第2話 小白

 朝。

 鏡の前で緋神小白ひかみこはくは何度も自分の顔を見つめていた。

 色々な角度から自分を見ると、小白はどんどん自信をなくしていく。

 ミディアムショートのふわりとした髪に水晶の髪飾り。大きな目や白い肌は友人からよく可愛いと言われた。

 だけど背が低かった。高校生になってもう二ヶ月も経つのに、ちっとも大きくならない。それは他の部分も同じだった。

 昔から小さいのでそこまで気にしてなかった小白だが、最近成長しない自分がいやになってきている。

(・・・・・・もう、伸びないのかな・・・・・・・・・・・・)

 小白は毎朝牛乳を飲み、ヨーグルトを食べるが効果の程は定かではない。

 友人の白沢が言うには「世の中の男は大きい女より小さい女の方が好きなんだよ」らしい。

 だけど、その世の中の男に彼が入っているかはまた別の問題だった。

「いってきます」

「いってらっしゃい」一緒に住んでいる伯父が答えた。「気をつけるんだぞ」

「うん。いってきます」

 玄関で小白は棚の上に置かれた二枚の写真にもう一度挨拶をした。

 一枚には小白の両親と兄が写っている。そしてもう一枚には一昨年亡くなった伯父の妻の姿が写っていた。

 この少し古い二階建ての家には小白と伯父、そして仕事で忙しい伯父の娘が住んでいる。

 伯父に買って貰ったセーラー服に紺色のリュックを背負い、小白は小さな歩幅で歩き出した。

 いつも通り、通学路から少し離れた道を選ぶとほんのり朝の香りがした。

 小白は碁盤の目になった神楽町の中心にある県立高校に通っていた。

 市内に四つある中学から東西南北の学生が星読ほしよみ高校へと集まってくる。

 小白が星読高校に通い始めて二ヶ月が経っていた。

 十八年前に町を襲った大火事のせいで校舎の一部は燃え、今でも一部の壁が黒かったりする。

 町の東側に住む小白は少し北上しながら西にある高校へと向う。

 昔は町の南に住んでいたが、あの事件があってからは伯父に引き取られ、共に生活をしていた。

 家からしばらく歩くと、町を東西に横切る片道一車線の県道へと出た。新旧混じった家や店舗が建ち、アスファルトの歩道には等間隔で木が植えられていた。

 ガードレールに挟まれた道路に通勤の車がどこか急いで走っている。

(今日も来るかな・・・・・・)

 小白はゆっくりと歩道を歩きながら、彼を探していた。

 自分より一つ年上の彼がこの道を通って学校に行くのを知ったのは偶然だった。

 帰り道に友人と近くのお店で買い物をしていたところ、帰宅途中の彼の姿を見つけたのだ。

 それから小白は気になって毎朝こちらの道を通る様になっていた。

 お弁当作りに忙しい中、わざわざ余裕を作って通学路から逸れるのは、朝の弱い小白には大変だ。でも全く苦労とは思わない。

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ。・・・・・・いた)

 辺りを見回しながらゆっくりと進むと小白の視界に彼が入った。

 それだけで世界が華やいで見えた。彼は向かい側の歩道を西に向って歩いている。

 中肉中背で髪の黒色が少し薄い。グレーに近い色だった。

 綺麗に整った顔はどこか神秘的に見える。学ランに灰色のリュックを背負い、もう一つ細い筒の様な鞄を右肩にかけている。

 代々家が神社の宮司である雲龍社うんりゅうやしろはまっすぐながら力の入っていない背筋のまま、肩を揺らさず綺麗に歩いていた。

 その歩き方を見ただけで小白は品を感じ、ときめいた。

 ただ社は一人ではなかった。隣には小白と同じセーラー服を着た女の子が歩いている。

 天馬詩織てんましおりは長い黒髪をポニーテールにして、白い肌に凜々しい目がよく目立った。

 背が高めで隣の社より五センチほど低いくらいだ。

 美人の詩織は小白とは真逆のタイプだった。

 詩織と小白は同い年だが、傍から見てもそうは思えないほど背格好が異なる。

 大人っぽく落ち着いた詩織に対し、小白は子供っぽくて動きが多い。

 スタイルで見てもその差は顕著だった。

 小白が知る限り、社と詩織はいつも一緒にいた。登下校だけでなく、部活も同じ弓道部だ。どうやら家が近く、幼馴染みらしい。

 出会った当初は小白も詩織のことが気にならなかったが、社に好意を寄せれば寄せるほど、小白は詩織に対してコンプレックスを抱くようになっていた。

 社は詩織に話しかけ、詩織はそれを聞きながら答えたり、笑ったりしている。それを見れば二人の仲が特別なことは誰にでも分かった。

 社の背中を見て喜び、詩織を見て落ち込む。

 最早これが小白の日課になっている。

「あっ、気をつけて下さい。蓋が開いています」

 突然、詩織が社へ注意した。

 よく見ると溝の蓋が一つだけ開いていた。社は苦笑した。

「大袈裟だな。大丈夫。気付いていたよ」

「・・・・・・そうですか。でもあなたはしっかりしているようで抜けているところもありますから」

「それ、よく家族に言われるよ。あんまり自覚はないんだけどね」

 社は困ったように微笑を浮かべた。

 それを反対側の道路から見ていた小白は胸は高鳴らせ、同時にその笑みが自分に向けられたものでないことに落ち込んだ。

 全てが聞こえるわけではないが、聞こえてくる会話は二人の間が親しいことを示すものばかりだ。

 ただそれは恋人同士というより、家族に近い感じがした。だとしても高校生の男女が毎朝一緒に登校するのは仲が良すぎる。

 心をモヤモヤさせながら小白は少しでも二人の会話が聞こえるように集中していた。

 そのせいでよく躓き、時にはポストにぶつかった。

 鼻の頭を押さえながらも、小白は二人のペースに合わせていつもより早めに歩いていく。

 歩幅の小さな小白は二人について行く為忙しく足を動かした。

 しばらく歩くと横断歩道が見え、そこで小白の日課は終わった。

 学校は小白側にある為、二人はこちらへと渡ってくるからだ。そこから高校までは直線を歩くだけだ。

 小白は社を見ながら左へと曲がった。最後に見た社の顔は優しく詩織に笑いかけるものだった。

 それを見て顔をほころばせる小白だったがすぐに背筋を伸ばして、学校へと向った。

(み、見られちゃった・・・・・・)

 小白の視線は社の隣に立つ詩織とはっきりぶつかってしまった。

 凜々しい目の詩織に見られた小白は弱々しく敗走する。

 ちょうど赤信号で二人が立ち止まっている隙に、見えている高校へと早足で歩いた。

 だが慌てたせいで躓いてしまう。

 転けると思った小白だがその体は前に居た人に支えられた。

「おっと」

 その人は両手を伸ばし、小白を受け止めた。

「す、すいません・・・・・・。ちょっと急いでて・・・・・・あ、シロちゃん。おはよう」

 小白は笑った。

「おはようじゃないでしょ。朝からなにこけてるの? まったく小白は心配になるなあ」

 そこにいたのは友人の白沢蓮しろさわれんだった。

茶色に染めた長いストレートの髪に、目つきの悪い目。一文字に結ばれた薄い唇。

 細身で背が高い蓮は男っぽい雰囲気を纏い鞄を肩に担いでいた。

 蓮はすぐに小白が急いでいた理由に気付いた。

「あれ? 天馬じゃん。横にいる優男は社君かぁ。なるほどねえ」

 蓮はニヤついて小白を見た。

 心を読まれた小白の頬はほんのりと赤くなる。

「ち、ちがうよ? 別に、その・・・・・・」

 しどろもどろになる小白に蓮は益々ニヤついた。

「なにがどう違うのかなぁ? いやあ、朝からご苦労なことですねえ」

 小白は反論しようと言い訳を考えたが、わざわざ遠回りした良い理由が浮ばない。

 そうこうしている内に信号は青になって、社と詩織が小白のすぐ側まで来ていた。

 二人を見て蓮は元気よく挨拶する。

「おっはようございます! 雲龍先輩、天馬とは毎朝一緒に来てるんですか?」

 以前家の関係で顔を知っていた社は蓮を見ておはようと挨拶した。

「うん。家も近いからね」

「仲良しですねえ」

 蓮は色んな意味を含んだ不敵な笑みを詩織に向けた。

 詩織はからかわれているのが分かり、少しむっとした。

「朝から元気ね。白沢さん」

「あんたこそ朝から不機嫌だね。生理?」

 ふざける蓮に詩織は赤くなった。自分の方を向く社に「違います」と否定する。

「別に恥ずかしがることじゃないよ」

 社は慌てる詩織に優しく笑いかける。

 小白もまたひっそりといつもより随分近い社の顔を見ていた。

 それに気付いた社がにこやかに挨拶する。

「おはよう」

「お・・・・・・はゅぅ・・・・・・ます・・・・・・」

 突然の挨拶に小白はまともな返事ができなかった。

 顔が熱くなり、喉が声を絞る。小白は恥ずかしくて俯いた。

 もうなにがなんだか分からなかった。

 それを見て蓮はやれやれと呆れ、詩織は小動物でも見るよう微笑む。

 だが、社だけはどこか寂しげな視線を小白に送っていた。しかしすぐに詩織の方を向く。

「じゃあ、行こうか。俺達はこれを部室に置いてこないとならないから」

 社は肩に掛けていた細長い鞄を軽く揺すった。

「そうですね」

 社はじゃあと言い、そのまま詩織と行ってしまった。二人の背中を見て小白は立ち止まっていた。

 そして話し声が聞こえないほど遠くに行ったのを確認してから慌てて隣の蓮に尋ねた。

「わ、わたし、変じゃなかった?」

「うん。すっごい変だった」

 蓮のストレートな言葉に小白は目に涙を浮かべて大きなショックを受けた。

「・・・・・・・・・・・・嫌われたかな?」

「う~ん。どうだろうねえ」

 蓮は右手を額に当てて陰を作り、小さくなった社達の背中を見ていた。

「社君ってなに考えてるか分かんない顔してるからなあ」

 否定しない蓮に小白は落ち込んだ。下を向いてぼそぼそ言葉にならない何かを言っていた。

 それを見て蓮は肩をすくめ、小白の頭に手を乗せた。

「朝から落ち込んでちゃだめでしょ?」

「・・・・・・きっと気持ち悪いって思われたよね?」

 小白は不安げに蓮を見上げた。

「小白を? そりゃ、あたしがどもったらキモがられるだろうけど、小白なら可愛いってなるんじゃない? まあそんなことはおいといて、さっさと学校行くよ。それとも休む? 先生には小白は恋の病で休みまーすって言っとこうか? うわ。なんか許されそうな気がするな」

 蓮の冗談も小白の耳には届いてなかった。

 好きな先輩に見られたくないところを見られてしまった。それだけで小白は地獄に落ちたような気がしていた。

 黙る小白に蓮は嘆息した。

「ほれ、顔あげなって」

 蓮は小白の両頬を持って自分に向かせ、ニカッと笑った。

「笑う門には福来たる。あの人が小白をどう思ったかは知らないけど、いつまでもうじうじしている子より可愛く笑う子の方が好きだとは思うよ」

 それを聞いた小白は確かにそうだと前向きに考えた。

 ほっぺたを蓮に持たれたまま、小白はなんとか笑みを作る。

 小白のへらっとした笑い顔が面白くて、蓮は声を出して笑った。

「あはははは! 恵比寿さんみたーい」

「もうシロちゃんひどーい!」

 小白はぷんぷん怒ったが笑う蓮を見て、次第につられて笑顔になった。

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