覚声

 人型の闇は、傍らにあった魔獣の片側、足首を掴んで持ち上げた。

 するとその半身は、びくり、と波打ち不快な音とともに変形していく。

「あんな嫌な武器で殺されたら、天国行きも断られるぞ……」ベダンがメルタの腕を引き下がる。

 大剣とも戦斧ともつかない、肉塊と骨の凶器。存在そのものが生命への反逆だ。

「ユウイ走れるか?」ベダンが聞く。「メルタを連れて本部へ行け。中央の最精鋭じゃなきゃ無理だ」

 そして手渡されたのは警笛だった。「これを見せろ。ちったあ早く来てくれるだろう、何人かオレに金貸したままの奴もいるしな」

「隊長……!」メルタが声を震わせる。

「そういう生き方してきちまったからな。せいぜいそういう死に方するさ……」

 私は、笑顔で言った。「拒否します」

「あぁっ?!」

「私が対処します。できます。それに隊長」

「なっ……あんだよ!」

「借りたお金は生きて返すべきです」

「え……ヤダ」ベダンは唇を尖らせた。

「このダメおじさん!」

 呆気にとられるベダンとメルタを置いて、私は前へ出た。

 敵が立ちあがる頃からずっと、エミスの声が聞こえていた。

『身体を超えた技に頼るな』

『それは君じゃない』

『初めての剣なんだ。一歩ずつ楽しめ』

『もうわかっているだろ』

「そうだ……」

『大丈夫だ』

「“私”がすべてだ」

『君が世界の味方なら』

「すべてが使える」

『世界は君を味方する』

「いくぞ……!」

 闇が迫り、

 音を破る一撃。

 向かう。避けない。

 まっすぐ!

「ソォォォオオド! スラァァアッッッシュ!!!!」

 衝突ーー衝撃波の暴走。

 窓を、屋根を、圧し吹き飛ばす。

 そうした無機物の鳥の大群が、全周勢いのままに遠くへ逃げ、落ちる。

 残響の中、武器を持つ二人だけが立っていた。

 闇は今にも倒れそうに輪郭を崩し、凶器はさらに不気味にねじくれていた。

「ソードスラッシュ……?」ベダンはメルタをかばって膝をつき、愕然としていた。「ガキの遊びじゃねえぞ!? こんな……ありえねえ威力っ!」

 剣における最初級の技。それこそ子供が拾った枝で試すような、あまりにも低威力……というよりも、威力というものは“無い”技だった。

 歩くことを歩行と呼び、食べることを食事と言っているだけのような、ただ剣を振ればそれがソードスラッシュとなるという、それだけ。

 なのに言葉として存在しているのは、神代の頃の神話や英雄譚を子供向けの人形劇にした時に生まれ、連綿と親しまれていた為だった。しかし本業の剣士は当然、大人になれば誰でもそのまま一生口にすることなく生涯を終える。

 ユウイはそれを真剣この上なく、今この世界における最高の声で解き放ったのだ。

 その瞬間、すべての剣士の精霊が歓喜した。肉体であれば遥か昔に過ぎ去った高鳴りが、精霊ならば凝り固まった羞恥心と時間の呪縛を超越し、むしろ当時よりも鮮烈に、激烈に昂るのだ。

 精霊たちの興奮が世界の理を超え、瞬間的にだが、ユウイの剣が神の次元に至ることを許した。ちょうど人形の神々が、子供の瞳の中で確かに撃ち放ったその光のように。


「私は声優……。目にした力の躍動に、触れた世界の輝きに、魂を吹き込むのが私だっ!」


『そいつを待ってた!!』

 爆発的高潮ーー決戦が始まる。

 辺りに吹く風が燐光を帯びて逆巻く。

「精霊の力がこんなに……」メルタは胸元に手をやり呟く。「すごい……まるで夢の中」

 悪夢のような敵でさえ、今この世界では道化に見えた。

 蒸気に混じる光の粒子、剣閃、さながら銀河の中心で舞うように、ユウイは闇と剣を交えた。

 身体に負荷はない。ただ、不思議と躍動する。

 もう、いくら受けても剣は負けない。欠けたりしない。

 この剣こそ世界! 世界が変わり向かう先へ、

 私はこの声を飛ばす!

 この声で切り拓く!

「ソードスラァッシュ!!」

 凶刃を砕いて押し弾く。

「いいぞ……いけるぞ」ベダンは目を潤ませ叫ぶ。「いけえ!」

「ソード! スラッシュゥゥッ!!」

 手応え! 闇を武器もろとも吹っ飛ばし、塀を突き抜けて岩の大輪が咲いた。

 砕けた骨の柄が、石畳に落ちて溶け朽ちた。

 静寂。

「か……勝ちやがった」ベダンは頬を涙に光らせていた。「バカだぜ! バカ最高だぜおい! うおぉおおおおおっ!!」

 魂に火がついたかのように叫び、黙り、やがて肩を震わせて笑っていた。

 そこで視界が溶けて、揺らぐ。私はその場にしゃがみこみ、それでも足りずに腰を下ろして座った。石畳の冷たさが今は過熱した手のひらにありがたい。覚束ない意識を手放さない為にも。

「ユウイ……もう!」

 メルタが立ち上がろうとした姿勢でつと、止まる。

「この音ーーっ!」

 気づいてその方向へ顔を振ったのは二人同時。

「くそったれ!」ベダンが、メルタの視界に飛び込み立つ。

 闇は夜獣の半身の下、影に混じって潜んでいた。そこから伸びた手には新たな凶器が未完成のまま、瞬時に闇の全身が現れ一直線に二人の方へ、

 止める。ベダンの構えはその意志の具現。

 声も届かぬ一瞬、

 ベダンの剣が凶器を受け止め、身体ごと消失。

 飛んだーーとわかる頃には彼は、民家二階の窓枠を拡張してその向こうへと消えていた。

 盾を失ったメルタが闇の正面に曝された。

 速く! ーー駆け出す脚が呪わしく重い。「くぅう!」

 人の形をした闇が、両腕を高く持ち上げる。掲げられる凶器が粘性の高い不快音をたてて蠢く。

 距離がーー間に合わない。それでも、

「させるかっ!」

 届く。まだ!

 ここで燃え尽き、果てるリスクを負いさえすれば。

「ソードフラァァァッッシュ!!!」

 突き出した剣先から光線が白く、視界を裂いて世界を明転させる。

 

 闇の背後に、両の前腕ごと凶器が落ちて突き刺さっていた。

 腕の断面はまだ白く光を帯び、闇は交互にそれを見ていた。

「ユウイ!」

 メルタの声が近く、彼女の体温が直接に、伝わってきた。

 そこまで涙声だとNGになる……と、反射で不要な心配がよぎる。

 そう、最初の台詞のような状況だーーほんの先刻のことが懐かしくすらある。

 状況を見る。

 相手は腕を繋げようとし、まだ光に阻まれてはいるが、じきに修復してしまうだろう。

 まさしく底なしの闇だ。

 そして一方の私は……、

「ダメだった」 

 やりきった。ここですべてを尽くすための命だと、自分の使命に目覚めたように本当に、本当に全力で走ってきた。

 現実世界では何でもやればできていた私は、この世界で初めて、今、挫折の味を知った。

 世界を救うと握ったこの手は、

 もう剣も持ち上げられない。

 終わってしまった。終わらせてしまった。私が!

「悔しいよ……」私は、いっそNGになれとぐちゃぐちゃに言い募る。「ごめんっ! こんなに借りて、力……勝てなかったよ私、悔しい……なんで……」

 悪いのは判断。殺したいほど憎い私。

 これが最善? 最低最悪の道じゃないか!

 台本通りの運命を歩めば、少なくともユウイは生き残った。そしていずれは、より多くの命を救うチャンスが何度も巡ってきていたのだ。

 その道を選ばなかった自分。選べなかった弱い自分。

 目の前で皆を失う事を恐れて、逃げるだけのくせに格好つけて勝算も不確かに走りだして……。

 それでも今でも選べない。彼女を目の前で失うなんて……そんな道は、ない。

 たとえ何度問われても、そんな道だけは選べない。

 きっと何度死んでも治らないバカだ、私は……

「すごいねユウイ」

 目の前、メルタは呆れ顔で微笑んでいた。

「今あなたの事を責められるのは、世界であなただけだよ。そんなすごい権利は誰にもない。でも、私にも責めさせて」と彼女は息を吸って、

「偉いんだから泣くなっ! こんなに頑張って、闘って、強い人が! そんな人が自分を誇らなかったら、私たちはなんなの! どうすればいいの!? 嫌でしょ……? 世界一格好いい人がそんな泣き顔じゃ……」

 闇を封じている断面の光はじわじわと弱まり、端から接合が始まっていた。 

 しかしその再生より早く、強く、ユウイの瞳に意志の光が再び生まれて燃える。

 埃にまみれた頬に涙の跡を残して、表情はもう柔らかい微笑みだけ。

「ありがとう……メルタ」ユウイは少女の涙を指で拭った。「そうだね」

 少女の中で感情が飽和する。ひきつる喉から言葉もなく、ただ泣いた。

 その時、

 無慈悲な運命の風が二人を捕らえ、悲劇へと向かって世界を押し流し始めた。


メルタ「まったくもう……わたしの知ってるユウイは、そういう事しないんだよ」

ユウイ「ごめん……って、イヤそう言われても、俺はこういうもんだから」

メルタ「ユウイ、聞いて。もう時間がないから言わなくちゃ……わたしはね、ユウイ……」

ユウイ「な、なんですか」

 言おうとして、しかし言えないメルタ。息を吐いて仕切り直す。

メルタ「あなただけは死なせないから」

ユウイ「っ……。そりゃあ、俺だってこんな借りた他人の身体を巻き込んで死にたくはないよ。ていうか、なんだろうと普通に死にたくはないけど?」

メルタ「ユウイ、いつか……いつか思いだしてね。わたしのこと」

 胸元の魔法石の青い光に照らされ、メルタは微笑む。

 解放された魔法石は莫大な魔力を供給するが、使用者の許容量を無視して暴走するため、より大きく高純度のものほど使い手を選ぶ。メルタの家に代々伝わる石は、本来なら国庫に納まる最高水準のもの。放出される力は少女の身体も精神も、霊魂をも壊し尽くしてなお余りある。

 石を中心に光の螺旋が球体に膨れ上がり、ユウイの身体を転移させるべく包み込んでいく。

 魔法の発動へ向けて高まっていく渦巻く発光の中、

 二人が最後に交わす視線。

メルタ「じゃあね」

 ーーと放つはずの唇は、指先が触れて塞がれた。

 驚いて目を見開くメルタに、

「ごめんね」私はまっすぐに伝える。台本には無い言葉を。「ユウイの身体は返せない」

 と、心からの謝罪を口にした一瞬、その情動に重なる波長を感じた。自分と同じ、けれど異なる想いの共鳴。二人でひとつの台詞を言ったかのような……。

 ーーユウイ? 身体の持ち主の感情が、ようやく帰ってきたのだろうか。

 光の渦さえ止まったような一瞬間のフレームで、万感の想いが去来する熱を感じた。

 次に私が放つべき言葉。メルタに届く、最後のユウイの肉声となる言葉の前に立ち塞がっていた罪悪感は霧消した。借り物の身体を無許可で終わらせてしまうところだったが、その許可が持ち主から下りたのだ。

 彼女を守るためならーー私は、重なるユウイの意志に背中を暖かく押され、放った。

 「転移ジャンプ!」

 ユウイの周囲を巡っていた魔力の光が突如、逆流してメルタの全身を覆い始める。

 同時に私は、魔法石に手をかざし必要量の魔力を受け取った後、直ちに石の暴走を封じた。これには魔法石マニアの魔術師の精霊の力を借りた。

 魔力を放出しきった石は砕けるかただの石になるなどして果てる。魔術師はとにかくこの世の魔法石の輝きをひとつでも守り残したいらしい。

 そうして、その偏愛がメルタを救う最後のチャンスをくれた。

「ユウイ! もうーー」

 メルタを包んだ光の球がひときわ強く輝くと、瞬く間に収縮して点となり、消えた。

 その向こうで闇が、半ば切れたままの腕で武器を引き抜きゆらりと立った。

「さあ……最後の仕事だ」私はユウイの身体に激を飛ばす。

『君ってやつは……』と、エミスの呆れかえった声。『よほど私にしごかれたいんだな』

「そうです」私は頷く。「私は、この後精霊になれますか?」

 その可能性を私は見ていた。文字通りに、死んでも世界とメルタを救う道を。

 私は己の誤った判断を呪う。以後二度と判断をせずに朽ち果て、消えてしまえとさえ思う。しかしこの先、未来に向かう意志だけは捨てない。捨ててはいけない。

 私が見てきた画面越しの世界は、その輝かしい光は、

 どれひとつとして決してそんな後ろ向きな事は教えなかった。

 次こそは、必ず……!

『死よりも苦しいものを知ったとしても、死ぬことを軽んじるべきではない』

 エミスが寄り添うように静かに言った。

『君は十代か』

「はい」身体は十六、中の私は十八だ。

『この十年、私が知る限りで二十代以下の死者が独力で自我のある精霊になった数を言おうか』

「はい」予想はついたが聞く。

『ゼロだ』

 闇がゆっくり向かって来る。折れた腕が少しずつ繋がり、引きずっていた切っ先が浮く。

『聞いた話では、百年ほど前に一名ごく短い間居たらしいが……いずれにせよ君には関係ないさ』

「そうですね。百年ぶりくらいなら……」

『はは、大した自信だ』エミスは勇ましく笑う。『しかしそういう意味で言ったんじゃない。私は、今後も現世で生きていく君には関係ないと言ったんだ』

「……へ?」それは一体……どうやって?

『君の身体を私に貸せ』エミスは事も無げに言う。『そうすれば君は生きて彼女と再会できる』

 あまりに望外だが、「それは……どうしてそこまで」

『二つある。君が世界を救うための、それが最善の道だと私が判断したから』

「……もうひとつは」

『借りた身体は生きて返すべきだ。持ち主にな』エミスの闘気が胸に燃える。『その手本を見せてやろう』


 全精装フルロード エミス・リグステリア!


 全細胞が雷光に鳴く。血液が針になったかのような激痛が意識を満たし霧散しそうになる。

「おっと、眠るなよ」エミスが私の声帯で言った。「手本を見せると言っただろう。ちゃんとしがみついて見ていろ」

 体感覚は残っている。しかし、ゆっくり剣を両手で持ち上げて立つ動作は自分の意志ではない。試しにまばたきをしようとしても動かない。金縛りのもどかしさを覚えるが、手足は動いているのだ。

『剣を持つだけでフラフラですよ』私は思念で話す。

「うん。思ったより貧弱かつ疲労困憊だ」むしろ楽しげな私の声。聴こえ方も、録音したものを聞くようではなく、自分の発話を直接に聞く感じなのがなんとも嫌だ。「しかし良い声とは自分が出すのを聞いても良いな」

 ようやく、といった動きで鞘に切っ先を挿し入れ、落とすようにして納める。

 こんな敵前で鞘に戻すなんて……『居合いですか?』

「似て非なるーー」と私は深く息を吸った。「お喋りは後でな。奴がお待ちかねだ」

 もう、間合いに入っていた。

 腕の接合が完全になり、瞬間、闇は飛び込み横薙ぎを放つ。

 躱すには上か下かーーいや、いずれも身体はその速さではーー!

 手は、なんと剣を握るどころか脱力してただ棒立ちしているだけ!

 ーーなんだ、かっこいいこと言って、単に一緒に心中してくれるだけか……あるいはなんらかの死の苦しみを和らげる効果が……いや、そうか! 私が精霊になる手助けをする手順がこれなのかも知れない。エミスは先ほど『独力で自我のある精霊になった数』と言った。それは穿てば何者かの助力を受けて精霊になった例を除外しての発言だったとも思える。なるほど……なら、やはりありがたい。それに死に向かって身構えて待つ恐怖も、こうして虚を突かれた格好だと呆気なく済みそうだ。昔注射をされる時にーー

 ーーギィィィィンッッッ!!! 

 胴を通りすぎたはずの刃が、血の一滴もなくまだ反対側で微振動していた。

 闇の崩れて止まった姿勢を見ると、斬り抜き勢い余って一回転したのでもなさそうだ。

『止め……た?』

「だから見とけ!」私は一歩進む。「行くぞ!」

 身体はまったく虚脱したまま、ゆらり、と立ったその時、

 目の前、闇の四肢を背景に閃光の糸がいくつか走った。

 その線の両側が僅かに離れ、スリットの向こう側の景色が見えてしかし直ぐに塞がる。

 私の肩がすこし動き、また不協和な衝突音がして闇の武器が跳ね上がる。

 つられて上がる腕に一閃、二の腕のあたりで断面同士が離れて直角に迫る、が塞がった。

「こいつ面倒臭っ」私は悪態をつく。

 一体何が起こっているんだ……!

 闇の身体は切れていくが、私の手は一切剣を振った感覚もなければ動いた様子も一切ない!

 ただ、突然閃光が剣筋のように弧を描き走ると、その通り切断されていく。

 振りかぶった闇の斬り下ろしを二閃で弾き、距離が生まれた。

「見えてるか?」

『切れてますけど……なんで』

「違う」私の不機嫌な声。「私が振っている動きだよ。見えたか」

『いえまったく。速すぎるとかじゃなく、完全に……』そう、動作が“無い”のだ。

「そうか。私は振ってるつもりなんだが。こう、抜いて、斬って……」

 そんな驚異的な現場を、民家の二階の窓枠から血まみれの強面が覗いていた。ベダンだ。

「なんだってんだ今日はよ……死にかけるわヒヨッコが急に神話ぐれぇ強くなるわ、高熱ん時の夢か?」

『異常です』私はもうそれしか言うことがない。

「君もダメか……最近向こうで振ると皆見えないって言うんだ。じゃあ、たぶん時間か空間がおかしくなるんだな」

『見てるこっちがおかしくなるよ……』

「うん。それも皆言う」

 そして一方的な光景が続く。

 かたやそれこそ身の丈ほどある巨大な武器を振り回し、かたやそれをまったく意に介さないとばかりに両腕を垂らし突っ立っているだけ。しかし攻撃を受けているのは前者のみという、見かけと実際とが反転した異様な状況。

「どうやら再生で力を消耗している感じも、コアのようなものもないな」私の焦れた声。「一気にやるか」

 と、唐突に、さらなる神の業が披露される。

 外套を脱ぎ捨てて、迫る真上からの攻撃を弾かずに跳ぶ。

 最小限のひねりで刃とすれ違い様、無数の剣閃が闇を細切れにする。

 そして敵の刃を加速させるように上から弾き、石畳に激突させて衝撃波を巻き起こす。

 小さなクレーターが生まれ、

 轟音が全身を貫き震わせる。

 宙に居ながら私も破片で傷を負うほどの爆砕。闇の断片は放射状に吹き飛んでいき、そこらじゅうの外壁や塀で鈍く跳ね、一部は屋根の向こうへ消えていく。

 平和な町の片隅は、石炭の運搬車が盛大に爆破されたような有り様に変わり果てて静まった。

 着地。

「すこし長く遊びすぎたな」

 と私は、斜めに突き刺さった不気味な武器をぶら下がった腕ごと剣閃の格子でバラバラにし、落下を始める前にすぐ蹴散らした。

『気を付けてください。こういう時は伝統的にまた再生されるものです。私の育った世界では』

「……それは修羅の世界だな。君の心も強くなるわけだ」私は闇の破片を広く眺めて見張っている。「その場で溶けていくだけだな。済んだか」

『だからそういう油断めいたことを口にすると……』

「まあ、再生された場合は魔力を借りて斬るさ。減るものだから返せなくて嫌だったが」

 あまりにも余裕たっぷりな私。堂々たる風格だが、一旦フリに思えてしまうともう安心できない。相手もまた台本を超えた先の読めない異常な存在なのだ。

 そう……本当に、おそろしく強かった。しかもこれで、もし仮に倒せていたとしても、次のリミットが控えているという事実がまた別種の恐怖を背筋に這い上がらせる。

 原作では魔法石を解放したメルタが命と引き換えに巨大夜獣を倒し、町は大穴ひとつで快復に向かうかに見えた。しかしその後、町のほぼ全域にわたって突然多数の魔獣が出現して甚大な被害を及ぼすことになる。

 町を救うという観点であれば、むしろこれからが本番なのだ。

 巨大魔獣が魔獣の大群を招く予兆だとして、両者の関係性はどういったものか。原作ではほとんど語られていない領域だ。メルタに転送されて町外れで気を失っていたユウイは、目覚めてから町の惨状と自分を救った代償を知り、傷心のまま町を後にして以後戻るのは半年後の黒星軍に占領された後で、もう過去の事件どころではない。なので今日起こる町の被害のプロセスは情報として遠ざかり、自らも触れられない傷口で思い出し考察することもない。と、どの形でも描かれることなく行間の陰で膿むままになっている。 

 ただ失ったという象徴。それが今日起こるはずだった悲劇の作品上の役割だろう。子細な輪郭よりも、重苦しい曖昧さを濃く残している。

 それこそ大穴の底で淀む闇のように……。

『ーーそうか』

「む、なんだ」私は突然顎を上げ、遠くの気配を探るように焦点をぼかした。「相当な力だな」

『なんですか』

「君なら……いや、今の状態では感じないか。では身体を返そうーー」と私は視界に、溶け残った闇がくすんだ色を帯びて膨れ上がるのを認めた。「なるほど。これはまずいな」

 闇は、みるみる狼に似た獣の姿となり、眼を光らせて牙を剥いた。

 歩み寄り剣閃ーーその首が落ちて転がると、身体が弛緩してくたりと倒れた。

『倒せますか? “全部”』

「被害ゼロでか?」

『ええ』

 遠吠え。近くに生まれていた同型の獣が鼻先を立てて吠えている。

 私が蹴り上げた石ころを一閃して弾くと、その音が止んだ。が、すぐに呼応する遠吠えが大小いくつも重なって聞こえてきた。

「無理だな。広すぎる」

 と、胸元で振動ーー警笛だ。

 ベダンが窓から飛び降りて一回転、すぐにこちらへ向かってきた。左腕が折れているようだ。

「肺も脚も無事とは。しぶとい男だ」私は鼻を鳴らして迎える。

「おいおい別のヤツが憑いたのか? 節操ねえな」ベダンは片眉を上げ、しかし瞬時に真顔に戻る。「夜警どもに出番を伝えた。数には数だ」

「遠吠えも手伝って事態は伝わるだろうが、できれば犠牲を出したくない。策はないか?」

「んな時間あるかよ! 今一匹ずつ潰すしかねぇだろ!」ベダンは辺りを見回す。「メルタはどこだ? 無事か?」

「無事どころか、力が余って転移魔法を使ったよ」

 魔力の提供者という意味では嘘ではないが……。

「はぁ?」ベダンが一瞬驚き、すぐに諦めの表情になった。「いや、もういい今日はなんでも有りだ。とっとと俺たちも行くぞ!」

「ん? ああ、組む必要はない。手分けするぞ」私は言うが早いか手を一度振って駆け出した。全身の激痛が増す。

「偉そうに……剣聖にでもなったのか?」ベダンも文句と血混じりの唾を吐きつつ角を曲がった。

『くそっ! 気づくのが遅れた』私も倣って悪態をつく。自責の念を黙って飲み込むよりは一言、吐き出す方が早そうだ。

 あまりにも大きい、再びのミスだった。目の前の敵を倒すことばかりで、その後のことや魔獣の大群との結び付きを考えることが疎かになっていた。

 気づけたんだ、もっと早い段階で!

 原作ではおそらく、大穴で露出した下水か蒸気のパイプを伝って町の全域に魔獣の素となる瘴気が広がったのだろう。原作では瘴気から魔獣が生まれるシーンはなかったとはいえ、目の前で人型となったのだからそれを想像する余地はあった。

 原作の知識は万能ではない。どうやら過信しすぎてしまった。

 その先を、変化を読まなければならない。

 いやもういい反省は後だ! 次だ……何度挫けようと、次こそ!

「神さえも、人がいつかは死ぬという運命を取り除いたりはしない」

 一瞬、水を浴びせられたように冷えて凝った意識は、一転して激情で染まる。

『今そんな、冷たい事を言うんですか? 目の前で罪もない人が死んでしまうかも知れない今!』

 飛びかかってきた獣の首が落ちる。わかっている。私の身体を使って最善を尽くしてくれている力の、その優しさを、それに甘えてしまう自分を。

「人間の集合は、絶えず生まれて殖えてはその一方で一部が死んでいく。精霊でさえそうだ。それが世界の代謝、生きていくって事だ」

『寿命と防げる死は違います』

「違いは小さい。どちらも運命だ。ああすれば死なずにすんだ、なんて悔恨は常だ」

『価値観の差異は大きいようですね』

「この世界では死んだ後がそれなりにあるからな。君の世界ではそれがないのか?」

『知覚できる者はほぼ居ません』

「驚いた。冗談半分だったんだが……それなら価値観も違うはずだ」

『犠牲を最小限にする協力をしてくれているのは感謝します』

「まったく冷たいな、君は」

『逆では?』さすがにカチンときた。

「いや君だ。いいか」と私は反駁する。「敵をこうして広範囲に散らしてしまったのは私だぞ。すこしは責任を負わせろ! 君しかこの世で闘っていないのか? 敵もいいが周りの味方を無視しすぎだ」

『それは、私の読み不足で散らす危険性を』

「知るか! 私は傷つくぞ、そういうの」

 理屈を殴って黙らせるような駄々だ。剣聖、そんなキャラだっけ……。

「とはいえ私は現状を収めることができない」

『なんなんですか……』

「まあ聞け。だがな、生前から剣が届かない時の私というのは、運に恵まれるんだ」

『はぁ?』

 夜警の腕に噛みついていた頭を通り様に斬り離して、を見上げた。

「おお」私の歓声。「今回の運は、ついに女神の姿となったか」

 転移の光球が消えた中心から、まばゆい青い光の奔流が町を染めた。

 粗雑に見せかけた外側の彫金を羽根のように広げ、大部分が隠れていた魔法石が露になっている。

 --宙に静止した、メルタのはだけた胸元で。

『っーー!』

 信じられない! まず気絶からの回復が早すぎる。石の解放が全開すぎる。

 そして何よりーー、

 

『ホーリー・レイン!』


 彼女の声が響き渡ると、胸元から頭部を覆って揺らめく白い聖炎から、無数の線が噴水の爆発のごとく放たれていく。

 両の腕を広げたメルタ。まさしく女神の威光を放つ姿に、寄り添い浮かぶひとつの霊像。

 純白の矢は獣たちに狙い違わず降り注ぎ、白く燃え上がって跡形もなく溶け去る。

 そんな凄まじい、神罰のごとき極大魔法を詠唱したのは、

『ごめんね、ちょっと遅かったかな? 声ちゃん』

 メルタの隣で微笑む声優、七夕たなばたあかりなのだった。

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