回収依頼6

 人間は魔法を使うことは出来ない。


 これは純然たる事実であり、古今この理を越えた存在は誰一人としていない。


 だが人間は迷宮という存在に知り、魔物が使用する魔法という未知なる力に否応なく触れた時、恐怖や絶望を感じた以上にその力を欲した。


 下等悪魔レッサーデーモンが放つ炎の嵐に幾人もの冒険者が身を焼かれ、吸血鬼ヴァンパイアと呼ばれる痩身の怪物が放つ魅了の視線に同士討ちが始まり、ドラゴンが放つ吐息ブレス以上に甚大な被害を及ぼす、破滅的な閃光と熱量を兼ね備えた爆発を解き放つ秘術を自在に操る大悪魔アークデーモンに幾度となく高名な冒険者達が蹂躙され続けても、なおその力を欲した。いや、だからこそだろうか。


 迷宮の存在を確認した古来より、変わらず斃し終えた魔物の死体は冒険者の糧となっている。例えば上層のコボルドの毛皮は防寒や粗末な防具のために解体後に鞣された。また、ボーリングビートルの外骨格は部位を選べば優秀な硬度を持つ防具や独特の風合いを持つ調度品の一部となったり、オークと呼ばれる豚に似た頭部をもつ人型の魔物の肉は美味ではないものの、食用に加工されることもあった。それらの魔物たちのは何れも人間が生活を営む地上に住む生物に――姿形という大分類からは逸脱したとしても、酷似したものだった。


 だが、第六層の強敵である下等悪魔レッサーデーモンを初めて撃ち破り、その死体を解体した冒険者が見たものは、これまで地上で遭遇してきた生物には存在しない未知の器官が存在する腸だった。


 のちに魔力胞と呼ばれることになるその器官は、現在では迷宮に存在するほぼ全ての魔物に共通する内臓の一部だと提唱されている。勿論、その器官の発達具合により扱うことが出来る魔法の能力が決まってくる。


 その魔力胞は適切な手順を踏み、適切な素材と混合された時、今まで人間が扱うことが出来ない魔法の力の一端を再現することが出来た。


 始めは偶然や事故だったのかもしれない。だが、初めて魔法の力の一部を手にした人間たちはあらゆる手段を使ってその力の解明を始めた。逼迫した経済状況や他国との戦火が絶えない騒乱の時代であったこともそのことに拍車をかけていたのだろう。誰もが皆、力を求めていた。


 動物実験から始まったそれは直ぐに人体で行われることになる。奴隷や犯罪者、仕事をこなすことの出来なくなった冒険者、口減らしのための老人や子供。幾つもの命が簡単に消費された。幸い、というべきかを判断することはあなたの良心に任せることとするが、現在では国の法により重い犯罪を犯した者だけが、その技術の発展に使用されることになっている。最も、表向きは、だが。


 その技術を一定基準修めた者たちは薬師と呼ばれ、薬師ギルドと呼ばれる機関に属していた。薬師ギルドは強大な権力を持ち、長きにわたり蓄積されたその技術を保護し、今なお発展させている。更にその仕事柄魔物への知識も厚いため冒険者は迷宮探索に赴く前には、薬師ギルドで魔物の解剖学を受講するよう国から定められていた。その解剖学に沿って解体をされていない魔物の素材の売値は捨て値で買い叩かれるからだ。一部行き過ぎた庇護ともいえる特権を振りかざすことも多い薬師ギルドは、その莫大な経済力を持って国と善からぬ関係を構築していると、子供達でも知っていた。


 だが、強靭な生命力を持ち際限なく自己分裂を繰り返す魔力胞を持たない特異な体質の不定形生物スライムの成分を利用した、生命力や傷を立ち所に癒すポーションの作成から、下等悪魔レッサーデーモンの魔力胞から抽出された粘液を特別な手順で加工、安定化させ羊皮紙に染み込ませて作成する、小さな火炎を産み出す巻物スクロール等を迷宮探索の最中にでも産み出すことが出来るその技術は、現在冒険者には欠かせないものとなっている。


 アイビスが下等悪魔レッサーデーモンに投げつけたガラス瓶の中身は勿論、その技術が詰まっていた。それは、迷宮の更に下層に出現する上級悪魔グレーターデーモンの魔力胞から抽出される原液のままのサラサラとした茶色の液体だった。


 現在では一般的に魔力胞の発達に伴い、抽出される液体は粘度が少なくなっているということが分かっている。スムーズにその魔力胞内を蠢く液体の元となる何か――即ち魔力が魔法の質と関係しているのだろうと高名な薬師が発表を行っているが、その情報は迷宮に潜り続ける冒険者の命を救うことはない。彼らが求めているのは何時だってその魔物の殺し方だけだ。


 ぱりん、と音を立てて下等悪魔レッサーデーモンの数歩手前に少し濁った色のガラス瓶は落下して割れた。


 解き放たれた上級悪魔グレーターデーモンの濃密な魔力が玄室内に充満した。明確な序列を持って統治されている下等悪魔レッサーデーモン達には突然遥か上位の存在が現れたと誤認をしても仕方がなかったのだろう。


 その怯え方は彼らが受けているのだろう日常の一端を垣間見ているかのようだった。吸血鬼ヴァンパイアの硬直の視線を受けた冒険者のように身動き一つ取ることが出来ない固体が全体の七割ほど。辛うじて動くことが出来ても、せわしなく辺りを見渡す固体、恐慌をきたし自ら深淵への扉を潜り逃げ出すものが精々だ。


 アイビスは表情一つ変えることなくゆっくりと歩き始めると手始めに一番先頭に呆然と立ち尽くしている下等悪魔レッサーデーモンの首元にそのこぶしを振りぬいた。


 ぐしゃり、という湿った音と共に力を失った山羊頭がかくんと後ろに折れ曲がるとそのまま絶命し床に足から崩れ落ちる。だが、その光景を目にしても未だ他の下等悪魔レッサーデーモン達は玄室に充満するその魔力に怯えながら立ち尽くしていた。文字通り目の前の人間など目に映っていないとばかりに。


 ごきり、とこぶしを鳴らしアイビスはその次の獲物を見定めた。

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