第4話 隼人

 朝。

 酒と煙草の匂いがする部屋で大きな欠伸をし、綾辻隼人あやつじはやとは目を覚ました。

 実家は市内だがわざわざこの1LDKのアパートに住んでいるのは、彼が家を継がない次男だからだ。

 眠そうな目に大きな寝癖、背は高めで細く見えるがその実、仕事柄鍛えていた。

 二十六歳になる隼人は大学生の時に買ったリクルートスーツをジャケットなしで着て、コーヒーを飲みながら朝のニュースをぼんやりと見ていた。

 殺人、放火、強盗・・・・・・。もはや珍しくもない。

 教師や公務員、そして警察官が捕まることもだ。

 適当に聞き流していた隼人だったが、ふと一つのニュースが目に止まった。

 それは女子校生の自殺だった。

 虐められていた女の子が遺書を残し、十六の若さえ命を絶ったそうだ。

 だが教育委員会は自殺と虐めの因果関係を認めず、両親が憤っていた。

 神楽町から何百キロも離れた場所での出来事だが、隼人は他人事ではない気がした。

(・・・・・・そうか、もう五年も経つのか・・・・・・・・・・・・)

 以前、神楽町でも似たようなことがあった。

 女子校生が屋上から飛び降りたのだ。

 遺書はなかったが、彼女には動機があった。

 両親が昔あった大火事で亡くなり、そのことをずっと気に病んでいたそうだ。二人の元へ行きたいと口にすることもあったらしい。

 その事件は、半年後に起きる凄惨な緋神家殺人事件の陰に隠れてしまったが、隼人はよく覚えていた。

 自分が警察学校から今の職場に赴任してすぐのことだったからだ。

 そう、隼人は警官だった。

 神楽町にある警察署の刑事課に所属してもう五年になる。

 あの事件から同期の少年課刑事に色々と情報を貰うようになっていた。

 近頃もまた、星読高校の生徒が一人行方不明になっているらしい。家出だと思うが、隼人には少し気になっていた。

 トーストにバターを塗って食べると家を出る時間になった。

 隼人はアパートの駐車場へ行き、父親に貰ったお古の白いセダンに乗り込んだ。

 細い道をゆっくりと県道まで降りていく。町を見ていると、最近この町で起こる妙な事件が気になってきた。

 とりわけ大きな事件ではない。物がなくなったり、迷子が増えたり、不審者を見たり、無銭飲食だったりと事件自体はよくあるものだが、とにかくその頻度が多いのだ。

 この町で育ってきた隼人にとっては良い気分ではない。

 仕事も増えた。人手が足りないし、給料も上がらない。やけを起こして捕まる警官がいるのも分からないでもなかった。

(少しあの頃に似てるな。そう言えば前はいつ収まったんだっけ?)

 赴任当初のことを思い出しながら、隼人はハンドルを切った。

 県道に出て、しばらく西へと車を走らせる。信号で足止めされると、隼人は煙草を取り出して吸った。

 最近値段が高くなって本数を減らしているが、考え事をしたり気を抜くと自然と手が伸びてしまう。これのせいで随分体力は落ちた気がしていたが、やめられなかった。

 煙を吐くと横断歩道を歩く知り合いを見つけた。

 雲龍社は髪の色が薄いのですぐに分かる。

(昔はちゃんと黒かったのに。やっぱり司さんがいないストレスかね。あの人もいい歳してどこでなにやってんだか。社もあの歳で白くなってどうすんだ。まあ、禿げるよりはマシか)

 煙草を咥えて苦笑する隼人。

 仕事のストレスからか職場の上司は年々髪を薄くしている。

 自分もその内そうなるのかと心配になり、最近シャンプーを変えたところだった。

「・・・・・・にしても」

 隼人はつまらなそうに呟いた。

 横断歩道を渡った社が詩織以外の女の子二人と親しげに話していたからだ。自分にはなかった青春の一ページに隼人の口角はひくついた。

 整った顔に漂う神秘的な雰囲気。社がモテる理由は傍から見てもよく分かった。

(それにしても三人ってのはなあ・・・・・・。まあ友達かもしれないけど)

 羨ましく思いながら左手を見ていると、ふと一人の少女に見覚えがあることに気付いた。

(あの子・・・・・・、緋神小白じゃないか・・・・・・。もう高校生なのか・・・・・・)

「大きくなったな・・・・・・・・・・・・」

 小白が聞けば泣いて喜ぶその台詞は車内の煙に混じって消えた。

 もうあんな事件をこの町で起こさせたくない。

 隼人は静かにそう決意し、青になった信号を見て、また車を走らせた。

 警察署に行くと見たことのある古いカローラワゴンと入れ違った。

(誰のだっけ?)

 隼人は記憶を探るがサルベージに失敗する。

 だが警察署に入るとすぐに答えが分かった。

「あれ? 穂村さんには会ったか?」

 オフィスで上司の須藤が尋ねる。

「いや。会ってないですね。あ。そっか。あれって穂村さんとこのカローラだ」

 穂村と言えば町の有力者だ。

 代々寺で住職をやっていて、この町じゃ知らない人はいない。

「なんて言ってました?」

「祭りの挨拶だよ。お前も顔を出すようにってな」

「休みくれるなら行きますけどね……」

 祭りの日は警察も急がしい。羽目を外す輩が多いからだ。

 須藤は肩をすくめてデスクに座った。

「それはお前の頑張り次第だな」

「……ですか」

 つまりは無理だという訳だ。

 隼人は嘆息し、窓の外を眺めた。

 そこには学生達が楽しそうに登校している。

 隼人にとってはもう八年も前のことなのについ最近まであの中にいた気がした。

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