第7話 そして世界は0に近づく

非常用ロボが発動し、避難経路を指示している。大人達は一部のこの状況を楽しんでいる人間を含めないとすると、全員がスムーズ、とまではいわないもののそれなりに順調に避難をしていた。


 しかし誰一人として小学生三人組を助けようとする大人は現れない。皆が出来ているのはあくまでも自分のことだけであり、他人のことを気にする余裕などないらしい。


 あるいは、気になりはするが行動に移さない。こんな状況にも関らずスマホでそんな子供の写真を撮って


 『かわいそーう!』


 とSNSに上げている者もいる。


 怖い、恐ろしいと思っていても心の底にあるのは「きっと大丈夫」という気持ちだ。確かにここ数十年で科学は一気に進歩した。地震による火災などの二次災害など絶対に起こらなくなったし、現にこの大きさの地震でもこのデパートには壁や天井にヒビ一つ入っていない。


 ————正直この場でじっとするのも自己防衛の正しい判断の一つである。しかしその安全は絶対ではない。


 ふりかかる『かもしれない』危険から身を守るために、こうやって皆はより安全な地下シェルターに避難しているのだ。


 そこならばここのデパートの規模ならば機械の出した理論上5万人が3年間生活できるだけの環境が整っている。精神的にも身体的にも最大限の注意が払われている。


 地下への道は複数ある。その複数の道をロボットが案内してくれるのだが、多くの人間がそれに従わなかった。


 焦る気持ちと大丈夫だという気持ち。この二つの対する感情が中途半端に混ざり合った結果、人間は最も愚かな行為に出る。


 創、雄二、美空が使っていた避難経路に多くの人間が速いスピードで押し寄せてきた。最初は三人の他に誰も使っていない道だった。しかし、気のおかしくなった連中は元の、これまた混雑した道から離れ、あろうことか小学生の使っている道を我先にと進んでいった。


 一人増えれば二人増える。それからは説明するまでもなく絶え間なくヒトは増え続ける。雄二達の使っていた道はあっという間に人が入り乱れる空間となった。


「皆サン、コチラノ道は混ンデイマス。別ノ道ヲオ使イクダサイ」


 そんなロボットの声も意味をなさない。誰も聞こえていないのだ。唯一聞こえた雄二達が渋々違う道を使いだすが、それを見た大人達がまたもや押し寄せてくる。


「くそっ! こいつら全員馬鹿なのか?」

「うっ! く、苦しいよぉ」

「雄二君また他の道を使う?」


 人ごみの中、何とか互いに身を寄せ合って意思疎通を図る三人。その三人の中でも全体の判断を決定する役割を持った椎名雄二は現在の状況を頭の中で整理すると、一つの新たな判断を下す。


「いったんここから離れよう」

「また違うところにいくの?」

「いいや、違う。そろそろさっきより大きな揺れが来る頃だと思う。いつ来るのかは地震によって違うのだけど、どっちにしてもここは危ない。別に地下シェルターに行かないと絶対に死ぬわけじゃないからここでゆっくりしてるよりもこの近くで安全な場所を探した方がいいと思う」


 それを聞いた二人は頷くと、なんとか大人達の圧力から逃れることに成功する。今度は目に見えて地下への道とは逆方向だからだろう。だれも後から追ってくることはなかった。


 ここからはいわゆる避難経路というヤツではなくいつも自分たちが歩いているような場所になる。


 今から商品の乗っている棚などの配置を変えるとしたら遅すぎる。その間に本震がきたりでもしたら全部体の上に乗っかってあっさり天国行きへの片道切符だ。


 ある程度スペースがあって、掴まる物もある場所を見つける。そこで少し待つことにした。


「5分だ。5分待ってまだ揺れが来なかったら向こう側の避難経路を使おう」

「雄二君。あっちの方とかまだ人がいるよ」


 創がその方向に指をさす。未だ避難経路へと行けてない人間はちらほらみられるが、その人間達は特別だった。


 高校生だろうか。皆同じ制服を着ている7人の男女だった。


 ここから見て分かる。アイツらは『馬鹿』な部類だ。スマホを使って商品が散らばっている床を撮影したり、何が楽しいのかキラキラした物を見つけたカラスのように騒いでいる。


「あんなのは見るもんじゃねぇよ。どんなに設備が良くたってああいう馬鹿は死ぬもんだ」

「それじゃ見捨てるの?」

「ああ、当然だ。それに救うのは俺たちがやるべきことじゃない。どうせすぐにロボットが見つけて注意しにくるだろ」

「でも……多分あの人たちはそれでも動かないと思う」

「自業自得だ。どうでもいい。いっそのこと死ぬ寸前まで行かないとああいうのはわからない」

「……いやだよ。わたしは」 


 今までずっと大人しくしていた美空が何かを覚悟したみたいに声を振り絞る。


「助けれるかもしれないのに、何もしなかったらひどいことになるかもしれないのに何もしないっていうのは私はいや」


 美空は俺と創の手を強く握って続ける。


「助けたい」


 もはや何かを追加で言う気も失せた。本当のところはこの言葉に心を動かされたのだが、それを認めてしまうとイラっとくるので、美空を説得するのがめんどくさいから助けるという理由をでっちあげた。


 創はというと終始俺の方を見てニヤニヤしているだけだった。何も言わず、何も聞かず。「雄二君の思ってることは分かってますよ」とでも言いたげな感じだった。


 なんだよ、一本取られたみたいで癪だな。


 時計を見る。もうすぐ五分経つ。正確には後一分。


「あと一分だね」


 美空が嬉しそうに言う。高校生は相変わらずはしゃいでいる。


 ええい、じれったい! 俺は立ち上がった。


「行くぞ」


 ああ、だめだ。心が浮かれている。これじゃあいつらと同じ馬鹿だ。気を引き締めないと。


「うん!」

「美空ちゃん気を引き締めて」

「「あ、はい (お、おう)」」

「え? 雄二君も? なんで?」


 俺も今この瞬間馬鹿だったからだよ。




「お兄さん、お姉さん! 大変だよ! 速く逃げないと!」


 精一杯高い声を出して言う。両手を使って大降りにジェスチャーもつけて。


 出来るだけ子供っぽく、「守ってあげたい!」と思わせるような感じで。


 その行動が意外だったのだろう。美空と創は目と口を大きく開けて、まるでこの世の終わりが訪れたかのような表情だ。


 それでも演技を続ける俺。だてに幼稚園の頃に劇で主役を務めていたわけじゃない。さて、効果はあるのか?


 一人の女が俺の前に来たと思うと、しゃがんで俺と目の位置を同じにする。


 手が頭の上に置かれた。どうやら俺の演技の効力はあったみたいだ。


「だいじょーぶだし! ウチら全然イケるから心配すんなし! ほら、先に逃げてな。あとで飴でも持って行ってあげるし。今なら全部取り放題なんだよねー!」


「え?」


 嘘だろ? いや、そんなに満面の笑みを向けられたところでどうしようもないというか。さっきこいつらのことをカラスみたいだと表現したがそれは訂正……カラスは賢いからな。せいぜい雀程度で十分だ。


 さらに何を思ったのか他のメンバーもぞろぞろ近づいて「かわいー!」とか「俺たちは後から追いつくから先に待ってろよ!」とか。まるで緊張感がない。そしてベタベタ触るんじゃねぇ。


「雄二君! 顔! すごい顔してるよ!」


 美空を見る。俺たちの中ではお馬鹿キャラクターの彼女も今回ばかりは心底呆れているというか、悲しんでいるというか


 もしかして怒っている? それもとてつもなく。


「行こ。雄二君。創君。お姉ちゃんたちありがとう。気を付けてね」


 声が冷たい。俺たちは美空によって抵抗する間もなく腕を引かれてその場を離れる。


「美空、もういいから放せって! 今地震来たら受け身とれないだろ」

「そうだよ。さっきみたいに雄二君にリードしてもらわないと! だから少し落ち着いて!」


 必死に訴えると「むぅ」といら立ちのセリフを漏らしながら手を放す。しかし、まだ怒っているようで床に落ちている空の弁当箱を思いっきり蹴り飛ばす。創が必死に背中をさするなどして落ち着かせようと努力する。


「馬鹿ッ! 馬鹿馬鹿馬鹿——ッ!」

「うん。そうだね。そうだと思うよ」


 ったく完全に要らない心配だった。やっぱりああいう馬鹿共は痛い目に合わないと分からないらしい。


 てか死ね。俺たちの時間を取らせた罰として地獄に落ちろ。




 避難経路に入る。俺と創が外側の手すりを掴んで、美空は内側の階段を掴んで階段を降りた。


 人はほとんどいなかった。いた人間も俺たちの間を段を飛ばし飛ばしで降りていくのですぐにいなくなる。あと3階分降りたら地下シェルター行きの緊急用エレベーターがあるはずだ。ひとまずはそこに入れればどんなに強い揺れが来ても大丈夫だ。


 あと少し、あと少しだ。そう、声を出して自分を落ち着かせていた。何重にもその言葉は反射する。


 それがはっきり聞こえるほど辺りは静かだった。



「——ねー! マジあのゴミロボット意味わかんないし」


 今、一番聞きたくない声がわずかに聞こえた。心なしか俺たち三人の足も速くなる。


 が、今度はドタドタと上の階から集団で降りてくる音が聞こえてきた。それも頭の悪い会話付きで。


 強い嫌悪感が襲う。あの高校生たちの会話を聞いているだけで知能指数がみるみる下がりそうだ。


 声の近づく速さから予想するに彼女たちはすぐにでも俺たちの元へ到着するだろう。


「あー! まだこんなところにいるし! 超ウケるんですけどー」 


「あんのクソアマ——」


 この後に俺は皮肉のセリフを付けたそうと思ったのだ。「死ね」か「地獄に落ちろ」かそれか別の言葉だったか。なんでもよかった。とりあえず何か言おうとした、そのことが重要だ。


 何故その皮肉を言えなかったのか。それは勿論




 本震が襲ったからである。




「!!」


「え、なにコレ! ねぇ、な……キャッ!」

「おい、真由美! っ! 動けねぇ!」


 上からあの女性が転がり落ちてきた。あの人だけじゃない。いっしょにいた人間全てが飛び降りるようにして階段を転げ落ちていった。


「創! 美空! しっかり摑まってろよ!」


 体制を低くして手すりにしがみ付く。さすがの俺も今ばっかりは他の二人の心配をすることが出来ず、自分のことで精いっぱいだった。


 ひたすら揺れが収まるのを待つ。待っているうちに以上に気が付く。


 揺れが長すぎる。そして心なしか——いや、確実に揺れが強くなっている。


 頭が揺さぶられてまともな思考が出来ない。少しでも気が緩んだら手が離れてしまう。しかもその望みの手もすでに悲鳴を上げている。


「つかまるんだぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 大声を出して力をより強く込める。俺の声に続いて二人も叫ぶ。何を言っているかは聞き取れなかった。


 叫びの中に異常が発生する。「う”っ!」という苦しむ音だ。

 誰だ? 創か美空か。


 それを確認するのは最低でも揺れが収まったあとだ。今はひたすらに耐える。叫ぶ。


 それからどれくらいの時間が経過したのだろうか。揺れはぱたんと止まった。


  徐々に弱くなっていったわけじゃない。いや、実際はそうだったのかもしれないけど俺はそうは感じなかった。


 揺れが止まる際に一番大きな衝撃が襲った。体の内部で嫌な音がして痛みが走った。


 右腕をやったらしい。痛すぎて動かすどころか垂らしておくだけでもつらい。


 左腕で支えながら状況の確認をする。


 壁にはヒビが入っている。もしかしたら次揺れが来たら崩れるかもしれない。


 いや、そんなことよりもアイツらだ。


「大丈夫か創——!」



×         ×                 ×





 痛い。体中が壊されてるみたい。


 でもそんなことはどうでもよくて、さっき雄二君か美空ちゃんのどっちかに何かあったはずだ。


 僕は二人を見る。


 雄二君は腕を抑えている。とても痛そうだ。そして下の何かを見て驚いているようだった。


 美空ちゃんは泣いている。泣きながら左手を抑えていた。あの様子だと折れているのかもしれない。


 でもよかった。二人ともしっかり摑まっていられたんだ。


 ここでようやく僕の注意は雄二君の見ている——下の方向へと向いた。


「え……」


 視界にノイズのようなものが走った。頭の中に甲高い音が鳴り響いている。体中の血液が沸騰しそうだ。



 そこに広がっていたのは


 血と


 様々な向きで寝転がっている人間。どれも不気味な声をあげている。


 もしかしなくてもあれはほっといたら死ぬ。確信に近いものを感じた。


 だめだ。このまま見てると——


「創! 気ぃ持て!」


 友達の頼もしい声。いつの間にか彼は目の前に来ていた。意識が強制的に戻される。けれどすぐそこまで何かが昇ってきている。とても気持ち悪い。これ以上は我慢できなさそうだ。もう十分我慢したし泣いてもいいころじゃないか? 


 けれど彼の瞳はそれを許さないとでも言っているようで、僕もなんでかそれに逆らえないで、ただ口をぱくぱくするだけだった。


 彼は俺の前から遠ざかると次は美空ちゃんの元へ向かう。僕も必死に後ろについていった。


 ほんの少し美空ちゃんの手を触った後に雄二君は「折れているな」と短く告げた。それを聴いて更に泣き出す美空ちゃん。


 美空ちゃんは泣きながら揺れの途中、上から転がってきた人とぶつかって落ちそうになったと話した。手の痛みはその時に発生し、揺れの終わりに来た強い衝撃で更に強くなったとも言った。


「よく我慢した」


 左手で美空ちゃんの頭をなでる雄二君。僕は何も言わずに背中をさすった。


 しばらくすると、美空ちゃんはまだひくついてはいるが安定してきた。それを機に雄二君は「急ごう」と言ってまた先導を始める。しかし今度は手すりにつかまっていない。そもそも掴まるための自由な腕がない。


 下の階に降りるとピチャピチャと水たまりを踏んでいる時の音がする。自分たちは今血液を踏んで進んでいるのだ。


 さっきから雄二君がずっと何かをぶつぶつと呟いている。何かを考えているのだろうか。


 寝転がって動かない人間を避けて進む。そして次の階段に雄二君が足を踏み入れようとした時


「キャッ!」


 美空ちゃんの悲鳴だ。後ろを振り返る。


「このクソガキッ! てめぇのせいで明日香はっ! ほらみろ! あそこだよあそこの壁のそばでうずくまっている女だよ! わかるか!? お前がさっき明日香を突き落としたんだ! あぁ……血が止まんねぇよぉ。俺もおかしくなっちまいそうだよ。えぇ!? 聞いてんのか!?」


「い、いや……やめて」


 髪を染めた男が美空ちゃんをの首を掴んで持ち上げていた。


 一体あの男は何を言っているんだ? 明日香と呼ばれている人間はまだぴくぴく動いているし、あの状況で美空ちゃんがあの大きさの人間を突き落とすなんてできるわけがないだろうに。


「お前がわざとやっただろ」


 男が美空ちゃんを壁に叩き付けた。


「違う……! 私はただ必死に摑まってた、だけ」

「嘘を……!!」


 これ以上は見ていられなかった。全身が痛くてしょうがないけど動かずにはいられない。いっそのこと壊れてしまえ。美空ちゃんが助かるなら僕はそれで充分だ。


 だが、僕が一歩踏み出すよりも先に後ろにいたはずの雄二君は走り出していた。そして僕が体の痛みに苦しんでいる間に雄二君は高校生のベルトを掴み、引きながら回転することで自分たち同様に弱っていおり、無いに等しいバランス感覚を完全に失なわせる。


 投げ出される美空ちゃんを僕がなんとか受け止める。


「今のうちに行くぞ!」


 全員で駆け出す。もう、体の痛みなど言ってられなかった。


「……逃がすかよ」





×         ×                 ×




「はぁ……はぁ……お、おいお前ら見えたぞ……緊急用エレベーターだ」

「や、やったっ! でもあれ動くかな」


 最後の階段の下にあるのは目標としているエレベーターである。その周りには横になって必死に起き上がろうとしているロボットが1台見えた。


 壁にボタンが見える。あれを押せばエレベーターはやってくるのだろう。しかし、さっき言ったようにさっきの大きな揺れで正常に作動しなくなった可能性がある。通常ならそれはあり得ない。しかしその可能性を考慮するほど、さっきの揺れは大きすぎた。


「きっと大丈夫だよ! 私は動くと思う!」

「……そうだな。美空の言う通りきっと大丈夫だ。それに駄目なら駄目で次の方法を試せばいいしな。例えばあのロボットを使ってな」


 雄二君が含みのある笑みを零した。とても頼もしい笑みでもあった。


 皆がボロボロになっている。限界など過去に置いてきている。今ここで三人が立っていられるのも奇跡の中の奇跡なのである。


 僕たちにはその自覚があった。そして同時にここまで来たのなら最後まで大丈夫だと、もう山は越えたのだと、そう考えていた。


 だって、そうじゃないとあまりにも理不尽だ。


 しかし、もっと深く考えるべきだったと後悔する。元より、この地震のような自然災害が身の回りで起こり、回避できない。このこと自体理不尽なものだったのだ。


 だから、認識を改めるべきだ。どれだけ自分たちが幼かろうと、弱かろうと不幸は訪れる。


 いや、改めるまでも無く自分は知っていたじゃないか。世界では多くの子供が理不尽に死んでいっている。それを他人事としてとらえていたからいざ、自分がそんな状況になった時に「ありえない」などと思うのだ。


 物音がする。その連続性にリズムなどあったものではない。


 だが、そこには確かな速度がある。そしてそれは加速していく。


 嫌な予感が走る。冷汗が絶え間なく流れる。


 いったい何が————


「明日香のかたきぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」



 ————え

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