第9話 社

 阿澄翔子の家は住宅街の一角にあった。

 二階建ての二階にある自室に通された社と詩織は、翔子の部屋に置かれた数々の開運グッズに少し驚いた。

 風水で使う水晶や、シャチホコに亀の置物など、色々とある。アロマかお香の残り香もする。

 社はその中の一つに注目した。窓の近くにあった机の上にある白黒の招き猫を一瞥して微笑む。

「いやあ、すごいね。そこらの神社や寺よりよっぽど凝ってる。風水が好きなの?」

「あ、はい」

 翔子は少し照れていた。

「おばあちゃんの影響で色々集めたり、もらい物だったりを置いてるんです、お寺や神社を巡り歩くのとかも好きで」

 これだけ買えるなら祈祷料を払ったらいいのにと詩織は内心思った。

 一方、社は物珍しげにあれこれと見ている。

「シーサーに蛙に梟かあ。みんな色々考えるなあ」

「・・・・・・あの、先輩は占いとか風水とかって信じてないんですか?」

 自分の持ち物を馬鹿にされたような気がして翔子は不機嫌そうだ。

「いや、信じてるよ。ただ俺の考えは少し一般的なものとは違うんだ」

「どういうところがですか?」

「俺は運気なんてものはないと思ってる。あるのは大自然的な周期と、緻密でパズルめいた行動結果だ。占いはそのパズルの一端を解くもので、未来を見たり開運したりなんてことは人にはできない。俺の中でそれは思い上がりで、人が自然や神に逆らうことをするなら、それ相応の罰が下るだろう。だからその覚悟もなく人は人を占ってはならない」

 社はどこか寂しげに、そして真剣な様子でそう語った。

 隣で話を聞いていた詩織は黙って俯いた。

 不思議な雰囲気に翔子は違和感を感じながらも、社の考えが自分とは合わないと思った。

「そ、そうですか・・・・・・。でもそれって」

「もちろん俺の持論だ。他人に強要する気はないし、同調してもなんの御利益もない。君は君の信じる道を進めばいい。神道は他の宗教とは違うからね。誰にも何も押しつけない。経典もなければ開祖もいない。自然発祥的な自然崇拝だ。その土地その土地に祀られる神は違うし、目的も様々だから包容力もある。と、うるさい講釈はこれくらいにしよう。塩はある?」

「あ、はい。久高島の塩があります!」

 塩と聞いて翔子は喜んだ。ようやく翔子の好きな領域に足を踏み込んだ気がしたからだ。

「じゃあ、それで部屋の角に盛り塩をしようか」

「結界ですね!」

「うん。まあ、そんなとこかな」

 苦笑する社に翔子は目をキラキラと輝かせていた。

 引き出しから塩と通販で買った盛り塩セットを取り出した。

 平皿に塩で小さな三角錐を作り、部屋の角に置いていく。

「できました。これで悪霊や悪鬼の類いから身を守れますね! 次は大麻おおぬさですか?」

 楽しげな翔子に、こちらもまた楽しげに社が答えた。

「いや、今回はそういう目的じゃないんだ。この盛り塩は君の言う通り一種の結界ではある。だけどこれは外から中へ入れないようにするものじゃなく、その逆に中から外へ逃げられないようにするものなんだ」

「・・・・・・・・・・・・へ?」

 間抜けな声を出す翔子。社の言っていることがしばらく理解できなかった。

「ちょっと話がしたいからね。逃げられると困るんだよ。だから大麻は使わないかな」

 この時、どこか怪しげに微笑む社を見て、翔子は初めて近寄りがたさを感じた。

 社がどことなく問いかけた。

「さあ、出ておいで。居るのは分かってるんだ。出てこないなら祓うよ」

 しかし、なんの返事も異変もない。

 社は詩織の方を向いた。

「仏教を見習ってお香でも焚こうかな」

「あなたにはその必要もないでしょう?」

 社はニコリと笑った。

「まあね。さあ、そろそろ清めが効いてきて苦しくなってきただろう」

 そう言って社は窓際を見た。

 そこには白黒の招き猫がある。

 翔子と詩織も同じ方を向いた。

「出てこないならクライアントの要望通り大麻でも振ろうか。詩織」

「どうぞ」

 詩織は鞄から大麻を取り出し、社に渡した。

 それを見てどうしてそんなものを持ち歩いているんだろうと翔子は不思議がった。

 その時だった。大麻を見て、招き猫の裏から何か小さな陰が動き出した。

 それは窓に向ってトコトコと走って行く。しかし盛り塩による結界のせいで窓を開けられず、頭を抱えていた。

 そこにいたのは小さな鬼だった。

 赤く丸っこい体に小さな角が一つ。手足は短く、どこかのマスコットキャラクターみたいだ。

 小さな点の様な瞳に、これまた小さな牙が見える一直線の棒みたいな口を持っていた。

 翔子はそれを見て固まった。唖然とし、今見ている景色が信じられなかった。

「ふむ。よりにもよってジキタか……」

 社は小鬼を見て小さく溜息をついた。

 ジキタとは食唾と書く鬼である。仏教道でいう餓鬼の一種だ。

 ジキタは唾を飛ばし、子供のような甲高い声を上げ、社を睨み付けた。

「オイ! てめえこらぁ! 閉じ込めるなんて卑怯だぞぅ! 出せ出せ出せよう!」

 すごんではいるが赤丸ほっぺに可愛らしくもある容姿に軽い声では全く怖くなかった。

 社は何か別の事を考え、詩織は鬼を睨み、翔子はぽかんと口を開けていた。

「・・・・・・お、鬼が私の部屋に・・・・・・・・・・・・?」

 それを聞いて社の目がすっと開いた。

「そうか・・・・・・。見えるのか。面倒だな。まあいい。おい、ジキタ。最近この子にケチな不幸が度重なって起きているのはお前のせいだな?」

「そうだい。オイラの力にかかればこれくらい簡単だからな!」

 ジキタは自慢げに丸い胸を張った。

「なぜそんなことをする?」

「そりゃあお前、招かれたんだから仕事をするのは当然だろ? 鬼が不幸を招かないでどうしろって言うんだよぉ!」

「・・・・・・まあな」

 社は小鬼の言い分に納得して腰に手を当てた。

 だが部屋の持ち主である翔子はありえないと首を横に振った。怖さもあったが、いわれもない事を言われる方が腹立った。

「ま、招いた? 私がですか? そんなことしてません。言いがかりです! は、早く祓って下さいよ!」

 祓うと聞いて小鬼はびくっと体を震わし、社の方を向いた。

「は、祓うのかい?」

 ジキタは脅えながら尋ねる。

「返答によっては致し方あるまいね」

 社は大麻で肩をぽんぽんと叩いた。

 それを見て小鬼は体をガタガタと震るわした。

 動きがコミカルなので、それを見て詩織はひっそりと可愛いと感じてしまう。

 小鬼は目に涙を浮かべた。

「や、やめろ! 祓ったりなんてしたら閻魔様が黙ってないぞ!」

「反抗的な態度を取るならしょうがないかな。あの女には手紙でも書こうか。事情が分かれば納得してくれるだろう。ちょうど坊主の友人もいるからな」

「酷いぞ! さてはお前陰陽師だな? オイラは招かれて来ただけなのに、祓うなんて卑怯だ」

「陰陽師なんて古い呼び方はやめてほしいな。あれは明治時代で終わったものだ。俺はただの宮司だよ。だがお前の言い分も一理ある。さて、どうしたものかな」

 社は顎に手を当て思案を巡らせた。

 しかし翔子は眉根を寄せる。

「だから、招いてなんていませんって! 私は福を招こうとこうやって色々やってるんです」

「それがそうでもないんだ」

「・・・・・・え?」

 首を傾げる翔子に社は窓の外を指差した。そこには丘の上の神社から少し東に降りた山腹に大きな日本家屋が見える。

「あそこに我が家が見える。つまりこの窓は艮の方角にあるわけだ。艮、すなわち北東は鬼門を意味する。そんな方向に牛と同じ色をした招き猫を置くってことは鬼を招いているのと変わらない」

「そ、そんな・・・・・・」

 翔子は知らなかったというより、信じられないという顔になった。

「だって、あの人が言うには・・・・・・」

 そこで翔子は黙った。

 それ以上語りたがらない翔子を横目に社は続けた。

「まあだから、このジキタの言い分も一理あるわけだよ。残念ながらね」

「そうだ! わかったか!」

 小鬼は短い腕をなんとか組んで怒っていた。

 翔子はむっとして鬼を見返す。もう怖いという感情すら湧いてこなかった。

「け、けど鬼なんかが私の部屋にいたら嫌です。そのせいで不幸ばっかりだし、だからやっぱり祓って下さい。お金なら払いますから」

「鬼なんかとはなんだ、このアマ! 人の分際で道理をわきまえろ!」

 小鬼と翔子の間でバチバチと視線が交わった。

 既に翔子の恐怖は怒りで塗り替えられていた。

「それだ」

 社は言った。

「この小鬼には道理がある。君が知らないとは言え、招いてしまったんだからね。招いた客に何も出さずに帰れというのは些か礼儀に欠く。これは確かだ」

「きゃ、客って。この鬼が?」

 翔子は信じられないという顔だ。

「鬼でも神でも客は客だよ。もてなすのがこの国の礼儀だ。そこでだよ」

 社は小鬼の方を向いた。

「ジキタ。お前は何が望みだ? 何を手に入れれば大人しく帰る? あのまま外に出しても、どうせしばらくしたら戻ってくるつもりだったんだろう?」

 図星だったのか小鬼は口を尖らせた。

 そんな小鬼に社は告げた。

「言わないなら祓うまでだ」

「わ、分かったよ! 怖い奴だな。名前も取られちまったし・・・・・・。いいだろ。取引だ」

 小鬼は翔子の部屋をぐるりと見回した。そして部屋の中にあったそれを指差した。

「あれだ。あれをくれたら大人しく出てくよ」

 指差されたそれを見て、社は笑い、詩織は苦笑し、翔子は顔をしかめた。

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