第28話 通い
自分に対して言われる好きという言葉に特に興味をそそられず、そうなんだ、とかへぇ、くらいしか言えない。それに、今までろくな人生送ってないから、嫌いと言われるより好きと言われた方が気持ち悪く思ってしまう。
悪意の無い笑みに少しだけ絆されそうになるけれど、こいつの腹の底では本当は何を考えているのか分からない。信じさせて騙すつもりかもしれないし、周りには見えないとか存在自体がよくわからないし完璧に信じてしまうのはまずい。
自分にとっての大ごとが起きる前に、自分以外は敵だと信じて過ごした方がいいのかもしれない。
「静かなのもたまには悪く無いな。そう思わないか?」
「まぁ別に嫌いではないけど」
校庭からの遠い怒鳴り声に自分には関係ないと、目から見えるものを閉ざして、まだ残る春の匂いを静かに吸う。
何も喋らなくなって静寂が教室を包むと、その状況を異質に感じて落ち着くにはもう少し時間がかかるだろう。
そしてまた大きな怪我もなく平和な放課後を過ごした。苦しいことは特に無く、非日常的だけれど私にとっては小学校以来の安らぎを感じることができた。
瞼の裏には理不尽な暴力が焼き付いてしまっているが、茨木がいてくれるのなら、もしかしたら普通な生活を送ることができるのかもしれない。
でも、そんなことのために誰かを利用するのは気が引ける。自分の幸福のために誰かを利用するなら、それなら自分を犠牲にして、私にとって日常だった暴力すら受け入れて全て諦めればいい。今までだってたくさんのものを諦めてきたのだから。
「空を見てみろ雪花。今日もまた夕陽が沈んでいき、一日ももうすぐに終わるのだ」
「……だったら何かあるの?」
気づけばもう夕陽が沈む時間だったことに驚きつつも、茨木のよく分からないポエマーに近いものを感じる何かが始まった。だからといって何か心に通じるものがあるとかは無い。
「特に意味はないが、この景色を雪花ともう一度見れるとは限らないだろう? もしかしたら明日太陽が消滅するかもしれないからな」
「明日太陽が消える可能性の方が圧倒的に低いから気にしなくてもいいよ」
「現実的に考え過ぎな雪花も嫌いじゃないぞ? 俺はどんな雪花でも大好きだからな」
「あんたの知ってる雪花さんと私は違うから、いい加減やめなよ」
「なら俺は今ここで夕陽を見ながら話している雪花が大好きだ」
「物好きにもほどがあるわ」
夕陽に照らされながら気持ちよく笑う茨城を見て、なんて楽観的に考えるやつなんだと思う。どれだけ私が突き放すような冷たい言葉を掛けても、まるで冷たいものなら温め直せばいいと気にしない考え方をしている。心底羨ましい思考回路だ。
「他が雪花のことを何一つ理解していないからだ。あっでも人間みんなが雪花を理解して好きになったらそれはそれで嫌だな。雪花を究極的に好きなのは俺だけで良い」
「そんな心配することないでしょ。誰も私のこと好きじゃないだろうし」
「俺は雪花が大好きだ! 好き好き!!」
「あんたは煩すぎる」
もう完全に夕陽も沈みきって彼方の方では青色が見え始めているし、そろそろ学校も閉まる時間だろう。さすがに締め出されては目立つからまずい。
自分の席の横に掛けてある通学用のバッグを持って、ぴっちりと閉まったドアを開けて教室から一歩先に出る。
「まだそこにいる気なら置いてくよ」
「それはだめだ! 置いていくことなんて絶対にだめだ」
小走りのつもりでやって来る直前にドアを閉めて、ガラスに手をついて首を傾げ、不思議そうな顔をするのがおもしろくて、少しだけ吹き出してしまった。
手を口元に持って来て隠そうとするけれど、隠せるはずもなくバレて、ほんの少し茨木が怒った。全然怖くないし、逆におもしろいからまた今度やってやろうかとまで考える。
「存外いたずらっ子なのか? 可愛いな」
「思いついたからやっただけ」
「まぁどうであれ雪花の新しい一面をこの目で見ることができたから全然おっけーだ」
「鬼の現代化……」
「何か言ったか? もう一度大きい声で言ってくれ。一言一句聞き逃したくない」
「そういうところが煩いんだよね」
誰もいない廊下を歩き玄関先へ降りて、用もない学校を後にする。久しぶりに少しだけ楽しいと思った、かもしれない。
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