公園は透明で、どこまでも空が続いていく気がしました』
やよいちゃんはときどき、手紙のなかで詩人になる。
イチョウの葉が一枚入っていた。
鼻先に持ってゆく。パタン、パタン。
ふるわせると、その隙間に小さな風が吹いた。私は脚本を机の上に広げて、イチョウを持ったまま台詞に目を通している。
星降る夜。
上手側のカステル。
ふりむきざま、泣き笑いの表情。
交錯する視線。
「じゃあ、覚えていればいい。今夜の星のきらめきや、澄みきった空気を。今の、この瞬間を。ずっと覚えていよう。僕はきっと、ずっと覚えている」
窓の外からレールを走る電車の音。真夜中の空を駆けあがっていくさまを想像する。その汽車にふたり座って、どこまでも旅することができたらいいのに。
お祭りが終わる頃、カステルはポルトに言う。
「だいじょうぶ。恐れることは何もない。俺たちは一緒だ。いつでも、どんなときも」
何の意味もない台詞も、カステルが言いはなつと本当のようだ。いっぺんの曇りもない真実のように錯覚する。
いっぺんの曇りもない真実。すでに叶えられた約束のように。
夏のあいだじゅう窓辺につるしておいた風鈴を、まだしまうことができずにいて、風が吹くたび高い音でりんと響く。その音を間近で聴きながら、文面から目を離すことができなかった。
イチョウの葉をくわえてみる。鮮やかな黄。
演じている舞台でしか、触れられない世界。そのなかで私は、いつも何かを求めている。目で見ることはできなくて、不安定で、でも今の私にとても必要なものを。
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