第4話 土曜日


 土曜日は快晴だった。

 平日は曇りや雨でも何ともないけれど、土曜日が晴れると、清々しい気持ちになる。


 午前中の劇の練習が終わって昼休憩に入ったあと、私は体育館の裏手の段に座って、ただぼんやりと空を眺めていた。色んな大きさの雲が、風に吹かれ、形を変えてゆく。


「ポルト」


 名前を呼ばれて、ふりむく。

 制服姿のカステル。私はたちまち嬉しくなってしまう。遠い異国を旅していて、偶然なつかしい人に会ったときのように。


「みんなは?」


 カステルが辺りを見回して言う。


「ポタンは、二者面談の順番が来て出て行ったよ。オテルは部室に置いてあるお菓子を取りに行って、ラシーヌは補習中だと思う」


 私は指折り数えながら言った。


「ポタンも今日なんだ。進路のやつ」


 俺も今ちょうど終わったところ、とつぶやいて、「昼食べた?」と私に聞いた。


 カステルは、役のなかの一人称が「俺」なので、普段の会話でもそう喋っている。私も「僕」って言っちゃうときがあるけど、カステルのそれは、とても自然に聞こえる。


「食べたけど、もう一回食べてもいい」


 それを聞いて、カステルは笑った。

 どこか深い森のなかの湖にさざ波のたつような、そんな笑い方だった。私の、よく知っている笑み。


「購買にパン買いに行こうよ」


 そう言われて、私は立ちあがった。



 購買は下駄箱の近くの、ごく限られたスペースにこじんまりとある。土曜日のせいか、売り子のおばさんのほか誰もいない。


 カステルは焼きそばパン、私はドーナツを買った。小さな購買コーナーは、白い壁に囲まれていて、清潔で、とても居心地が良さそう。


 「購買のパンの売り子」になってみたいと思うけど、そんなことは「進路希望調査の紙」には書けないのだ。それは少しだけ、私に違和感を感じさせる。まだ見ぬ社会の底に漂う、理不尽さのようなものを。


「君たちは、可能性の宝庫なんです」


 きのうの全校集会で、生活指導の先生がそう言っていたのを思いだした。体育館のステージの二階、照明や音響を調節する小さな部屋のなかで、私はオテルと「イラストしりとり」をして遊んでいた。わら半紙に絵を描いていくしりとり。



「ラシーヌは何落としたの?」


 焼きそばパンをかじりながら、カステルは聞いた。ラシーヌと私は同じクラスなのだ。でも、クラスのなかでは別のグループに属している。仲が悪いわけじゃなくて、なんとなくそういう組み合わせになっているだけ。



「政経だった気がする」


 だから、私の記憶はうろ覚えだ。


「ポルトは大丈夫だったんだ」


 笑みを含んだ声。

 政経は55点だった。30点以下が欠点で補習なのだ。


「なんとかね」


 私も笑ってみせる。



 体育館へむかう途中、私もカステルにつられて、ドーナツをひとつ食べた。表面にまぶされた粉砂糖が、舌の先に甘い余韻を残す。袋のなかにはまだ、あとふたつ残っている。

 息を吸い込む。秋は、何かが始まるのと同時に終わる季節だ。私たちの最後の大会は、秋にある。

 (他校はだいたい、夏で引退する)

 それについて考えると、胸の隙間を、涼しい風が通り抜けていく気がする。



「カステルは、大学に行っても演劇は続ける?」


 ふと思いついたことを、私はそのまま口にした。


 この場所を離れたら、この説明のつかない気持ちも、同時に終わってしまうのだ。彼女が演じる男の子にも、もう二度と会えなくなってしまう。彼女自身も——今は限りなく男子に近いけれど、少しずつ大人になってゆく。たぶん私も、また同じように。


 カステルは、何かをつぶやいた。

 風の音にまぎれ、聞きとることができない。どこか遠くを見つめている横顔。冷たそうな頰と、少しだけ先のとがった耳。私もカステルと同じ方向を見つめて、ただしばらく風の音を聞いた。

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