第8話 地獄より

咄嗟に僕たち三人は階段を降りる決断をした。


 幸運なことに俺たちの体はまだ動くらしい。神が生きろと言っているのか、はたまた実はケガはそうでもなくてただ経験したことのない痛みなので強く感じているだけだったのか。


 どうでもいいが今は動けたことを嬉しく思おう。必死に一段飛ばしで降りていく。


 もちろん、後ろの高校生も憤怒の表情を見せながら追いかけてくる。向こうは僕たちよりもダメージが大きいのか年齢相応のスピードを出せていない。僕たちとほぼ同じ速さだ。


 よし、距離は縮まらない。このまま行ける。


 先にエレベーター着いたのは僕たち三人だった。雄二君が握りこぶしを作り、まるで大工が釘を打つ時のようにエレベーターのボタンを押した。


 「ギギギ」という不穏な音と共に戸が開いた。駆け込む。同時に高校生がこの階に降り立ったようだ。いそがないと。


「や、やった!」


 中に入って『↑』『↓』の二つのボタンのうち、『↓』のボタンを押す。


 ボタンが光った。「押されましたよ」という合図なのだろう。開く時と同様、「ギギギ」という音が鳴って


 鳴って


「どういうことだよ! なんで閉まらない!」


 已然、音は鳴り続けている。それでも閉まらない。何故だろう。何かが開閉の邪魔になっているのかもしれない。


「くそっ! 早く! 早く閉まれよ!」


 雄二君が取り乱している。不味い。もう高校生アイツがすぐそこまで来て——


「ぎゃはははは! ざぁんねんだったなァ! クソガキ共! てめえら全員ぶっ殺してやる——と言いたいところだがな。さすがにこの年で犯罪を犯すわけにはいかねぇし、そもそも全員の相手を出来るほど時間もねぇ。だからよぉ」


 咄嗟に皆の前に立った。手を広げて通させないよう、努力してみる。


 だがそれは無言の内に払われた相手の右腕によって意味を無くす。こんなことしてる場合じゃないのにまるで芸術家の作品のようにエレベーター内の壁にもたれかかって倒れてしまう。


 もう、立てなかった。痛い、という次元を超えていた。動こうとするとピーラーで自分の皮を剥かれるような、そんな強い衝撃が全身を襲った。


 来ないと思っていた、もうとっくに過ぎ去ったと思っていた限界がきまぐれで戻ってきたようだ。この状況を打破することが出来る確率は、0(ゼロ)。小数点の後をずっとたどっていっても無限に0が並んでいる。


 もう、目を開けているのも難しかった。ひどく眠い。でも、ここで目を瞑ってしまったら絶対にダメなのだ。口ならまだ動くかもしれない。目で見て、口で最高の情報を伝えることが出来ればまだ希望ゆうじの役に立てるかもしれない。


「創! しっかりしろ!」

「んだよ、所詮はおんぼろのガキか。こんくらいでへばるなら先に言っておいてくれよぉ~」

「雄二君、、僕は大丈夫……美空ちゃんを守って……」

「創君!」


 ニヤニヤしながら美空ちゃんに更に近づいてくる高校生。


「くそっ! このロリコンが! 今そんな状況じゃないだろ! 次地震が来たらお前も死ぬかもしれないんだぞ!」

「そん時はそん時だ。それによ。どっちにしろ寝転がっている仲間達アイツらをここまで運ばなきゃいけないんだ。人手が多い方が便利だろ? 安心しろ。このガキを徹底的に屈服させた後にアイツら全員ここまで運んできた後は自由にしてやる」

「だからそんな暇は——」

「あーあーごちゃごちゃうるせえなぁ!? 俺としてもこんなところで時間使ってる場合じゃねえんだよ! おらクソガキ、さっさとこっちに来い!」


 高校生が美空ちゃんに腕を伸ばす。だが、その手を雄二君は片手で掴んで阻止しようとする。そして注意が腕にいってる間に片足で金的を放った。


 しかし——それも高校生がとっさに足の方向を変えたことによって失敗に終わる。だが、その体制では確かな隙が出来ている。


「ゆ————」


 「雄二君、みぞおちにパンチを」と、叫びたかった。だけど動くと思っていた口も動かなかった。いや、正しくは「口だけ動いていたが声が出なかった」。ひどい風邪の時に声がかすれて出ないような、そんな感じ。呼吸は出入りするものの、そこに声は伴わない。

 口は正常に動かなかったが目は働くようだ。雄二君が後ろに押し出されて転倒するのがはっきりと見えた。


「く、そ」

「いちいち邪魔すんじゃねぇよ。ああ、そうか。お前らガキだからさっき俺が言ったこと理解できてないんだな。じゃあいいよ。これだけ聞いておけ。『そこで寝てろ』」


 そう吐き捨てると高校生は怯える美空ちゃんの髪を掴んだ。長い髪なので捕まえやすかったのだろう。それに髪を引っ張られては抵抗することがとても難しくなる。メリットだけ見ればとても魅力的だが道徳的に見れば最低の行為だ。殺すつもりはないと言いながらここまで危険な行為をするとは。やっぱりだ。雄二君の言う通り、『死なないとわからない』のだろう。直接的に言うならば『死ぬべき』人間だあの人クズは


 だが、屑さで言えば自分も同等。何もできない。時間も一秒たりとも稼げなかった。ただの無能。凡人以下。


「痛い! やめて!」

「ていこーするから痛いんだよ。それに俺はお前にもっともっと痛がってもらわないと気が済まないからな。これで終わると思うなよ」

「わかった! 何もしないから離して!」


 涙を含みながらそう叫ぶ美空ちゃん。それを聴いた高校生は以外にも素直に手を離した。そして鼻を鳴らすと「ついてこい」と短く言って歩き始める。


 美空ちゃんは動けない僕と雄二君を見て「ごめんなさい……」と言うと不安定な足取りで高校生の後を追おうと——


「させるものかぁぁぁぁ!!」


 美空ちゃんの後ろから雄二君が抱き着いて後ろに引っ張った。声に驚いて此方を見た高校生はため息をつく。


「まだやってんのかクソが」


 もうひっぺはがすのもめんどくさいといった感じで美空ちゃんの腕を掴んで雄二君ごと連れだそうとする。だが雄二君も簡単には負けない。全体重を後ろに預け、なんとか美空ちゃんを連れだされまいと努力する。


 だが、やはり力の差はあるようで少しずつ向こうに持っていかれる美空ちゃん。雄二君の腕はどんどん下がっていく。 


 高校生の揺さぶりを受けて体制が崩れてしまった。手が離れる。そのまま持っていかれるかと思ったが、雄二君はその執念で美空ちゃんの足を掴む。そして僕は——


 いつまで寝てるんだ! こんなに友達が頑張ってくれてるのに何「限界だ」とか言って動こうとしないんだ! 屑であることを認めるんじゃない! 動け! 少しでもいいから引っ張るんだ!


「あああああああああ!!」


 かすれた声だった。でも構わない!


 体を前に倒してもう片方の美空ちゃんの足を掴む。力は入ってないが体重が増えたので相手は引っ張りにくくなったはずだ。


 早く扉閉まれよ! 何「あと少し」みたいな感じで音を大きくさせてるんだ。まだ全員中にいる。今閉まれば美空ちゃんも下へ行ける!


「な、め、る、なぁぁぁぁ!!」


 高校生が力を一気に込めて引っ張り上げた。しまった。持っていかれる——


 高校生が完全に外に出た。美空ちゃんの体も半分向こう側だ。もうだめなのか———?


 その時、先ほどではないが揺れが襲った。


「!!!」


 その拍子で立っていた高校生は手を離してしまう。低い体勢だった僕たちはエレベーター内が揺れが少なかったこともあり、そのまま美空ちゃんを引っ張ることに成功し——


 ガコン!


 ? 

 何の音だ? まぁ、いい。ほら、もう美空茶ちゃんは全部こっちに——





 最初は「グキッ」という鈍い音がした。次に何かが粉々に砕け散るような音が連続して聞こえた。


 あとそれと同時に——


「いやああああああああああああああああ!!!!!! 痛い痛い痛い痛い痛い——————!!!!!!」


 全ての音を塗りつぶすような甲高い声が聞こえた。脳が揺れているような感覚に襲われる。


「ドアが——! くそっ! さっきの揺れで邪魔してたのが取れたっていうのか!? おい! なんでセンサーが反応しないんだ! ひ、非常用ボタンを——」


「ば、馬鹿野郎! 俺はも、もう知らねえからな!」


 状況を確認する。

 ……ええと、何だよコレ。美空ちゃんの頭と片腕が挟まれてる? なんで? 扉は閉まらないはずじゃ——

 いや、そもそもそこに人がいたらこういうドアって閉まらないようになってるんじゃないの?


 足を引っ張ってみる。だめだ。びくともしない。


 え、これはどういう——


「なんで! 非常用のドア開閉のボタンを押したのに! 何故開かないんだよこのポンコツ!」


 雄二君が必死に右側のドアのふちを手で引き、向こう側のふちを右足で押すことでドアを開けようとする。でも、やっぱりビクともしない。


「痛いよぉ。助けてよぉ! 創君! 雄二君!」


 匍匐ほふく前進でドアへ進む。痛みはもう、感じなくなってきた。ただ意識を保つのが難しくなっていくだけ。そしてドアへたどり着くと、両手で外側へ力を加える。


「開けええええええええ!!!」

「開けよぉぉぉぉぉぉ!!!」


 何秒間そうやっていただろうか。すごく短かった気もするし、長かった気もする。


 どうしようもないこと、この場合は———————「  」





 それはまるで雷が落ちるかのように唐突にやってきた


 システムが正・常・に作動した。


 エレベーター内が揺れる。そして、下降を始めた。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 ここで僕の記憶は途絶える。最後に彼女の生暖かい液体と色々なものが断ち切られる音を感じて。




  ×         ×                 ×



「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで


「え、もしかして降りて——」


 ゴキゴキッグチャバキバキ


 エレベーターが異物を撤去し、下降を再開するのに20秒もかからなかった。だが、その間俺・は——


「あああぁ、ああああああああああ。

美空ぁ。なぁ美空! ほら早くこっち来いよ。そのままじゃ痛いだろ。ほら、早く。

こんなにも、血が、出てる、ぞ」


 やがて、ボトン、と上からよく知る肉塊が落ちてくる。


 しかもしっかり服まで俺たちのよく知ってるのがついてるよ。


 何かたりないな? ええと、左うでと、両足は異常なしと。


 んん? 腕と顔はどこに行ったのかな? あれれ? ああ、そうか


 壊れちゃったんだ


 肉塊を抱きかかえる。左腕の感覚はなくなっていた。


「はははは、そうか。そういうことか! ああ! 引っ張らなきゃよかったな! 俺もコイツ(はじめ)みたいに倒れていればよかったんだ! すこーし美空にはつらい思いさせてしまうけど俺たちもつらいからおあいこだな! ああ、なんで気づかなかったんだ? な、美空。次は上手くやるよ。お前も一緒になにが悪かったか考えようぜ」


「ほら、創も! こんなとこで寝るなよ! もう少しで快適に寝れる場所に着くんだからがまんしろよー」


「二人ともおーきーろーよー」


「……なぁ、おい」



「……ごめん、なさい」



 俺の意識はそこで途絶えた。この以降の記憶は何も——

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一ノ瀬若菜の「非」日常 @yoyotti

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