第12話 事件
この町で殺人事件が起きると、どうしても三年前の緋神家殺人事件が思い出される。
四人家族だった緋神家の長女を除く父、母、長男が殺されたその衝撃的な事件は未だに犯人逮捕に至っていなかった。
火災の為、物的証拠もなく、唯一の生き残りである緋神小白もショックによる記憶障害で犯人の顔を覚えていない。目撃者もゼロだった。
いわゆる未解決事件である。
中年刑事である須藤は煙草を咥えながら白髪混じりの頭を掻いた。
例え今回の事件が緋神家事件と関係がないと分かっていても、彼の頭は自然とそれを思い出してしまう。
もう三年も経つというのに、未だに手掛かり一つ見つからないあの事件を。
緋神家の住人が何者かに襲われたのは確かだった。
争った形跡があり、いくつかの物が破壊されていた。緋神小白の証言や鑑識官の話では最初に父親の浩太郎が、次に母親の加奈子が殺され、最後に小白の兄である真一郎が殺されたそうだ。
小白が見ていたのは兄の真一郎が何者かに殺されたということだけで、あとは記憶障害によって忘れ去られてしまった。
だが謎が残った。
どうして犯人は小白を殺さなかったのか?
小白は目撃者である。仮に緋神家に恨みがあっての犯行なら生かしておくのは不可解だ。
最初に疑われたのは小白犯人説だった。
だが当時十二歳だった小白に父親や五歳上の兄を殺すことは考えづらいとされた。
現場で見つかった凶器と思われるナイフの柄は焼かれ、指紋は出なかった。
警察の認識は犯人がまだ幼い小白に情をかけたという外部犯説が大勢を占めた。
しかし外部犯説の指針を作ったはいいものの、容疑者が一向に浮ばなかった。
父、浩太郎は製鉄会社の課長として上手くやっていたし、母の加奈子も近所付き合いや友人関係に問題は見つからなかった。
唯一、兄の真一郎だけがトラブルと言えるものを抱えていた。
当時高校二年生だった真一郎は友人の一人を自殺で失っていたのだ。
それ以来、彼の心は不安定になり、悪い噂がある友人達と関わるようになった。
警察はこの事から真一郎の交友トラブルの線を探ったが、結局決定的なものは出てこなかった。
つまり緋神家殺人事件はこの三年間でまともな容疑者さえ出せずに迷宮入りしているのだ。
そして今日。またこの町で殺人事件が起こった。
被害者の女子校生は町の北東にある廃墟ビルの二階で背中から心臓を刃物で刺され死んでいた。
うつ伏せになり、体を真っ直ぐに伸ばし、右腕を南に向けていた。即死だった。
凶器は見つかっていない。これといってめぼしい手掛かりは、つまり指紋や犯人の物と思われる痕跡は何も見つからなかった。
管理者が逃げた廃墟ビルはすっかりボロボロになっていた。壁一面落書きばかりである。
最近めっきり減ったが暴走族のチームだろうか、『ここは戸愚炉団の陣地だ!』なんて恥ずかしい文言も書かれている。
ガラスも割られ、壁や床のコンクリートは所々穴が空いていた。
場末に相応しい、どこか懐かしさを感じる場所だなと須藤は感じていた。
須藤はふと、被害者の近くの壁を見た。そこには他のスプレーで書かれた落書きとは違い、マジックペンで小さくこう書かれていた。
『大好き大好き大好き大好き 先輩大好き』
字は幼かったが強い筆圧で書かれていた。きっとどこかの学生が書いたのだろう。須藤は勝手にそう想像して視線を被害者に移した。
争った形跡はない。油断したところを背後からグサリだ。財布の中身は抜かれていた。携帯電話もない。
死亡推定時刻は死体の硬直具合から今朝の二時頃。
このビルは町外れにあり、近くに店の類いはない。バブル時に誰かが場違いなここへこの三階建てのビルを建てたらしい。
裏は空き地だ。そちらから入れば人の目や監視カメラに写らず悠々と侵入できるだろう。
規制線の外では異変を聞きつけた野次馬が集まりだしていた。平日の昼間だというのに彼らは暇らしい。
窓の外にいる彼らを一瞥すると、須藤は煙草を携帯灰皿に入れて消した。
「若い子が死んだっていうのに、現金な奴らめ」
須藤は愚痴を言ってから煙を吐いた。最近控えているとは言え、こんな大きな事件の時は無性に吸いたくなる。
だがすぐに携帯灰皿に煙草を入れると、被害者の方を向いた。
そこには若い刑事が熱心に手を合わせている。中肉中背に眠たそうな目、寝癖がトレードマークのその男を見て、須藤は彼の経歴を思い出した。
「そうか。綾辻の家はお寺さんだったな」
「まあ、俺はあんま信心深い方じゃないんですけどね。何か見えるってわけでもないし。だけどこんな若い子の御遺体を見ちゃうと、どうしても・・・・・・」
綾辻隼人は悲しげな笑みを浮かべた。
それはここにいる誰もが同じ気持ちだった。
特に若い娘を持つ須藤にとっては他人事ではない。
「ああ、さっさと捕まえないとこの辺の住人はまともに眠れないだろうよ。緋神事件もまだ挙げられてないんだ。ここは頑張りどころだな。親御さんと学校には連絡着いたか?」
「はい。現金は抜かれてましたが、財布に学生証が残ってましたから、学校にはあとで行くって言っときました。ご両親はもうすぐ到着します」
「・・・・・・そうか。悲しいねえ」
そう言って須藤は隼人から学生証を受け取った。
まだ新しい学生証には写真が載っていた。
名前の欄には阿澄翔子と書かれていた。
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