回収依頼4
未だ見えぬ深淵へと続く迷宮とは何なのか。いまだその真相は解明されていない。彼方側の立場で考えた場合は地上への侵攻を目的に作られた、深淵側の橋頭保という物にでもなるのだろうか。はっきりと分かっていることは魔物と呼ばれる、地上に住む全ての生き物を殺戮しようと目論む異形の存在が最上階、即ち地上を求めて彷徨っているということだった。
だが、地上には決して存在することのない未知の物質で構成された魔物の身体やそれに纏わる触媒などは高値で取引されることが多く、その命をチップとして賭ける事で大きな見返りを求める冒険者は迷宮の深層を目指した。一握りの者は名誉や財産を手にし、多くのものはその命を散らしていった。
その迷宮の第一層をアイビスは黒いコートをはためかせながら駆け抜けている。依頼で幾度となく到達すれば達人と呼ばれることになる20層迄行き来をしていたため下層に続く道順は把握していたためだ。
途中、通路からアイビスを伺っていた犬頭の小型亜人種の魔物コボルドは、知能は低いが狡猾な習性を持ち、自分よりも強いと感じる相手には積極的に襲い掛からない行動を取ることが多いため、彼の行く手を遮るものはほぼ皆無だった。
稀にアイビスが通路を曲がった先に逃げ遅れたコボルドがいた場合は、向こうが戦闘態勢を整えるより早く、通り過ぎ様に大きな拳がその犬頭の頭蓋骨を大きく陥没させ、その命を奪った。
無人の荒野を行くが如くアイビスは第一層を何事もなく駆け抜けると第二層へと足を踏み入れた。この第二層からは迷宮には通路だけではなく玄室が稀に配置をされる様になっている。玄室の棺には極稀に遥か下層の魔物の遺体などが安置されていることがあり、一攫千金を狙う新米冒険者がたむろをしていることがある。その為極力玄室を通らない道順を選択し、アイビスは再び駆け始めた。
幸い、選択した道順にある僅かな玄室には他の冒険者の姿を見ることはなかった。この階層でもコボルドが通路や玄室の隅から様子を伺っている様子を見ることも出来たが、ここでもアイビスに襲い掛かるようなことはしなかった。
第三層に辿り着くとアイビスは一度足を止め、軽く両肩や首周りのストレッチを始めた。合わせて総重量30kg程になる鎖帷子と皮鎧、黒いコート、そして短剣二本と片手剣一本を装着して第一層から約30分もの間ほぼ休みなく駆け抜けてきたのだ。尋常な持久力ではないことが伺えたが、流石に多少の疲れもあるのだろう。
シャラシャラと鎖帷子が立てる微かな音が暫く第三層の入り口付近に静かに響いていたが直ぐにその音は止み、再び迷宮の床を蹴りつける音が再開した。
この第三層からは亜人種のコボルドの他に昆虫型の魔物、ボーリングビートルが出現することがある。この体高20cm程もある巨大な黄金虫の様な姿をしている甲虫型の魔物は非常に好戦的で、通路の上下左右の壁からそのずんぐりとした姿からは思いもよらない速度で冒険者に近づき、その鎧ごと強靭な顎で肉体を噛み砕いてしまう。新米冒険者に鎧壊しとも呼ばれ恐れられる所以である。また、非常に硬く丸みを帯びた外骨格は半端な斬撃等に対して耐性があり、片手剣を好んで使用する新米冒険者が有効な攻撃手段を失ってしまうのもその一因となっているのだろう。見栄えのしない不人気武器と言われる打撃武器が有効であるとは皮肉ではある。
そのボーリングビートルがアイビスの駆け抜ける通路先の天井に二匹張り付いているのが見えた。既にその頭はアイビスの方を向いており、強靭な力を持つ顎をカチカチと鳴らしていた。だが、それを視認しながらもアイビスは速度を落とさず通路を進んでゆく。その距離が10メートルを切った頃ボーリングビートルは天井を滑るような速度で近づき、僅かな時間差を付けてそれぞれ飛び掛った。
顔面に飛び込む一匹目のボーリングビートルの頭に向かいアイビスの肩よりやや高めの位置の右上から左下に向かって右の掌が弧を描くように振り下ろされると、ぐしゃりという音とほぼ同時に先頭の一匹目は硬い迷宮の床に叩きつけられ体液を撒き散らし、六本の足を痙攣させた。だが、間もなく二匹目その顎で顔面を噛み砕かんと目の前まで接近していた。
その顎がアイビスを捉えようとした時、右腕を振り抜いた体勢から更に身体を捻り斜め横に一回転すると、遠心力で振り上げた右脚が高角度から振り下ろされ、胸部と衝突した。
ぱぁん、と言う破裂音が迷宮内に響き渡ると同時に足甲の形に歪んだボーリングビートルは左の壁に叩きつけられ砕け散った。アイビスは器用にその場で独楽のように回転をして進むべき通路側に向かって対面するように着地をすると、何事もなかったかのように疾走を再開した。
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