第15話 社

 放課後。

 弓道場の裏にある更衣室のロビーに社はいた。

 制汗剤が微かに香る小さなロビーには背もたれのない小さなソファーが四つあり、社はその一つに座って窓の外を見ていた。

 ロビーにはドアが三つあり、二つは更衣室に、一つは外に繋がっていた。

 部屋は普段から綺麗に掃除されており、埃一つない。

 社が窓の外を眺めているとドアが開き、弓道着を着た詩織が心配そうな顔で部室に入っていた。

 それを見てぼうっとしていた社の顔が微笑に変わった。

「まだ、やる気が出ませんか?」

 詩織は尋ねた。

「……うん。あまり弓を引く気にはならないな。こんな時こそなんだろうけど」

 社は静かに息を吐いた。

 阿澄翔子は社に相談をした夜に殺害された。

 社には翔子の肩に見えたあの淀みが気になっていた。そして、それは彼の過去にいくらか被った。

「・・・・・・俺がちゃんと祓っていれば、あの人は死ななかったのかもしれない」

「そんな・・・・・・。そんなことを言い出してはキリがありません。あなたはやるべきことをやりました。私が保証します。きっとあの小鬼が――」

「いや、違う。その話じゃない」

「・・・・・・え?」

 詩織は驚いて社を見た。

 社は窓の外を眺める続ける。

「あの子は・・・・・・『厄抱え』なんだ」

「・・・・・・・・・・・・厄抱え、ですか?」

「そう。人には吉凶が交互に来る。世に漂う凶は吉によって祓われ、陰陽、つまり中和されるんだ。だけど稀に凶を抱え込んでしまう体質の者が出てくる。それがあの子だった」

 社は天井を見上げた。

「凶は溜まると厄になる。人はそれを陽の行動で祓ったり、神社や寺のような清い場所で祓ったりしてきた。厄は目に見えないからな。阿澄さんの部屋に小鬼が来たのもそのせいだろう。彼らにとって厄はご馳走だ。集まるのも無理ない。そして、それを祓うのが俺の仕事だ」

 社は力なく嘆息する。

「あなたは鬼を祓いました。阿澄さんが殺されたのは別の話です」

 強く否定する詩織の顔を社はゆっくりと見上げた。

 詩織には社の薄い色の目が酷く悲しんでいるように見えた。

「そうかもしれない。でも、そうじゃないと思うことが俺の持つ責任なんだ。誰にも見えない世界が見えるからこそ、俺が目を瞑ったらいけないんだよ」

 社は笑みを作ったが、目は笑えていなかった。

 それは詩織を更に心配させた。

 あれから社と詩織は警察の事情聴取を受けた。

 社達が阿澄家を出たのは夜の七時半頃。阿澄翔子が町外れの廃ビルで殺害されたのが次の日の深夜二時頃になる。夜八時に両親と夕食をとり、その後リビングでくつろいでいた翔子が自室に上がったのが夜の九時半。それ以来翔子の姿を見た者はいない。

 つまり、両親以外では社と詩織が翔子と言葉を交わした最後の人物なのだ。

 当然トラブルを疑われた。

 恋愛関係になかったか。金銭トラブルはなかったか。他にも色々と話を聞かれた。

 社達は翔子と話したのはあの日が初めてだと証言したが、警察が信じたかどうかは想像に難くない。

「今度、ゆっくり話を聞かせてもらうからそのつもりで」

 確たる証拠は何もないので、事情聴取だけで済んだものの、刑事の言葉は社達の身辺を調べ、証拠固めをしたら捕まえてやると言っているようなものだった。

 だがあれから三日経ち、彼らの言う今度がまだ来ないということは、社達と阿澄翔子の関係が殺人に至る工程を警察は掴めてないということだった。

「あの日、阿澄翔子の家で何をしていたんだ?」

 その質問に社は相談を受けていたと正直に話した。

 自分が神社の宮司なので、厄払いを頼まれたと。宮司という言葉に刑事達は笑ったが、後の調べでその嘲笑が間違いだったと気付くだろう。

 雲龍神社の前宮司、社の父親である司は放浪癖があり、息子が十五歳になると半ば無理矢理に宮司を継がせた。

 今の時代、血筋さえきちんとしていれば通信教育で宮司の資格は取れるのだ。

 結局警察が社達から知ることができたのは阿澄翔子が厄払いをしたがっていたことくらいだった。

 それでも有力な容疑者がいないのなら、一番怪しいのは社達になる。

 一部の週刊誌には殺害された少女が事件に遭う数時間前に友人達と会っていたと、意味ありげに書かれていた。

 警察が逮捕という強引な手に出ないのは、雲龍家が地元の有力者であることがいくらか関係しているのだろうとも書かれていた。

 今日までに社をつけていた記者は四人はいる。だが見事に全員がまかれていた。

 追っていたと思ったらいつの間にか消えていなくなっているのだ。彼らはまるで狐につままれたように感じた。

 社はどこからか取り出した人の形をした紙、人形ひとがたを両手で持って俯いていた。

 通夜に行った時に阿澄翔子の両親が社を見る目が忘れられなかった。

 恨みを込めた強い瞳。悲しみの籠もった瞳。

 その両方が二つの瞳に混在していた。

 彼らも社達を疑っていた。というより、社達以外に疑う人間を知らなかった。

 社は人形の両裾を持って、記憶の中で翔子の両親の目を見つめていた。

(あのままでは、あの人達は自らの恨みで壊れてしまうだろう・・・・・・。だけど恨む対象があるだけマシなのかもしれない。家族を殺されて恨むのは健全だ。少なくとも忘れてしまうよりは・・・・・・)

 社は小さく溜息をついて顔を上げた。

 そこには不安げな詩織がずっと立っていた。

 社は苦笑し、立ち上がった。

「だめだ。やっぱりやる気が出ない。このまま悪い気を家に持って帰るのは得策じゃないな」

 社は詩織に明るく笑いかけた。

「今日はサボろう。詩織。付き合ってくれ。甘い物でも食べに行こう」

「いいんですか? もうすぐ大会ですよ?」

 詩織は呆れ気味に尋ねる。

「いいんだ。きっと八百万の神々も許してくれるだろう。許してくれないなら祓ってやるさ」

 社がそう言うと、部室の備品のいくつかが怖がるように揺れた。

 それを見て社は笑い、詩織は苦笑した。

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