閑話 挟みパン

 空腹は、寒さに拍車をかけてしまう。

 メルタが駅で買っておいてくれた、顔を隠せそうなほど大きい豪快なサンドイッチでお腹を満たすことにした。固い皮ごと半月形の、高密度でたぶん茶色のパン(青紫のランプ光の下なので推定)に、具材は酸味がほどよい菜の塩漬けと、細かく薄片に削ったハードチーズ少々のみと素朴ながら十分食べられる。パンからはみ出さんばかりの馬蹄の焼印があることを不思議がると、メルタが小さくごくんとしたあと教えてくれた。かつて馬丁が冬季にこのサンドイッチが冷えるのを防ぐため腹あてにしていたところ、うっかり馬に腹を蹴られたがちょうどクッションになって助かった、という創作紛いの逸話が残っているそうだ。

「災難から身を守り、幸運に恵まれる挟みパン」とメルタは結ぶ。「あそこの名物というか、これしか売ってないんだよね」

 そういう縁起物商売は嫌いではないが、これは本当に縁起がいいのだろうか。蹴られてしまっている時点で不運だし、せっかくダメージの一部を受け持ってくれた身代わりをこうして食べてお腹の中に入れてしまうというのも何だか釈然としない。そういう怪しい所も含めて、全体に微笑ましくはあるのだが……。

 背嚢にくくってある、ヘチマに似た水筒瓜から温泉水を飲む。体質によって飲める量が異なるらしいガントロウの温泉水だが、ユウイは昔からいくら飲んでも平気で、メルタは一日にカップ一杯ほどが限度と聞いた。家での飲用水は別の河川のものを使っているそうだ。それを出発前に知っていれば温泉水を電解してアルカリ性に整えることもできただろうが、残念ながらそれに必要な隔壁水槽も時間も無かった。そもそも酸性だけが問題ではない可能性も高く、どうしようもないと言えばそれまでだが。しかしメルタの水筒瓜は小さくて頼りなく、見るほどについそんなことを思ってしまった。このパンは喉が乾くのだ。

 ――と、いけない。食事など物品に触れるだけで時間と思考がそちらに割かれてしまう。もっと重要事が山積しているというのに、

『ねぇんメルたん……』とあかりが甘く作った声を出す。一瞬メルタかと思い動揺した。『私にも一口ちょうだい』

「出たな魔神一口ちょうだい」その恐ろしさを知る私が言う。

「ん……」咀嚼中のメルタが、両手でパンを左肩に運び、どうぞと頷く。

『やったっ』あかりが笑顔で両のこぶしを胸元で振る。チアの素振りだ。『あーん』

 心なしか、身体が大きくなりながらかぶりつこうとするあかり。精霊は現世の物を食べられるのか、という実験が始まる。

『んむっ』とあかりは声優なので噛みつく音も言う。目を閉じもぐもぐ。『うん、うん! おいひー』

「へぇ、そっか……」私は驚く。

 パンは全く減っておらず、しかしあかりは演技ではなく本当に咀嚼しているようだ。もし演技だったら落語家級だ。

「どう?」嬉しそうなメルタはあかりに釘付けで、パンに気づいていない。

『んっ……』と飲み込んであかりは頷く。『おいしいね。なんか田舎の味!』

 食レポは下の下だが、味は知覚しているらしい。

「お腹に入った感じ、する?」と私は確かめる。

『え? なにそれ……』怪しい顔をするあかり。『わかんないよ』

「いや、あかり食べてもパンが減ってないから聞いてるの」

『はん? やぁそんなバカな……うそお!』

「あれ?」メルタもやっと気づいた。

『なにこれ、魔法? 無限じゃん!』

「その箇所、一口もらっていい?」私は有無を言わさず少し身を乗り出す。

『えっ……』あかりが困り顔で両頬に手をやる。

 メルタが驚く視線の先で、一口。

『えええなになに精霊相手でもメルタとの往復間接キスだけは阻止みたいな? なの? ねえ!』

「だまれ」私は口許を隠しながら言う。「味が抜けたか確かめたかったの。自分で」

 正直あかりの言う通りではあったが、確かめたかったのも嘘ではない。

『あそなの』あかりは肩を落とす。『どうですか、私たちの食べかけの味は』

「変わらず」私は言う。「でもメルタのだから、ちょっと美味しい……かな」

 メルタがゆっくり顔を背ける。

『くそー……早くカガミ手に入れてぇな』あかりが恨めしく言った。

「やめて!」私は叫びパンで顔を隠した。
















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声優異界大戦 伊奈利 @inaricosmi

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